30.わたくし、やってしまいましたわ
少々ためらいはしたものの、やはり萩乃は黙っているわけにはいかなかった。意を決して挙手する。
「大森先生。わたくし、雄猫田さんの家庭事情を少し存じていますわ」
「あら、そうなの?」
「はい。でも、プライバシーのこともありましょうから、その詳しいことは、内緒にしておきますわ」
「それじゃ仕方ないわね。他人の秘密をペラペラ話すものではないもの。でも、もし雄猫田さんに悩みごとがあって、なにか話したいことでもあるようなら、あたしの研究室にきてくれてもいいのよ。そう伝えてもらえるかしら?」
「なるべく、そのようにしてみますわ」
「ありがとう」
萩乃自身、天狼と面識はないが、兄を通せば連絡がつくだろう。
大森先生は一度頷いてから、ゆっくり講義室内を見回した。
「ねえ、他のみんなもよく聞いて。もしなにかあったら、思い詰める前に、このあたしに話してみて頂戴。きっといい解決策が見つかるわ」
「あの、大森先生」
今度は正男が手を挙げた。
「どうしたの、お手洗い?」
「違うっての。ちょっとオレ質問があるんです。先生は、学生に親身ですね? それは単に人柄がいいからという理由だけによるものですか?」
「なにが、言いたいの? なにが不満?」
「大学って、もっとドライで冷めた場所かと思ってたんで。出欠は取るんだとしても、二週続けて休んだやつの心配とか、普通しますか? 高校までだったらわかるんですけど、クラス担任もいたし。その雄猫田っていうやつも、ただサボってるだけかもしれないし、受講届け出したけどやっぱ単位棄てた、みたいな可能性もあるじゃないですか?」
(おや? 大森くん、どうなさったのかしら? どうして、そのような冷たいことをおっしゃるの? わたくしが心に想い描く彼のイメージと、少し違っていましてよ。それとも、なにかお考えあってのことなのでしょうか?)
とても解せないのだ。他者に親身になるのは、当然そうすべきだし、ましてや同じ教室にいる学友に対して無関心でいるのは、いわば罪である。それは萩乃の本心だ。
教壇に立つ大森先生は黙ったままでいる。その表情は「言いたいことを全部、思いきり吐き出してみなさい」と言いたげである。
このとき、最後列の一人が、いきなり机を両手で叩いた。
それが部屋全体にやかましく大きく鳴り渡って、続けて、席を勢いよく立つときに出る音がした。
学園を舞台にしたドラマや映画のようだ。クラス内に揉め事が起きて、話し合いをしている最中に、イラついた誰か一人が立ち上がるシーンはよくあるものだが、それと同じになってきた。
「おいキサマら、黙れ! 僕らは講義を聴くために大学きてんだ! タラタラつまらない話してるんじゃないぞぉ、女先公と寝ボケ野郎!」
「ちょっと、黙るのはあなたよ。さあ、着席なさい!」
大森先生は毅然とした態度を取った。それは焼け石に水だった。
「ぬぅあんだとぉーっ! オマエ、ぶっ殺おぉ――――っす!!」
大柄の男子が、隠し持っていた果物ナイフを手に取り、暴走を開始した。まっすぐ大森先生目がけて突進してくる。そこへ正男がすかさず立ち、バスケットボールのディフェンスに入るような形になって、先生をかばった。
暴走男が激突、それをまともに受けて刺された正男が、仰向けになって床へ倒れ込み、大きな音が立つ。刺したほうはオフェンスの構えのままポーズしている。
「きゃあーっ、大森くーん!!」
萩乃があわてて駆け出してくる。
しかし、正男の左胸にはナイフが直角に立ち、生命体反応がない。
講義室のすべての照明が段階的に落ち、窓からの光が届かなくなった。
明るくホワイトに光っていたはずの板書用電子スクリーンは、にじみ出してくるかのように、徐々に鈍い薄墨色へと変わってゆく。
大森先生も他の学生もみんな、萩乃以外の人間たちが、マネキンよろしく硬直状態となっている。
全体が灰色一色で塗りつぶされた電子スクリーン上に、とても不快な濃い血の色で、大きく表示される。
【~バッドエンド~第1話.シーンA】
この文字を見て、ようやく状況を把握できた。
ゲーム内のイベントだということを完全に忘れてしまうくらい、リアルな体験ができるのだと、萩乃はあらためて実感させられたのである。
これが、世界一のゲーム制作販売会社アステロイドゲームスによって作り上げられた可算無限世界帯域利用型ゲームの持つ魅力、他社製品の追随を許さない大きな理由になっているのだ。
(あらあら、まあ、どうしましょう! わたくし、やってしまいましたわ……どこで、なにが、いけませんでしたの?)
もうどうすればよいか考えきれなくなり、萩乃は一時中止を決めた。
脳内で呪文「タイム」を唱える。ソウルトランスファー機能が発動する。
【~ゲームオーバー~】
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