第2節 彼女の目的と探し人
薪の燃える音がよく聞こえる、静かな夜。
私は目の前で焼かれる巨大な肉塊に呆然としていた。
そう言えば、故郷の祭りで作られる豚の丸焼きがちょうどこんな感じだったっけ。
「……これ、さっきの龍だよね」
「うん、龍はご馳走。美味しいんだ」
「へぇ……」
私のすぐ傍で、トワちゃんが嬉々として笑みを浮かべる。
箱庭に住んでいる、ちょっと変わった女の子。
私はどうやら彼女のお陰で、一命をとりとめたらしい。
そんな彼女がせっかく作ってくれたものを、無駄にするわけにはいかない。
だけど、自分を食べようとした生き物を食べるのは心理的に抵抗があった。
ただ、滴り落ちる肉汁の香りは、否応なしに私の枯渇した食欲を刺激する。
うう……確かに美味しそう。
私はチラリとトワちゃんを一瞥した。
「……トワちゃんはずっとここで生活を?」
「うん。生まれた時からずっとここで暮らしてるよ」
火に風を送りながら、飄々と彼女は答える。
ただ、その言葉がどうにも引っかかった。
「生まれてからずっとってことは、他にも人がいるってことだよね? 家族とか、他の人は?」
「お父さんはいたけど死んじゃった。他の人は知らない。トワが生まれた時から、もう誰もいなかったから」
「そっか……。ごめんね、辛いこと聞いちゃって」
「いいよ。ずっと前のことだから。そこのナイフ取って?」
「えっ、うん」
私は壁の近くに置かれていたナイフを差し出す。
「ありがとう」とトワちゃんはこちらを見ずに受け取った。
ずしりと重い、重量のあるナイフだ。造りがしっかりしている。
「黒曜石のナイフか。珍しいね」
「お父さんのなんだ。病気で死ぬ前にトワにくれた」
使い古されたナイフは、トワちゃんがここでどれだけ長い時間を過ごしてきたのかを、私に想起させた。
こんな巨大な遺跡の中で一人ぼっちか……。
それは、酷く孤独なことに思える。
「こんな場所に一人で暮らしていて寂しくないの?」
「どうだろ? お父さんが死んだ時、最初は泣いたな。泣いて泣いて泣き散らかした。でも、死んだ人はお日様のところに行くんだってお父さんが言ってたから、悲しかったけど、寂しくはなかったな」
「そっか。素敵な考えだね」
会話の中で、ふと疑問を抱いた。
トワちゃんはさっき、生まれた時から他の人がいなかったと言っていた。
だとしたら、お母さんはどうしたんだろう。
死産だったのだろうか。
それなら、そのことを知っていても良いんじゃ?
何か事情があるのかもしれないけど、どうにも気になる。
尋ねて良いものか迷っていると「そろそろかな?」とトワちゃんは火にかけていた肉を取り上げた。
「はい、これアキナの分」
差し出された骨付き肉を受け取る。
油が滴り、焼けた肉の香ばしい匂いが広がっていた。
美味しそう。思わずお腹が鳴る。
当然だ。龍を口にするなんて生まれて初めてなんだから。
しかも一度は私を食べた龍。
きっと、私以外にも人を食べてるよね……。
「これ美味しいの? ……香りは良いけど」
「鳥よりおいしいよ?」
いや、この際我がままは言っていられない。
私は箱庭にたどり着いた遭難者なんだから、より好みはすべきじゃない。
意を決し、私は恐る恐る肉を口に運んだ。
一口噛んでみる。
思わず表情を変えた。
「すごい! 香ばしくて、噛む度に旨味が広がる!」
肉汁が溢れ、まるで幸せが口の中に広がるみたいだ。
しかもさっき調理風景を見ていたけど、塩以外の味付けをしていた様子はない。
「塩だけでこんなに美味しくなるなんて思わなかった!」
「龍はとってもグルメなんだ。いっつもおいしいエサばっかり食べるし、果物とかも食べるから香りも良いんだよ。だから、お肉も自然とおいしくなる。アキナもおいしそうだったから、龍に食べられたんだね」
「はは……」
笑えない。
苦笑いを浮かべる私を気にもせず、トワちゃんは美味しそうに龍の肉に齧りついている。
その様子を見ていると、何だか自然と笑みが浮かんだ。
「トワちゃんは、何ていうか、意外だね」
「意外?」
「箱庭にずっと一人で暮らしてきたんでしょ? それなのに言葉は上手だし、人懐っこいし、色々知識もあって。すごいなって」
「言葉や火の起こし方や獣の知識はお父さんに習ったんだー。でも、お父さん以外の人と会ったのはアキナが初めてかも」
「仕方ないよ。箱庭は大陸から遥かに離れた場所にあるから」
箱庭は陸地から最も遠い場所に存在する遺跡だ。
実際に箱庭の存在を確認した人は、過去に一人としていない。
だけど、何故か文献で存在自体は知られている、そんな場所だった。
伝説の遺跡。
忘れられた古代都市。
それが、私の知る箱庭という場所だ。
箱庭を目指して、多くの旅人が船に乗って海に出た。
だけど、箱庭の調査を成功させた人は、いまだ存在しない。
そんな箱庭に私がこうして立っていることも、そこにたった一人で暮らす女の子とこうして会話していることも、何だか現実味のない話に思えた。
……会話?
