第10話

 三人は、竜の視界に入らないように、死角を狙い岩陰から岩陰へと移動する。

 この場所の所謂――ヌシである三本頭の竜が噴射する炎の息は、探索者たちを容赦無く焼き殺そうと吹き荒れる。流れる地脈のエネルギーを吸収して、侵入者を追い出すためにそれは放たれるのだ。

 今、竜に対峙しているパーティーは自分たち以外にはいないようで、竜の動きも比較的大人しい。ほかの人間のミス、あるいは連携がとれずに全員焼き殺される――というのは勘弁願いたい。竜の軌道自体は単調なのだが、やり方を少しでも間違えると……ごらんの有様だ。

 地面には前回、前々回に挑み、失敗した探索者の死体がそこらかしこに捨て置かれていた。グロテスクな丸焦げ死体に気を取られないように、なるべく目の前以外のことから目線をそらしていく。

 竜の硬い鱗は刃を通さず、致命傷となり得る急所を攻撃しなければ、傷一つ負わせることも難しい……らしい。ある程度の大人数で挑まなければ足止めすることも難しいと聞く。

 逆に言えば、ここまでたどり着いた上でスルーしても構わないヌシに挑む探索者はそれなりの実力者であるので、転がっている死体が装備しているものも上物が多いのだ。

「右だっ! 右の死体!」

 ローゼリカが指さした先に転がっていたのが今日の目標のブツでもある。生前はそれなりに名の知れた武者だったのだろう、そばに転がっている装備は焼けた後でも上物だと分かった。それらも拾い上げ、持ち主の装備と違ってほぼ原形を留めない探索者の死体を担ぎ、その場を離れる。

 ――ここまでは一応、打ち合わせの通りだ。

 竜の影に隠れ、獲物を狙って待ち伏せをしていた火蜥蜴や、鬼火もどき、石鼠が三人の行手を阻む。

「……水の理、焔を打ち消し、灰は流れる……セイレーン! 呼び声に応えよ!」

 大仰な詠唱は、理由あってのことである。言葉を発することで仲間に合図を送るという行為も兼ねているのだ。彼が精霊と交信し、水の塊が魔物をなぎ払った。

 飛び散る水しぶきが全身を塗らすが、それを気にする余裕はない。

 術者以外を等しく傷つけるような協力で厄介な精霊を呼び出したらしい。

「――っ!」

 ローゼリカの頬に、一筋の血が流れた。ただこれは避けられなかった自分が悪い。力の操作よりも威力に集中して術式を組んでいるのだから、このくらいの傷は大した問題ではない。

 精霊と交信中は半瞑想状態に入るので、アランは無防備になる。それから守るために、突進してくる魔物に対してヤルキンが挑発して注意を逸らす。

 ちらちらと、魔鉱石のかけらが空中に飛び散った。

 鉱石を媒体に精霊を召喚したらしい。

 貴重な鉱石を、惜しみもなく使っては放り捨てる。何もそこまでしなくても……などと言うことはできなかった。なぜなら……

「クソ! 数が多い!」

「出口まで後何メートルですか……?」

「五十……!」

 目を閉じたアランの手を、ヤルキンは握って走る。目に入るものが集中力を阻害するのである。幸い、周囲から発生している魔力の磁場のようなものを辿ることができるので、目を閉じていても歩行に支障はないのだが、見ていられなくてヤルキンはアランの手をとった。

 人の高さほどある岩が、迷路のように行手を阻む。脳内の地図を辿るように、元きた道を逆戻りする。

「――こっちを見た!」

 ローゼリカが叫んだ。

 竜の子供が母の懐を抜け出し、こちらに向かって飛翔する。

「ヤバい! もっとスピードを上げて、走るぞ!」

 全力疾走の最中でもアランは集中を見出すことなく、精霊と交信を続けていた。

 竜は縄張り意識が強い。巣に足を踏み入れる際は退路を確保し、強力な息攻撃には注意しましょう。そんなことを、学校で教わった気がする。

「……」

 ローゼリカは走りながら背中の死体の重みを感じていた。疲労が全身を駆け巡り、ついペースが遅くなる。息が上がって、全て投げ捨ててしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと堪えた。

「ロゼ! ボサッとしてないで次はどっちに行けばいいか、早く!」

 気づくと、二手に分かれた道が目前に迫っていた。

 歩みを止めることはできない。

 岩に向かって腰に吊り下げた魔鉱石の一部をぶつけた。体ごとぶつけたので、腰に鈍い痛みが広がる。爆発をモロにくらって、火傷も負ってしまった。――けれど、ここで今死ぬよりは安いものだ。

 両手が塞がっているうえに走りながらなので、身体ごとぶつけて破裂させるしかなかったのだ。

 耳鳴りのような音が反響する。

(聞き分けろ……安全な方を……)

 全神経を耳に集中する。

 彼女が炸裂させたのは、「音鳴り」と呼ばれている探索者のための音信弾である。魔物相手にだけ聞こえる特殊な快音波を発生させる使い捨ての道具で、本来は魔物避けに使われるのだが、今回は本来とは違う目的で使用した。

 ローゼリカは産まれに由来した特殊な聴力を持っている。スプリガン族は特殊な耳の構造をしており、他の人間が聞き取れないような周波数の音でも、蝙蝠のレーダーよろしく正確に捕らえることができるのだ。

