第2章
第37話 肋骨は折られるためにある
目が覚めたとき、僕は見覚えのある場所で仰向けになっていた。ふかふかのベッド、清潔感のある空間、そして──体に繋がれた色とりどりの紐。
ここはレジスタンス本部に併設された病院なのだ。
僕はここに至るまでの過程を必死になって思い出した。
イェソドの異能で生み出された悍ましい生命体が脳裏に浮かぶ。同時に強烈な腐敗臭が漂った気がした。
恐怖の権化は僕の思考を支配し、内臓を壊死するほど冷たくなった指先でなぞるような感覚を覚えた。
思わず口を押さえ、近くにあったゴミ箱に胃の中身をぶちまけた。どれほどの時間が経っているのかは定かではないが、出てくるのは胃液ばかりで、食道が焼けるような痛みを感じた。涙がじわじわと出てくる。
呼吸を整えて再びベッドで横になっていると、部屋に人が入ってきた。それは上下黒のスーツに白衣を羽織った、普段通りの格好のシェリルだった。髪も一つにまとめられ、華やかさは微塵もない。
「元気かしら?」
そう言ってシェリルは持ってきた折りたたみ椅子に腰かけた。優しさの感じられる表情を浮かべる。
「……ええ、まあ。脇腹が痛いこと以外、異常はありませんよ」
僕が上体を起こして答えると、
「それなら良かったわ。ホロコーストの二人があなたを発見したとき、失神していたそうよ。しかもスプラッタ映画もびっくりなグロテスクな姿だったみたいね」
シェリルは声色こそ明るいが、苦虫を噛み潰したような表情を見せ、酸鼻をきわめて言った。
「……体が溶けていくのは覚えています」
思い出すと皮膚が粟立った。そして表面が焼けるような幻の痛みを感じ、ベッドのシーツを握りしめた。
「そうそう、イェソドの異能生命体によってね……」
シェリルは微笑んで僕の頭をぽんぽんと撫でた。
「……ちなみに僕の体はどうなっていたかを訊いてもいいですか? 今は肋骨以外、綺麗に治っているようですし」
僕は自分の溶けたはずの肌を愛おしそうに触って言った。
「それを話してもいいのだけれどね……かなりショッキングだから……その覚悟はできてるかしら?」
僕がコクリと頷くと、シェリルは悲痛な表情で話し始めた。
シェリルが話し終える頃、僕は震えていた。見えてはいけないものが見えていたのだ。それはとてつもなく恐ろしいことだろう。
あと少しホロコーストの二人による救助が遅れていたら、僕はもう死んでいるところだった。
体はぐちゃぐちゃに溶け、一部は原型を留めていなかったにもかかわらず、元通りになっている理由も訊ねた。
するとシェリルは、特異体と同化した人間の血液は恐ろしいほどに治癒力が上がっており、本人以外も浴びれば同様の効果が得られる、と教えてくれた。
故に同化した人間はそうそう死なないらしい。全身にそのようなものを循環させているのだから、当然だろう。
シェリルは続けてホロコーストについて話してくれた。
ホロコーストは特異体と同化し、人間ではなくなった最強の殺戮兵器のような集団だと言った。簡単には死なないし、致命傷以外はすべてかすり傷というぐらいには強いのだ。
そんなホロコーストの人たちにも弱点は存在する。それは欠損した部位は元には戻らないということだ。つまりは腕を切断しただけならくっつければ済むが、跡形もなく消し飛んだ場合はもう元には戻らない。
シェリルはどこか悲しげに次の内容を話した。
特異体と同化し、そこそこの戦果をあげれば、ホロコースト部隊に所属できる。それはレジスタンスでは確実に出世と呼べるものだが、当然ながらデメリットが存在すると言った。
インテリゲンツィアとレジスタンス共通のルールとして、特異体と同化した場合は即座に生殖機能を喪失させなければならないというものがある。
万が一、新たな生命が誕生した場合を恐れているのだ。その子供は特異体を受け継ぐのか、親の特異体が変異するのか、はたまた消失しているのか──。
それをインテリゲンツィアはまだ完全に解明できていないので、最初から生み出すことがないように対策したのだ。
僕には生殖機能を失うことの悲しみはよく分からない。自分は絶対に産むつもりがないからだ。だがもし妹がそうなったら悲しいと思う。誰の記憶にも残らないような至って普通の、なんの変哲もない家庭を築いてほしいから。
こうして話を聞いていると、その日は終わった。シェリルから有用な情報が得られてよかった。
僕は三日ほどで退院した。当然ながら肋骨はまだ完全にはくっついていないので、もうしばらくは自室で静養することになるだろう。
シェリルの護衛任務から既に一週間ほど経っており、ナスチャが心配になっていた僕は自室へと急いだ。
お腹を空かせているかもしれない。餓死していたらどうしよう。
部屋の扉を勢いよく開ける。すると──そこには誰もいなかった。
テーブルに置いたナッツを入れた皿は床で粉々になっていた。砕けたナッツもそこらに散らばっている。食べようと思っていたアイスクリームの容器が空っぽになって落ちている。
掛け布団は引き裂かれ、壁にも無数の亀裂が入っていた。ティッシュも箱からすべて出されている。それらで部屋の床を埋め尽くしていた。
「おいおい……僕がいない間になにがあったんだよ……戦争でもしたのか……?」
呆然と立ち尽くしている僕の視界に一枚の場違いな葉が入った。
それを手に取ると、下手な字でこう書かれていた。
『鳥さんは捕まえた。返して欲しけりゃ病の森に来てね』
全身の血液が沸騰したのを感じる。
僕はすぐさま一通りの装備をして自室を飛び出した。
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