第18話 失われた街 前編
駅を出たらそこは廃墟のようになっていた。草木は生えておらず、人の気配もしない。
辺りは静寂に包まれ、冷たい風が吹く。
鳥肌が立ち、寒さに耐えられない僕はすぐにボストンバッグから黒のロングコートを取り出した。北上するということで、レジスタンスから支給されたものだ。
「……なぁ、ナスチャ? ここが目的の場所で合っているんだよな? 昼だってのにほとんど人の気配がしないんだけど……」
「合ってるよー。まあここ、随分前に原子力発電所が壊れて以来、人が寄り付かなくなっちゃったみたいだからね、仕方がないよ」
ナスチャが頭の上でもぞもぞと動く。
「うんこしたら解体するからな」
「しないよ!」
食い気味で否定し、僕の頭を羽でペチペチと叩く。
「それでどうすればいいんだ? 僕はこれからどこに行けばいい?」
「自分で考えなよ、脳みそが溶けるよ。任務の内容を思い出せば何をすればいいのか分かると思うけど」
ナスチャは呆れたように僕を見る。
ポーチから一枚の紙を取り出し、任務の内容を確認する。
「……最近、ここらで吸血鬼の被害が多く出ているのか。だからそれを恐れて引きこもってるのか?」
「知らないよ。ぼくが知ってるのは、この街はきみが昔住んでいたところみたいに、ならず者の掃き溜めになっているってことぐらいだよ」
「要するにスラム街なんだな。まあでも、そんな必要のない人間がいくら死のうとどうでもいいだろ」
思い出す。あそこでは人の命に価値はなかった。
「同感。でも吸血鬼が人間を食べると強くなっちゃって手がつけられなくなるから、その前に倒しておこうってことでしょ。実際に異能持ちにきみは勝てなかったし」
「……その通りです」
夜中のことを思い出す。
「なあ、ナスチャ……ありがとな」
ナスチャが恥ずかしそうに視線を逸らす。
「なにさ、急に」
「あの子の目を治してくれて」
「……だってあまりにもかわいそうだったから……治してあげただけ。だから別に、きみに感謝されるようなことはしてない」
ナスチャの頭を撫でると、
「でも、二つのことは感謝してよね」
と頬を膨らませた。
「なんのことだ?」
「一つは眼球好きな吸血鬼を、異能でぶっ倒れてるきみの代わりに倒してあげたこと。もう一つは案の定亡くなってた運転士の代わりに運転してここまで無事に列車を走らせたこと」
「ありがとな。一つ疑問なんだが、どうしてその体で運転できたんだ?」
「知りたい?」
ナスチャが不敵に笑うと、腹部の模様が歪み、朱色の触手となって僕の目の前に垂れて蠢いた。
小さな悲鳴をあげる。僕のトラウマをほじくり返さないでほしい。
「ね?」
「分かったからそれをしまってくれ」
しばらく街を歩いていると、周辺の建物からの視線を感じた。
「一応、人はいるようだな」
「そうだね。ここら辺は治安が悪くなってるから気をつけてね」
「分かってる。君は僕が今までどこで暮らしていたか知っているだろ? 注意すべきことは理解している」
建物の隙間に人間だったものが座り込んでいる。小刻みに震えながら、腕に注射器を刺している。
「人間の成れの果てを久しぶりに見たな。あのスラム街を出てからはほとんど見なかったよ」
「レジスタンス本部がある地区はそこそこ治安がいいからね」
「こういう人間がいてくれるから、今の僕がいるというのも複雑だな」
「と言うと?」
「スラム街に住んでいてヴィオラがまだ小さかった頃、僕は違法薬物の製造や販売をしていたんだよ。それのおかげでしばらく暮らせたんだ。でもギャングに目をつけられたら終わりだから、少ししてやめちゃったけど」
そう笑って語ると、
「……セシリアってなんでもできるんだね」
とナスチャは呆れ気味に言った。
廃墟続きで一切の変化がない風景に飽き飽きしていると、それを覆すような出来事が起きた。
「……吸血鬼の臭いがする」
僕は駆け出した。さっさとこの任務を終わらせて何もないこの場所から帰りたいからだ。
裏通りから漂う嫌な臭いを辿っていく。
臭いの発生源を見つけた僕はクレイモアを構えた。壁に付いた多量の血液が悲惨さを物語っている。
そこには純白のエプロンと丈の長い黒色のメイド服を身につけた長い黒髪の長身の女性が立っていた。右手には鉈を握りしめ、左手には中身の見えない黒の大きな袋を持っている。
「……あら、レジスタンスの方ですか」
こちらを向いた女性の顔には目元を隠すヴェネチアンマスクが付けられているが、瞳は見えた。
綺麗な赤色をしている。
「お前がここらで増えている吸血鬼による被害を生み出しているのか?」
すると吸血鬼は首を横に振り、
「いえ、私はなにもしておりません」
と即座に否定した。
「じゃあそこの血はなんだ。人間を食い殺したんじゃないのか?」
