第17話 地獄への片道切符 後編

 車両に静寂が訪れたかと思えば、車両の接合部の扉が勢いよく開けられ、頭部が無残なことになっている小太りの脂ぎった中年男性が転がり込んできた。高級そうな服に身を包んでいる。

「レジスタンス……頼む、助けてくれ……」

 声を震わせながら青白い顔で僕に縋る。

「こちらの車両で吸血鬼が……」

 どうやら列車に乗り込んだ吸血鬼は一体ではないようだ。僕の睡眠を妨害するならすることは一つ。

 ──絶命させる。

「どこに行く! 私を守ってくれ! 金ならいくらでも出す! 死にたくない! 死にたくないんだ!」

 男が声を荒げて僕の脚を掴んだ。同時に全身の皮膚が粟立つ。

「なぜ僕がお前を助けなければならない? あいにく慈善団体じゃないのでな。仕事は吸血鬼を殺すことだ。間違っても金をもらってお前を護衛することじゃない」

 僕の存在理由を否定してくれるな。

 大変不愉快だったので容赦なく男の首を切断した。皮膚が裂け、骨が砕けていくのが感じられた。吸血鬼とは異なり、とても柔らかい。

 脚を掴んでいた手から力が抜け、力なく胴体とともに床に転がった。

 不快とはいえ、反射的に人を殺してしまった。

「……なあ……ナスチャ……これは正当防衛ってことになるよな? 今までに一通りの犯罪行為をしてきたが、さすがに殺人はないんだ……」

 自分の足元に転がっている、頭と体が織姫と彦星状態になった死体を見て言った。血だまりができていく。

「僕に罪はないよな。遅かれ早かれコイツは吸血鬼に食い殺される。だから問題ない……よな?」

 声が震える。初めての殺人に動揺し、指先の感覚が薄れていく。同時にクレイモアが地面に音を立てて転がった。

「……人間は愚かだからね。だから別に殺してもいいんじゃない? でもちゃんと死体の偽装はしといたほうがいいよ。一人だけ綺麗に残っていると、やっぱり不自然だからさ」

「偽装ってどうやればいい? 解体すればいいのか?」

 自分に殺人の罪がかかるのは堪ったものではない。だから僕は迷いなく男の死体にクレイモアを振り下ろした。

 一時期死体の処理の下請けをしていたこともあり、解体自体はスムーズに進んだ。適当に内臓を取り出してはバラバラにしてそこら辺に放り出す。それの繰り返しだ。四肢の関節も刃先を入れて決まった方向に動かすと簡単に取れた。当然、この四肢も放り捨てた。

「……きみ、なかなかえげつないことするね。それも手際よく。ぼくも少し驚いたよ。普通じゃないとは思っていたけど、まさかここまでとは……」

 ナスチャは僕に異物を見るような視線を送ってきた。

「そりゃ死体処理の仕事していたからな。金はよかったんだが、家に帰るたびにヴィオラに臭いって言われて精神的に辛かったからすぐにやめちゃった」

「精神的に辛いっていうのが死体処理に対してじゃなくて妹に臭いって言われることなの……」

 ナスチャが困惑した表情をみせる。

「そりゃ最愛の家族に言われたら悲しいだろ! その日は一緒に寝てくれなかったんだぞ! あれがどれだけ辛かったことか……」

「……ああ、このシスコンはダメだ」

 ナスチャは僕を汚物を見るような目つきで呟いた。

「おい、お前今シスコンって言ったな」

 頭に乗っているナスチャの頬をつまんで横に引き延ばす。

「事実じゃん。って痛いから離してよ」

「家族を愛するのは当たり前だろう!」

「……そうだね」

 不服そうに言うナスチャをペチペチと叩いて、僕たちは吸血鬼のいる前方の車両に移った。


 そこは恐ろしく静かだった。個室の扉が開いており、中が見える。部屋は広く、ベッドも自分のところとは大違いでふかふかしている。そこに死体さえなければ間違いなく僕は寝ていただろう。

「ありゃ……こっちももうダメだね」

 ナスチャが地面に転がっている死体を見て言った。

「なあナスチャ、この列車って運転はどうなってるんだ?」

「人がやってるから、その人たちが殺されてるととってもまずいよね。操作できる人間がここにいるとも思えないし」

「当然僕は運転できないからな」

「知ってる」

「じゃあ、安否確認しに行くとするか」

 床に転がっている死体を踏まないように進んでいく。先頭車両に近づくたびに嫌な臭いが強くなっていく。

 苦悶の表情で絶命している人間だったものをいくつも見た。本来あったはずの器官がなくなっている。

「もう生きている人間なんていないんじゃないか? 吸血鬼も前後から同時に襲撃とはよくやったもんだな」

 空いている部屋を見ると、ベッドの下から這い出るようにして五、六歳──ヴィオラと同じくらいの幼い女の子がうつ伏せに倒れていた。

 他の乗客とは異なり、体は原型をとどめている。そしてまだ生きているようだ。死の臭いがしない。

「大丈夫か?」

 駆け寄ってその幼女を抱き上げた。顔を見て思わず小さな悲鳴をあげた。なぜなら彼女の両目だけが抉り取られていたのだから。当然、これまで見てきた死体は眼球がなくなっていることはよくあった。しかし同時に体が見るも無残な状態になっている。だからこそ異様だったのだ。