「そう言えば、トワちゃんと私って言葉が通じてるよね。お父さんから言葉を習ったってことは、トワちゃんのお父さんは、北の大陸の出身?」
「北の大陸?」
「私の故郷だよ。トワちゃんが話しているのは、北の大陸で使われている土の言語なんだ」
「ふーん? そうなのかー。でも、お父さんが北の大陸の出身かは知らないなー」
「そっかぁ」
もしかしたら、トワちゃんのお父さんは私と同じ漂流者だったのかもしれない。
家族で船に乗っていて、嵐か何かに巻き込まれて、たまたま箱庭に流れ着いた。
そう考えると、ここに誰もいないことの説明もつく気がする。
ただ、気になるのは彼女の外見だ。
白い髪に、緋色の瞳。
肌に浮かんだ蛇みたいな黒と白の模様は……入れ墨だろうか。
そんな特殊な民族の話は聞いたことがない。
私がジッと見つめていると、視線を感じたのかトワちゃんが首を傾げた。
「そういえば、アキナはどうして龍に飲まれた?」
「えっ?」
思わぬ問いだった。
どうしよう、答えるべきか、誤魔化そうか。
いや、こんな場所で隠しごとをしたって仕方ないか。
迷った末、素直に話すことにした。
「私ね、悪い子なの。箱庭の調査船に内緒で乗り込んだんだ。お父さんを探すために」
「お父さん?」
私は小さく頷く。
「私のお父さん、冒険家なんだ。半年前、『箱庭』に向かうって言って出ていったきり、消息が途絶えて行方不明で……。私はお父さんを探すために、箱庭に向かう船の貨物室にこっそり忍び込んだの」
※
船の中の貨物室のタルにこっそり紛れ込んで、息を顰ませた。
船の揺れにも慣れてきて、どのタイミングで外に出ようか迷った時。
不意に、外から男の人の怒号や叫び声が聞こえてきたんだ。
「おい、早く剣を持て!」
「あんなのに勝てる訳ないだろ!」
「砲台はまだか!?」
「助けてぇ!」
何かに襲われているんだってすぐに分かった。
気になって、外に出たら。
眼の前に、大きな口を開けた龍がそこにいたの。
※
「それで龍に飲まれたのかー」
「うん。もう死ぬんだって諦めたんだけど、トワちゃんのお陰で助かっちゃった。本当にありがとう」
そう言ってはみたものの、どうしても表情が暗くなる。
「本当はね、船に乗っても箱庭にたどり着くことはできないだろうなって思ってたんだ」
「何でだ?」
「だって、箱庭は大陸からとても離れた場所にあるから。これまでたくさんの船が箱庭を目指したけど、どれも途中で食料が足りなくなって引き返したり、帰らなくなったりしたって。少なくとも、箱庭への渡航を成功させた人はいなかった」
「そこまでわかってるのに船に乗ったのか?」
「お母さんが死んでしまったことを、どうしても伝えたかったから」
私はそっと目を伏せた。
「流行り病だったんだ。突然倒れて、どんどん弱っていって、それでもお父さんは戻ってこなかった。だからせめてお母さんが死んだってわからせなきゃって思って、いても立ってもいられなくて、船に乗り込んだの」
お母さんのことを思い出すと、自然と拳を握りしめる力が強まった。
悔しいのか、怒っているのか、悲しいのか、自分でもわからない。
ただ、自分が冷静でなくなるのだけがわかった。
そんな私を見て、トワちゃんは不思議そうに首を傾げながら龍の肉を
呑気な彼女の姿を見て、思わず肩の力が抜けた。
「ちなみに、ここで男の人を見かけたりとかは……しないよね」
「うん。さっきも言ったけど、ここでお父さん以外の人に会ったのはアキナが初めてだよ」
「そっか、そうだったね」
すると、私が落ち込んでいると思ったのか、トワちゃんが「大丈夫!」と元気な声を掛けてくれた。
「トワもこの場所を全部知ってるわけじゃないから、まだ行ったことのない場所もたくさんある! 探せばアキナのお父さんも見つかるかもしれない!」
「そっか……。これだけ広いんだから、お父さんがどこかにいてもおかしくないよね」
確かに彼女の言う通りだ。
せっかく箱庭まで来たのに、ただ諦めて終わりたくない。
私は意を決すると、顔を上げてトワちゃんの手を取った。
「トワちゃん、もし良かったらしばらく私のお父さん探しに付き合ってくれない? トワちゃんが一緒だったら心強い」
情けない話だけど、こんな場所を一人で探索できるような力は私にはない。
だけど、トワちゃんと一緒なら――
私が祈るような気持ちで彼女の手を握りしめると、トワちゃんは太陽のような明るい笑みで手を握り返し、口を開いた。
「もちろん!」
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