語気を強める。
「食べるつもりですが、殺してはいません。私はあくまでも死体の処理をしているだけです」
「……どういうことだ?」
「私はたしかに吸血鬼ですが、人間を殺してまで食べたりはしません。飢えと渇きを満たすには死体で十分なのですよ」
声の調子を一切変えずに淡々と話す。
「それを信じろって無理な話だろ」
ナスチャを地面に下ろし、僕は踏み込んで間合いを詰めた。そしてクレイモアを振り下ろした。
すると同時に吸血鬼は持っていた袋と鉈を置いて、こちらに接近した。間合いは素手にとって有利なものになる。
瞬間、クレイモアを握る手を掴み、捻り上げた。痛みから手の力が抜けて得物が地面に転がる。続けて素早く僕の首に腕をかけると、一気に絞め上げた。
それは訓練された動きで一切の無駄がなく、避けられなかった。
それから逃れることはできずに僕は意識を失った。
意識が戻ったとき、そこは見知らぬ場所だった。絞め倒されたあの裏通りとは違い、清潔感のあるベッドに寝かされており、制服は脱がされている。
インテリゲンツィアからの支給品の服は脱がせなかったようで、着たままになっていた。
上体を起こして辺りを確認すると、近くの机に装備一式、椅子にナスチャが座っていた。しかしナスチャはうとうとしていて起こすのも忍びなかったので放置して制服を着た。
ナスチャをそっと抱きかかえて部屋を出ようとすると、
「あら、起きたのですね」
と先ほど首を絞めてきた吸血鬼が入ってきた。トレイに輪切りのレモンと液体が入ったピッチャーを一つ、コップを二つ、浅い器を一つを載せて。
ヴェネチアンマスクを取っており、綺麗な顔を見せた。
「……これはどういうことか訊いてもいいか?」
手も足も出ないような相手に飛びかかるのはやめよう。
吸血鬼は僕たちを椅子に座らせると、コップと浅い器にピッチャーの中身を注ぎ、机に置いた。
ナスチャも起きたようで、申し訳なさそうに僕を見る。
「私はエリザヴェータと申します。私はあなたたちに危害を加えるつもりはありません」
「……ならさっき僕を絞め落としたのはなぜだ?」
「私も死にたくはないのです。だから反撃させていただきました。しかし、殺すことは疎か、かすり傷一つ付けていないでしょう?」
僕は体を確認する。確かに傷はないようだ。
「……なぜ僕を殺さなかった?」
人間を攻撃しない吸血鬼など聞いたことがない。
「私は人を殺さないと決めております。先ほども申し上げた通り、飢えも渇きも死体で十分満たせるのです」
「そうか……ではなぜ僕は今ここにいるんだ? あとここがどこか教えてもらおうか」
「その前に謝ることがあります。あなたを失神させたあと、そちらの鳥が襲ってきたものですから、少々乱暴に躾させていただきました」
するとナスチャがプルプル震え出した。どうやらエリザヴェータによってバイブレーション機能が追加されたようだ。
「あなたの質問に答えます。あのような治安の悪い場所で少女が倒れていたら格好の餌食になってしまいますので、勝手ながら私の自宅に連れ帰らせていただきました」
「それはどうも」
「あと、ここは先ほどの裏通りを出てしばらくしたところにある森の小屋です。森全体に人避けの薬を散布していますので、まず人は訪れないでしょう」
エリザヴェータがコップの中身を胃に流し込み、
「これはレモン水ですよ。大丈夫です、毒は入れていませんから」
と言って優しく微笑んだ。
しかしその言葉に説得力は一切ない。なぜならこの部屋の棚に怪しげな色とりどりの小瓶が並べてられているのだから。
するとナスチャが浅い器からそれを飲んだ。
一瞬の間を置いて、ナスチャが苦痛に満ちた顔をする。
「大丈夫か、ナスチャ?」
僕がクレイモアに手をかけ、エリザヴェータを睨む。
「酸っぱい」
「……毒とかじゃなくて?」
ナスチャはコクリと小さく頷き、
「ただ酸っぱいだけ……でも……想像を絶する酸っぱさ……」
と言った。
僕は満を持してそれを一気に胃に流し込んだ。瞬間──絶望した。強烈な酸味が味蕾を刺激し、喉、食道、胃へと続き、粘膜が荒らされるような感覚を覚えた。
声にならない叫びをあげる。
「……そんなに酸味が強かったですか?」
エリザヴェータが首を傾げる。それもそうだ。ピッチャーには輪切りのレモンが三枚入っているだけなのだから。
「……果汁を入れすぎたかもしれないですね」
どうやら輪切り以外にも絞ったものを入れていたようだ。
僕たちは揃って机に突っ伏し、念仏のようにただひたすらに酸っぱいと言い続けていると、いつの間にかエリザヴェータが水を持ってきて、
「これをどうぞ」
と差し出した。
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