Ep1-5

 この日も、店内は家族連れの賑やかな声やテーブル席で踏ん反りながら大笑いする大学生などが代わる代わる来店しており、四六時中声がするのでフロアにいると静かになる時がほとんどない。

 そんな喧騒の中、唯一音が遮られて落ち着けるのが店舗の奥にあるスタッフルームだった。

 他のスタッフや社員の方はここで遅めの晩御飯を食べたり趣味の読書をしていたりと想い想いに休憩時間を満喫しているが、私にはそんなものを持ち合わせていないし帰ればご飯があるので、一人横たわってごろごろしている。

 入ってすぐはここまで大きな態度ではなかったが、一年の歳月が私を太々しくさせており、今となっては家の部屋とあまり変わらない姿をみせていた。

 なんなら寝ることも容易なのだが、接客業は時々予想し得ないことが起きるので、せめてすぐに対応できるようにと心得てはいる。

 けれど、一時のピークを過ぎたおかげでお客さんの話し声は時間と共に小さくなっていき、ファミレスに似合わないドンチャン騒ぎが消えて平穏な時が戻ってこようとしていた。

 このまま何事もなく一日が終わってくれれば、それ以上言うことは何もない。

 その期待を胸にスマホで時計を確認すると、休憩時間の終わりが迫っている。

 寝転ぶには丁度良い畳部屋が私をまだ掴もうとするが、ここで戻って少し働けば今日は帰れるので渋々起き上がって部屋を後にした。


「牧村さん、丁度良いところに」


 出てきてすぐに、野村さんに手招きで呼び止められる。

 

「どうかしたんですか?」

「いやぁ大したことじゃないんだけど、あそこ」


そう言って調理場の仕切りから指を差した方向には、あの後輩がまだ座っている。

それを確認してすぐに柱の掛け時計を確認すると、既に二十一時三十分を迎えようとしていた。

ここまでの情報で、野村さんの言いたいことは大まかに理解して、もう一度彼女に目を向けると静かに頷いている。


「いつもは二十一時になると帰るのに、今日はなんだか熱心に本を読んでるのよ。それは良いんだけど、そろそろ退店してもらわないと補導される時間になるから言ってきてもらえない?」

「何でホールにいないのに、そんなに詳しいんですか?」

「それはまぁ……色々と見てるからね!」


 私の問いに、野村さんは元気よくサムズアップを決めてみせる。

それはそれで大丈夫なのかと不安を覚えながら、もう一度後輩に目を向ける。

私たちの住む市の条例で、高校生は二十二時以降に理由なく外出及び各施設の利用をしている場合は補導されるようになっている。そして、ここは立地も相まって老若男女問わず人が集まるので、私含め従業員は条例の遵守と該当する人物への帰宅を促すことを義務付けられていた。

 これを守らないと私は働けなくなるし、このお店も閉めざるを得なくなってしまう。

 過去に野村さんがホールをしていた時は学生の団体客が時間になっても帰らずに居座り、最終的に警察の人に連れ出してもらうことがあったようだ。

そんな前例があるので、チーフ以上の役職は常に監視の目を光らせている。

そして、現段階でホールにいるのは私と二週間前に入った新人の子だけなので、こういう対応は必然的に私に回ってきていた。

 

「……分かりましたよ」


 本音を言えば、面倒事は一つでも引き受けるのは億劫でしかない。

 しかし、動けるのが私だけとなるとそうも言ってはいられなかった。

 幸いにも、こちらは僅かに面識のある子だったので、まだ話しかけやすい方ではある。

 気持ちを切り替えてから、彼女の座る席までの最短距離を頭に浮かべてその上を颯爽と歩く。

 そうして背後に立つが、後輩はこちらに振り向くどころが気づく素振りさえせず、ずっと本と睨めっこするように読書に勤しんでいた。

 その集中力は結構なのだが、そろそろ時間も気にしてもらわないと困るので、早速彼女に声をかける。


「あの、お客様」


 短く問いかけて反応を待ってみるが、微動だにしない。

 今度は声のボリュームを上げてもう一度呼んでみるが、依然として反応がなかった。

 仕方がないので今度は肩を数回叩いて呼びかけると、ようやく彼女はこっちを振り向く。

 同時に、後輩は耳に手を当てては中に詰めていたものを引き抜いていた。

 耳から手を離すとそこには耳栓が摘んであり、そりゃ呼んでも返事は無いかとようやく一人納得をしていた。


「お客様、高校生のようですがそろそろ退店するお時間が迫ってきましたので、早めのお帰りをお願いしております。おくつろぎのところ恐縮ですが、ご協力のほどよろしくお願いします」


 野村さんから教え込まれた精一杯の丁寧語で、早めに帰れと促す。

 その本人はというと、一瞬何のことか分からず反応がなかったが、後ろにある時計がもう二十一時をとっくに過ぎていることに気づくと、眉間に皺が寄って目が泳ぎ狼狽し始めていた。

 ようやく事態を把握してくれたみたいで、慌てて荷物を鞄に詰め込み私に一礼をしてから席を立とうとする。

 これで問題なく仕事が終わる。

 彼女が見た目通り大人しい性格の子で良かったと感謝しながら、レジへ先回りしようと身を翻していた。


 ──瞬間、後ろに体が強く引っ張られる。


 急な出来事に急いで振り返ると、さっきの一年生が私の服の端を掴んでいた。

 彼女自身も、咄嗟に出た自分の行動に驚いているようで、顔に混乱が余計に広がっている。

 このままでは自分が先に倒れて、後輩も巻き込んでしまう。

 そうなる前に引っ張られる慣性を利用し、身体を少し捻って踏ん張るような体勢でなんとか持ち堪える。

 しかし、後ろの後輩は私という支えが振り払われたことでどんどん前のめりになっていき──。

 

 そのまま地面へ一直線に顔から落ちていった。


「だ、大丈夫?!」


 その音に店内の注目を集める中、流石に言葉遣いに気にする余裕なんかなくその場でしゃがんで様子を伺う。

 程なくして彼女は起き上がり、転んだことを照れ臭く感じたのか恥ずかしそうにしていた。

 でも、それ以上に鼻から血が滴り落ちて、どんな理由があれどお客さんに怪我を負わせたことが背筋をどんどん凍りつかせている。

 

「とりあえず、一旦裏に行って手当てしよう!」


 止まらない血が私の自責を加速させ、ひとまず手当てしようと後輩の手を掴みし了承を得るよりも前にスタッフルーム目指して歩き出す。

 どうして今日はこうも色々起きるのよ……。

 ここ数ヶ月何もなかったのに、ここにきて一気にトラブルが続くことに心の中で一人嘆く。

 神様がいるのなら、ここまでしなくてもいいだろうと文句の一つでも言いつけてやりたかった。

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