第12話:豪華客船の再会と、偽りの聖域


 横浜港の夜風は冷たい。だが、目の前に鎮座する巨大な鉄の城――豪華客船『ヴィーナス・ノア』から漏れ出る光は、その冷気を焼き切るほどに眩かった。

 この船は今夜、若き天才実業家・九条院が主催する「マスカレード・ディナー」の舞台となる。

「……ここが、戦場か」

 スタッフ通用口の前に、一人の男が立っていた。神月悠人である。

 学園の王子としてのオーラを完全に消し、顔を隠すための深いキャップとマスクを身につけた彼は、手元に届いた小鳥遊雛からのメールを忌々しく見つめた。

『神月様、お仕事の時間ですよ。報酬は「最高の背徳感」。あんな可愛い庶民の娘(三つ編み)と、誰にも見つからずに泥にまみれて働く……。神月様のようなお方には、何千万の現金より価値のある報酬ですよね? ……あ、スコアに応じた「おまけの現金」も用意しましたので、遊びの種にしてくださいね』

 悠人は奥歯を噛み締めた。

(「おまけの現金」だあ? ふざけるな、俺が欲しいのはその現生(なまくら)だけなんだよ! ……だが、壁越しに聞こえるあのひもじそうな雰囲気から察するに、あいつ(三つ編み)は相当追い詰められてる。もしあいつがミスをして連帯責任で報酬がカットされたら目も当てられない。あいつに「もう無理」なんて言わせる隙を与えず、俺が先回りして確実に「おまけ(現金)」を死守してやる!)

 同じ頃、船の反対側の通路では、西園寺麗華がサングラスと大きなストールで顔を完全に覆い、忍び込んでいた。彼女もまた、雛からの挑戦状を握りしめている。

『西園寺様、お仕事の時間ですよ。報酬は「禁断の身分違いの体験」。あの逞しい労働者(キャップ男)と汗を流し、一晩だけお嬢様を捨てる……。これ以上の贅沢はありませんよね? 西園寺様には鼻紙にもならない端金でしょうけれど、スコアに応じた「おまけの現金」もチップとして用意してありますわ(笑)』

(「鼻紙にもならない」……!? バカにしないでちょうだい! 今の私にはその端金こそが、西園寺家の屋敷の固定資産税を払うための貴重な軍資金なのよ! あの男が倒れて減給にでもなったら……私があの男を完璧にリードして、一円の減額もなく稼がなくては!)

 二人はそれぞれ、男女別のスタッフ更衣室へと分かれた。

 悠人は狭いロッカーで、持参した変装服を脱ぎ捨て、用意されていた給仕用のベストを羽織る。麗華もまた、女子更衣室の鏡の前でストールを解き、フリルのついた安物のメイド服に着替え終わった。

 そして。

 作業開始の合流地点である、照明の落とされた資材置き場。

 重い防音扉を同時に開け、二人は正面から視線をぶつけ合わせた。

「……っ、西園寺、麗華……!?」

「神月……悠人、くん……!? なぜ、貴方がここに……!?」

 静寂。船のエンジンが刻む重低音だけが響く。

 マスクもキャップもサングラスもない。そこには、隠しようのない「学園の王子と氷の令嬢」が、安っぽい制服を着て立っていた。

(……なぜ西園寺がここに!? まさか、俺の正体を探るために、あの三つ編みの女からこの仕事を強奪したのか!?)

(……嘘でしょ!? あのキャップの男を追い出して、自分の「高貴な遊び」のためにこの枠を奪ったの!?)

 二人の脳内で、超高速の「言い訳構築」が始まった。この状況で、「金のためにバイトに来ました」などとは死んでも言えない。

「……おや、西園寺さん。奇遇だね。……君も、この現場の『視察』に来たのかい?」

 悠人は、震える指先を隠すようにポケットへ入れ、あえて余裕たっぷりに微笑んだ。

「九条院先輩が主催するこのマスカレード・ディナー、現場の『実態』を知らぬ者に真の経営はできないと思ってね。あえて最下層のサーバーとして潜入調査をすることにしたんだ。……君のような高貴な女性が、まさかそんなメイド服姿で、僕と同じ『現場学習』をしているとは驚きだよ」

 麗華は一瞬、顔を引き攣らせたが、すぐにスタッフ用メニュー表で口元を隠し、傲然と笑い返した。

「ふふ、察しが良いことね、神月くん。ええ、私も全く同じ理由よ。西園寺グループの次期後継者として、労働者の士気を肌で感じるための『高貴な修行』。……このメイド服、随分と生地が粗悪だと思わない? 庶民の苦労を体験するには、これくらい過酷な衣装が相応しいと思って、あえてこれを選んだのよ」

((よし、信じた!!))

 お互いに相手を「本来のペアを追い出して、遊びでやってきた傲慢なセレブ」と定義。そして同時に「こいつは世間知らずの足手まといだ。俺(私)が完璧にこなして、報酬(現金)カットを防がなきゃいけない!」と、決意を新たにする。

 そこへ、スピーカーから小鳥遊雛の歪んだ声が響き渡る。

『あらあら、お二人とも。随分と高尚な理由をお持ちのようで。……それなら、その「高貴な使命感」で、まずは地下倉庫から「20キロの氷」を最上階のラウンジまで運んでくださる? ……あ、当然ですが、他のスタッフには内緒の潜入なんですから、機械(エレベーター)なんて使わず、階段で。……頑張って、お二人さん(笑)』

 20キロの氷。階段。

 二人は最高級の「偽物の微笑」を作り、地獄への階段へと踏み出した。

((待ってろよ(なさい)、小鳥遊……! 報酬の「おまけ(現金)」、一円も欠かさずぶんどってやる

!!))



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