神の箱庭に棲む少女
坂
第1話 トワと新米冒険者アキナ
第1節 少女の日常と非日常
その世界の中心には遺跡があった。
半分近くが海に沈んだあまりに巨大な古代都市。
四方は半壊した石造りの外壁に囲まれている。
至る場所から草木が芽生え、水がとめどなく流れるその場所は、人々から『箱庭』と呼ばれていた。
大陸から遠く離れた箱庭には誰も足を踏み入れることはできない。
だがそんな場所に、たった一人。
赤い瞳を持つ少女の姿があった。
少女の名はトワと言った。
トワは箱庭の外壁に立っていた。
普通の人なら姿勢を崩しそうな強風の中で、揺らぐことなく立っていた。
肩まで伸びた白銀の髪がたなびき、太陽を模した刺繍の入った服がはためく。
肌には白と黒の紋様が浮かび、紋様は顔以外のほぼ全身を覆っていた。
どこか遠くで鳥の鳴き声が聞こえる。
合図を受けたかのようにトワはそっと目を開いた。
遥か階下に、蛇にも似た巨大な生物が蛇行しながら飛翔している。
龍である。
「来た」
トワは深呼吸すると、ふっと息を吐き出し、思い切り体を倒した。
重力に逆らわず、走るように落下する。
刹那、激しい海流のような風がトワを包んだ。
空気を裂く音が鼓膜を震わせる。
だがトワは恐れることもなく悠然とその中を進んだ。
その姿は、さながら海を泳ぐ魚のようでもあった。
トワに羽はない。
龍のような浮力もない。
ただ、トワは自らの身体の使い方を熟知していた。
身体の可動域や、強度や、できること、できないことを本能的に把握し、それらをコントロールする術を知っていた。
それだけだが、それで十分だった。
壁を蹴り、速度を上げ、凄まじい勢いで龍が近づく。
トワに気づいた龍が思い切り口を開いた。
飲み込もうとしている。
だがもう止まれない。
もうすぐ龍の口にトワが飲まれそうになる――その時。
トワは身体を捻り、自身の軌道を無理やり変化させた。
飲まれそうになったトワの身体が龍の鼻先をかすめ、背中へ流れる。
トワの右手にはすでにナイフが握られていた。
トワは自身の回転運動を用いてナイフを龍の背中に突き立てる。
落下で加速した速度も助力し、ナイフは一気に龍の背中を縦に裂いた。
その一撃は咆哮する間も与えず龍を絶命へと至らしめた。
命を失った龍は浮力を失い空中で静止する。
そしてすぐに落下を始めた。
トワはそれを見逃さない。
近くの壁を大きく蹴ると、体当たりに近い形で龍の死骸にぶつかった。
そのまま龍の巨体もろとも近くの足場へと飛び込む。
龍の死体を抱きかかえたトワは、建物へ打ち上げられた。
「やったぁ、今日はごちそうだぁ」
龍の死体を見たトワは喜びで目を輝かせた。
――太陽暦三五二二年
「今日は随分と下まで降りちゃった。なぁテト?」
「クェッ」
のんびりとした口調でトワは言う。
その肩には緋色の鳥が止まっていた。
先程鳴き声を上げていた鳥だ。
鷲のような爪と犬のような四本の足。
背中には真紅の羽を持つ、奇妙な鳥。
その鳥をトワはテトと呼んだ。
トワたちの前には、先程の龍の死骸があった。
トワは龍に向かって両手を重ね、静かに祈りを捧げる。
「お日様、今日も元気なごはんをありがとうございます」
祈り終えると、早速、龍の解体へと取り掛かった。
龍は鮮度が命だ。
時間が経つとどんどん肉が固くなってしまう。
美味しく食べるには、死んでから数時間以内に捌き終える必要があった。
血を抜き、内臓を取り出し、一気に皮を削ぐ。
近くの水場で洗浄して肉を裂いた。
部位ごとに切り分け、分別していく。
今日食べないものは海の水で塩もみして干し肉に。
余ればこの辺りの動物の餌にする。
捌いていると、胃になにか巨大なものが入っているとわかった。
鹿でも食べたのだろうか。
トワは興味本位で胃を裂いてみる。
ギョッとした。
中に人がいたからだ。
赤い髪をした、端正な顔立ちの美しい少女。
見た目は十六、七歳程だろうか。
