第三十二夜 地域リーグ
あの男が練習場であるフットサルコートに姿を見せてから、俺たちは少々浮足立っていた。
それでも日々の学校生活や、サッカーの練習は続けられていた。
正直、あの男が生きているのは分かっていた。
死んでいればニュースになっただろう。
問題は、あの男が三年が経過して少々見た目も変わった俺たちを認識しているのかどうかだ。
ぼんやりと俺たちのほうを見ていたが、その焦点は定まっていないように思えた。
頼む。俺たちを見つけないでくれ。
そして、もう年の瀬も押し迫るころ、粉雪が舞っているピッチで、俺たちFC富士坂は地域リーグ初戦を迎えた。
地域リーグは、JFA(日本サッカー協会)に加盟するクラブチームの地区予選を勝ち抜いた二十四チームが、六チームずつ四つのグループに分かれて総当たり戦をし勝ち点の各グループの上位二チームがトーナメントで地区優勝を決める大会だ。
俺たちの地区にも、Jリーグのジュニアユースチームが四チームほど紛れ込んでいる。
二つは去年までJ1にいたカザン甲州と松本バックウィーツのジュニアユースで優勝候補の本命とされている。残り二つはJ3とJ2を行ったり来たりしているパッとしないチームだが、ジュニアの育成にはかなりの定評があって気が抜けない。
俺、雄二、双葉、柊の四人は山田さんの予告通り先発。俺とポジションが被っている草間も、一列下げたセンターバックとして先発が決まった。
「草間はボランチよりも、センターバックの方がいいと思うんだよ。」
山田さんはそう言って草間をセンターバックにコンバートした。理由は今日の相手にある。
相手は、今日の会場である上境市陸上競技場が地元の上境サッカークラブだ。
絶対エースの芳原澄人がワントップに君臨する、典型的なエース依存型チームだ。
ボランチには息の合った双子の高橋兄弟、信親と秀親がいる。この三人以外は怖くない。
しかし、この三人はあっという間にゲームを支配する力がある。
芳原は化け物のような身体能力を持っていて、時折野性的な勘で信じられないプレーをする。
間違いなく俺たちの世代では出色の逸材だ。どこかのJリーグのユースに進むことが決まっているらしい。
しかし、山田さんは、筧さんのスカウティングから、どこでボールを奪っても中間のプロセスをすっ飛ばして芳原にロングパスを出すこのチームの戦術から一対一に強い草間をセンターバックに持ってきた。草間は俺よりも背が高く、空中戦に強い。
俺たちFC富士坂の布陣は上境戦に合わせて4-3-3に変更された。左ウイングに雄二、トップ下に柊、ダブルボランチには双葉と俺だ。
ホイッスルが鳴り、相手ボールで30分ハーフの前半が始まった。
ホイッスルが鳴るや否や、ボールは一旦相手のボランチの双子の弟、秀親に預けられ、芳原が走り出すと同時に、秀親は正確で速いロングボールを草間とゴールキーパーの間の裏に蹴ってきた。
芳原は信じられない跳躍を見せて、草間との空中戦を完全に制し、秀親のセンタリングに易々と合わせてみせ、ボールをヘディングでゴール右隅に叩きつけた。
敵ながら凄いゴールだ。俺は頭を抱えた。
超人芳原と芳原の特徴を完全に理解している高橋兄弟の電光石火のゴールが決まった ――かに見えたが、線審はオフサイドの旗を挙げた。
空中戦に負けたように見えたが、草間は芳原の動きと、秀親の動きを両方見ながら、少しラインを押し上げていたのだ。押し上げた結果、タイミングが悪く競り負けたように見えたが、オフサイドトラップをまんまと成功させたんだ。
草間は間違いなくセンターバックの素質がある。山田さんに指名されたとき草間は反応がなかったが、あいつ、自信があったんだな。
「草間ー! ナイスオフサイドトラップ! すげーじゃん!」
山田さんもしてやったりだ。
ホイッスルが鳴り、草間がフィードのボールを大きく蹴った。
今度はこっちが芳原をびっくりさせる番だ。
ボールは柊の足元にスポッと収まった。
草間は双子の兄、信親が寄せる間がないように、かなり早いフィードを蹴ったのだが、柊のテクニックは単なる速いロングボールへのトラップではあったが、何か次元の違うサッカーを見ているようだった。