 反響する音を拾って、塞がれていない方の通路――より安全な方の道が分かるというのはこのような理屈である。

「左! 左へ入って! 次の角は右!」

 竜に追いかけられるがままに走っているので、行きの道をそのまま辿ることはない。全てがアドリブで、咄嗟の判断力が求められる。

 竜の息は遠くまで届く。逃げ惑う探索者に追い討ちをかけるように、全てを焼き尽くすかのように。

「クソ! こんなの二階層にいていい敵じゃねぇ!」

「障壁、展開!」

 アランが炎を防ぐ霧を発生させた。一つの召喚術だけでもかなりの体力を使うが、二つ目も発動させることにした。とっくの昔に二人の護符はもう使い物にならなくなっている。それらを地面に捨てて逃げる。少しでも軽くするために、仕方がないことだった。

「――ここで殺りましょう」

 アランが唐突に、二人に向かって言った。

「はぁ!? 正気か?」

 彼の手をひいたまま走っているヤルキンは、アランの正気を疑った。こんなところで、たったの三人で、逃げるしかない魔物を相手するなんて、まともな頭で考えたとは到底思えない。

 わざわざ命をドブに捨てるような狂気の沙汰である。

(とうとうこいつの心中に付き合わされることになるのか……!)

 土壇場で無茶を言い出すような人間と組むんじゃなかった。ヤルキンは説得しようと口を開きかけたが、遮るようにアランは早口でまくし立てる。

「勝算はあります。小竜一匹なら、三人でなんとかなるかもしれません……。そして、それ以上に気づいたことがあるんです。――ここの岩、動いてますよ。行きと位置が違います。これじゃあ逃げようがない。……袋小路に迷い込んでしまったんですよ、俺たちは。走り回って無駄に体力を浪費させて、弱ったところを狙い撃ちするつもりなんだ! ここに魔力が集まっているということは、つまりそういうことなんです!」

「ッ、一利ある。私もおかしいと思っていたから」

「お、お前も……?」

 ローゼリカは真っ先に反転し、死体を地面に放り捨てた。

 何かするつもりなのだ。

 辞めろ! とヤルキンが叫ぶ前に、彼女は腰から一本小瓶を取り出した。

「毒を投げるぞ!」

「おい……!」

「……はぁッ!」

 思い切り振りかぶって、投げる。

 一本二百ガレオンする、人体及び魔物に有害な水が詰まった小瓶である。有資格者なら誰でも買うことができるが誤って飲み込むと、肺に毒気が廻り、全身が痺れ、呼吸ができなくなる。目にかかれば失明、肌にかかれば火傷をする……というような危険極まりない代物である。

 しかし、その確実な有効性――有機物相手であれば大概通用するという汎用性の高さ故に多くの探索者はこれに頼っている。マストアイテムといってもいいだろう。

 ローゼリカの投擲は成功し、竜の目はドロドロに溶けた。

 鶏が鳴くよりも数段高い声をあげ、竜は母親を呼ぶ。逃げようとしたのか、洞穴の入り口に頭をぶつけてよろめいた。

「もうこうなったらヤケだろ!」

 文句を言っていたヤルキンだが、機を逃すわけにはいかず、すかさず飛び出し、剣で腹を裂いた。

 飛翔しようと体勢に入っていたが、急所に与えられた傷は大きく、竜は地面に落ちた。だが、最期の大暴れとばかりに口から炎を吹き出し、こちらの鼓膜が破れそうなほどに絶叫する。追加の攻撃を加えるのは不可能だ。咄嗟に下がったヤルキンに変わって、アランが他の二人には理解できない言葉――古代語で呪文を紡ぎ、手で印を作った。

 魔鉱石が割れ、辺りが一瞬目眩がするほどの光に包まれた。咄嗟に目を瞑り、全身を切り刻むような寒波にも耐える。詠唱の体勢に入った時に警戒しておくべきだった。ノーガードでこの突風に耐えられる者はいない。

 しばらく囂々と吹雪が吹き付ける音が響いた――。しばらくしてそれがやみ、恐る恐る目を開けた。

 ――竜の子供は全身を氷で覆われた状態で絶命していた。芸術家が彫った彫像の如く、動かない。そこから竜が氷を突き破り、再びこちらに向かってくる。そんな妄想が脳を過り、ローゼリカは構えたが、アランは全く慌てる様子もなく、仕事が一段落ついたとばかりに水筒に手を伸ばした。

「……あんた、精霊使いだけじゃなかったのか」

「はい。実は本来の専門はこちらだったりします」

 さらっと本人は言ってのけてしまった。複数の魔術を修めていることは特段珍しいことではないのだが、素人目に見てもその技術力の高さに舌を巻く。詠唱の淀みのなさ、仲間に対して遠慮がないところは欠点ではあるがそれがミスに繋がっておらず、正確に判断を下している。――悔しいが彼の実力を認めざるを得ない。

「古代語……石を触媒にする魔術、か。燃費が悪そうだけど、一撃の重さから考えれば妥当。本当に学者先生がやっているって感じだな」

 アランが握っていた拳を開くと、小指ほどの大きさの石は塵と化して散らばった。そのまま竜に歩み寄って、手持ちのナイフを抜くと凍った竜の翼を叩き折る。あまりにもあっさりと地面へと落ちて、硝子のように散乱した。

「さて、戻りましょうか」

「あ、あぁ……」

 内部に火の元素を持っている竜を、こんな風にしてしまう魔術――。こんな使い手と出会って自分のような底辺と連れ合っているという状況の異様さに、残った二人は声を上げることもはばかられた。

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