身軽な服装をしていることから、旅人が龍に飲まれたのだろうと推測した。
トワは少女の口元に耳を当てる。
まだ呼吸をしていた。
身体の一部も消化された様子はない。
飲まれて時間が経っていなかったのだろう。
「テト、ちょっとお肉見てて」
「クェッ」
トワは少女を背負うと、近くにある水場へと走る。
箱庭には至るところから水が流れていた。
どういう仕組みで流れているのかをトワは知らない。
少なくとも、これまで水に困ったことはなかった。
少女の口に水を含ませ、口に手を突っ込む。
龍の粘液を水と絡めて薄めたあと、掻き出した。
間もなく「うぇっ、おぇっ」と少女がえずく。
「ゲホッゲホッ! うぅ……臭い。何これ、最悪……」
「目ぇ覚めた?」
少女はゆっくりとトワを見る。
意識が朦朧としているのか、視線が定まらない。
「ここは?」
「トワの家だよ?」
「家……?」
少女は辺りを眺める。
崩れた壁からは日が差し込み、床の亀裂から草が生えている。
およそ家には見えない場所に少女は一瞬怪訝な顔をしたあと、ひび割れた天井に視線を戻した。
「夢でも見てるのかな。私、どうなったんだっけ……」
そこで少女はハッとして身体を起こした。
ぶつかりそうになり、咄嗟にトワは仰け反って回避する。
「そうだ、私、調査船に乗り込んで……そこで龍に襲われたんだ! あの時、確かに死んだと思ったのに!」
「トワが助けたんだよ? 消化される前で良かった!」
「あなたが……あの巨大な龍を? 一人で?」
「うん。龍を狩ったら中から人が出てきたからビックリした! 人に会うのはひさしぶりだなー!」
「龍を……狩る?」
少女は驚愕の表情でトワを見つめ、やがて龍の亡骸に目を留めた。
それはトワの言葉が真実であることを物語っている。
「じゃあ……あなたは私の命の恩人?」
「たぶん?」
「そっか、本当にありがとう!」
少女はトワの手を取り笑みを浮かべる。
その言葉にトワは照れ臭くなりはにかんだ。
人から感謝される経験をトワはあまりしたことがない。
「そういえばまだ自己紹介してなかったね。私はアキナ。北の大陸に住んでるの。えっと、あなたは……」
「トワ」
「トワちゃんって言うんだ。変わった名前だね」
「そうかな?」
「うん。私の故郷では聞いたことないかも」
するとアキナは、ふと思い立ったようにキョロキョロと周囲を見渡し始めた。
「そういえば、ここは一体どこなの?」
「わかんないけど、トワは『箱庭』って呼んでる」
「箱庭?」
アキナは慌てた様子で立ち上がると、壁に空いた穴から外を眺め、絶句していた。
いたるところに張り巡らされた水路。
流れ落ちる水。
壁には蔦が張り付いており、鮮やかな緑色の葉っぱを生い茂らせる。
巨大な建築物は半分以上が木々に侵食され、その間を鳥たちが飛び交っていた。
天から差し込んだ陽射しは自然を美しく彩り。
穏やかな水流の音に紛れて、かすかに波の音が響く。
雄大な古代遺跡の光景がそこにあった。
「すごい……私、あの箱庭にいるんだ!」
アキナはトワの手を取り、ぶんぶんと嬉しそうに振り回す。
バランスを崩しながらも、トワはアキナの喜びを受け止めた。
「やったやった! すごいぞ! 全世界の憧れの地に、私は来たんだ!」
「憧れの地?」
アキナは踊るように飛び跳ねまわる。
そんなアキナの様子をトワは不思議そうに眺めた。
不意に「クェッ!」と鳥の鳴き声がした。
見るとテトが龍の肉のそばでトワを呼んでいる。
「ごめんごめん、ごはんの準備の途中だった」
「その変わった鳥は?」
「友達だよ。テトっていうんだ」
トワがそっとテトの頭を撫でると、テトは「クェッ!」と元気な鳴き声を上げた。
「アキナ、お腹減ったでしょ? ごはんを食べよう。人と食べるのはひさしぶりだから、なんだかうれしい」
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