 ベッドに寝かせて、顔に付いた血液を拭う。

 ナスチャが幼女の隣に飛び降りた。

「やられたのは目だけか?」

 今にも死んでしまいそうなほどに弱っている幼女がコクリと小さく頷いた。一人、真っ暗な世界で戦っている。それを僕が助け出さなければ。

 僕は幼女の頭を撫でて、

「これを治せるか?」

 と幼女の眼窩を指差し、ナスチャに訊ねた。すると、

「できなくはないけど、やりたくない」

 と断られてしまった。

「どうしてだ? お前がつつけばこの子はまた光を拝める。治せるなら治してやってくれ。頼む……お願いだ……!」

 ナスチャの声色が低く冷たいものになり、僕に軽蔑の視線を送る。

「どうしてきみはこの子供を助けようとするの? さっきの男の人は容赦なく殺してバラバラにしていたのに。同じ一つの命だよ? なのに優劣をつけるの? それとも──」

 一拍置いて、

「──いなくなった妹への償いとか?」

 と続けた。

 心臓を握られたような感覚とともに、嫌な汗が流れる。

「なーんだ、図星なんだね。見損なったよ。きみは最低だ。人間のクズ──いや、邪悪そのものじゃないか。きみの自慰行為にぼくを使わないでよね、気持ち悪いから」

「それでも僕は……」

 事実だ。妹と同じぐらいの子供を助け、あのときの失敗をなかったことにしたいと心のどこかで思っていた。

 自分はもう汚れている。殺人をした瞬間を境に、僕は人間の形をした悪魔になってしまったようだ。

「……けんか……しちゃ……だめ……おかあさん……いってた……だから……なかよく……して……」

 幼女が絶え絶えに言葉を紡ぐ。

「……ごめんな。僕では君を助けられそうにない」

 僕は拭っていたハンカチを幼女の顔にかけ、手を合わせた。

「唯一神の救いがあらんことを」


 ナスチャを部屋に置いて車両を移動した。

 運転室近くのレストラン車両に入ると、そこに目当ての吸血鬼がいた。テーブルに座って足をバタバタとさせながら鼻歌を歌っている齢一桁の女の子の見た目だ。あまり手入れのされていない長い金髪を下ろしている。

「あ、まだ人間がいたんだー」

 持っている透明なビニール袋には血まみれの球体がいくつも入っている。幼女はそれを一つ取り出すと口に入れた。グチュりという潰れる音が静かな車両に響く。

「まだあと二つ手に入るんだね。ラッキー」

 吸血鬼が嬉しそうにテーブルからひょいと降りると、自身の額に触れた。するとそこに新たな瞳が生み出される。ゆっくりとまぶたを開け、こちらを見据える。

 同時に体が硬直した。全身の筋肉が脳からの指示を受け付けない。いくら動けと命令しても反応がない。そして少しの間を置いて意識が混濁してきた。

「わたしはね、人の目を食べるのが好きなの。今までいろんな人の目を食べてきて、思った。なんで目は二つしかないのかなって。そうしたらこの異能力が使えるようになったわ」

 目を細めて僕を睨む。

 生殺与奪の権を握られた僕はなすすべなく床に倒れ込んだ。意識が朦朧とする。近づいてくる吸血鬼の足音が聞こえたのが最後だった。


 次に目が覚めたとき、既に外は明るくなっていた。うつ伏せのままで場所も変わっていない。

「……どういうことだ?」

 鈍い頭を回転させ、意識がなくなる前のことを思い出す。僕はとっさに体の状態を確認した。どうやら確認できる範囲で身体の機能に異常はないようだ。

 ゆっくりと立ち上がり、前方を見る。眼球が詰められたビニール袋だけが床に残っていた。

 血と死の臭いだけが空間に充満し、幼女以外の生きている人間の臭いや吸血鬼の臭いはしなかった。

 頭が割れるように痛む。

「……ナスチャ……ナスチャはどこにいるんだろう……探さないと……」

 僕はナスチャを放置した部屋に戻る。

 扉は閉まっていたが、鍵はかかっていないようなので開けた。中には幼女が一人ベッドで横になっているだけで、ナスチャはいなかった。

 僕は幼女の頭を撫でる。

 すると彼女は起きていたようで、目を開けた。抉り取られたはずの瞳が回復しており、綺麗な碧眼が僕を見つめる。

「……治してもらえたんだな」

 幼女は首を傾げた。

「なんのこと?」

「……昨晩、怖い夢を見なかったか?」

 そう訊ねると、幼女は頷いて、

「外がうるさくて……おかあさんがわたしをベッドの下にかくして……それで……真っ暗になっちゃった」

「そうか、分かった。怖い夢を見てしまったな」

 僕は幼女を抱きしめた。

「でももう朝になった。怖いことはもうないから安心して」

 頭を撫でる。幼女は僕の顔を見つめて、

「……おかあさんはどこ?」

 と訊いた。

 答えに困った。途中に見た女性の死体のどれかだろう。無残な姿になっており判別できない状態だから、『君のお母さんはどれ?』という質問もできない。

 正直に死んだことを伝えるべきなのだろうが、僕にはできなかった。


 列車が駅に到着した。それと同時にレジスタンスと似た制服を着た男性が続々と乗り込んでくる。空間はすぐに指示と怒号で満たされた。

 彼らの腕章には[Restore]と書かれている。

 リストア──男性のみで構成されているレジスタンスの部隊の一つだ。任務の内容は元に戻すことで、主に遺体の回収、証拠の隠滅を行っている。

 呆気に取られた僕たちをよそに、彼らは死体を着々と運び出していく。僕はその光景を見せまいと幼女の目を隠した。

 どさくさに紛れて列車を出ると、ちょうどナスチャがやってきた。相変わらず地面をひょこひょこと跳ねて移動している。

 僕はリストアの人に幼女を引き渡すとナスチャを頭に乗せ、終点の駅を去っていった。

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