あいつらは、柊の事を全く知らない。FC富士坂にはトップ下に王様がいること。
一テンポ遅れたが、信親は柊と適切な距離をとって対峙した。そして生意気そうな顔をさらに生意気な表情に変えて、
「来いよ」
と誘っているように見えた。
柊は、ドリブルを始めた。信親は飛び込まず、距離を保ちながら後退してゆく。
すると相手のセンターバックがフォローで上がってきて柊を二人掛かりで囲もうとした。
その瞬間を見ていなかった奴は、損をしたに違いない。
柊は囲まれることも全く気にせず、信親の寄せに対しては高速のフェイント一発で振り切り、縦へのラインを切ろうと足を延ばしたセンターバックの股を抜いて前のめりになった重心を確認し、相手の背中を易々と通って二人抜きを完成させた。
慌てたもう一人のセンターバックがスライディングで柊のボールを奪おうとする。
柊は、両足でボールを挟んで持ち上げ、スライディングを躱した。
あっという間の出来事だった。
ペナルティエリアに侵入した柊に対して相手キーパーが身を挺して柊の足元のボールを奪いに来たが、柊は、軽くループシュートを決めたんだ。
観客は疎らだったが、偵察に来ていたカザン甲州の天才ミッドフィルダー、塚本
「あいつ、アトレチコ東京の10番じゃん! なんでこんなところに!」
と叫んだ。
塚本の周りにいたカザン甲州の関係者が一斉に振り向く。
芳原も、高橋兄弟も柊に目が釘付けになっていた。
柊は、飄々とした態度で、塚本に手を振っている。
「次の試合はお前んところとやるんだろ? 琉玖。覚悟しとけ!」
柊は普段は挑発するようなタイプじゃないのにどういうことだ? 審判も少し苦々しい顔をしている。
センターサークルからまた相手ボールで試合が再開された。まだキックオフから二分も経っていない。
今度は芳原はドリブルで仕掛けてきた。
芳原は右に --俺たちから見て左サイドに流れてきた。
攻撃を遅らせようと、雄二が芳原のマークについた。
明らかに馬鹿にした顔つきで、雄二をドリブルで躱そうとする芳原に対して、雄二は食らいついた。
体格差があり、雄二は吹っ飛ばされそうになったが、シャツを掴んで反則にならないギリギリのところで芳原のドリブルを止めて見せた。
その隙に芳原からボールを奪ったのはまたしても柊だった。
「走れ! 雄二!」
ボールをキープしながら、柊は雄二を使う。
直ぐに秀親がマークにつこうとした。
ポジションの受け渡しがこの双子の兄弟にしては甘かった。それほど雄二の脚は速かったのだ。
ぽっかり兄弟の間には巨大なスペースができた。柊はそのスペースに双葉を走らせていたのだ。
雄二を囮として使う作戦がまんまとはまった形だ。双葉は、そのままドリブルでもって上がり、ミドルシュートを豪快に撃った。
無情にもボールはクロスバーを叩き、大きく跳ね上がった。しかし、そこに詰めていたのはなんと柊だった。
相手のセンターバックが背後についたが、ジャンプする直前、体を相手にちょこん、と当てて相手のバランスを崩してから跳んだ。相手はもう競り合うようには跳べない。
正確にはファールだが、審判は見ていなかったのかプレーを流した。そのまま決めるかと思いきや、ヘディングでボールを落としたのはゴールの枠の中ではなかった。枠の左を大きく外してしまったかのように見えた。
しかし、そこには雄二が走り込んでいて、信じられないほど美しいボレーシュートを叩き込んだのだ!
雄二と柊は抱き合って喜んだ。
俺と双葉も近寄って行ったが、審判に早くするよう注意された。
筧さんが喜びながら手を叩いている。
「いいぞ雄二! ほかのやつらも守備をおろそかにするなよ!」
結局、柊が司令塔に入ったお蔭で、相手のシステムを完全に破壊するとともにゲームを完全に支配し、前半だけで俺たちは四点取った。芳原も、高橋兄弟もいささか意気消沈したように見えた。
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