第10話

 幸也君と一緒に、私は夕暮れの学園を目的の場所へと向かった。

 校舎から聞こえてくるざわめき。開放の喜びが学園全体を包み込んでいるように思えた。早くもグラウンドに駆け出す野球部やサッカー部の部員たち。肩をぶつけるようにしてふざけあう男の子たちや、お喋りに花を咲かせる女の子たち。何ということもない放課後の景色が、今の私にはひどく大切なものに感じられる。

 放課後は、きっと明日もやってくる。けれど、その数には必ず限りがある。馬鹿な私は、そんな当たり前なことに、急な転校が決まって初めて気が付いた。気の合う仲間たちと過ごす楽しい時間は無限じゃなかった。どんなに嫌だと思っても、別れの日は間違いなくやってきた。

 すべてにおいてそうなんだと思うと、何だか怖くなった。お父さんやお母さんと話をする時間にも、弟のくだらない冗談に付き合ってやる時間にも、ペットとたわむれる時間にも、見えないけれど限りがある。

 でも、だからこそ、そう知ったからこそ、と私は前向きに考えることにした。自分自身を奮い起こして今日という日を迎えた。胸には、これからの学園生活をより良いものにしてみせるという決心があった。漫然まんぜんと過ごしていたことに気付いて後悔の涙を流すなんて、もう二度と御免ごめんだ。初日からこうして散々な目に遭わされているけれど、そんなことは関係ない。私が私の大切な時間を投げ出していい理由になんかならない。

 幸也君に導かれて校舎の角を曲がった。突然、西日が鋭く目を刺した。けれど私はひるんだりしなかった。

 夕暮れの光が心に縫い留める、寂しさと暖かさを感じた。いつか大人になったとき、私はこの放課後の輝きを一体いくつ覚えていられるんだろう。まだ沈むな、と私は胸の中で太陽に命じた。もっともっと、私の今を、ただ一度のこの時を照らして行け。


「犯人の目星は、実は、早い段階で付いていたんだ」


 歩きながら、幸也君は私にそう話してくれた。


「ただ、決定的な証拠には欠けていた」


 ペースを落とした彼に小走りで並んで、私はその横顔を見上げる。幸也君の表情は今までになく真剣なものに見えた。


「絵画はかなりかさばる品物だということと、不審者の目撃証言が得られないことから、僕たちは、犯人が盗みを働いたのは夜半、もしくは授業中だと仮定して捜査を始めた」


 捜査。一介の高校生であるはずの彼が、窃盗事件の捜査。どうして幸也君がそんなことを? 僕たちって、他にも協力者がいるということ? 

 ぶつけたい疑問はいくつもあるのに、なぜか私の口からは、大変そうだね、なんて気の抜けた言葉しか出なかった。


「別に、大変なんかじゃなかったよ」


 幸也君はいつもの穏やかな微笑みを見せた。


「さっきベンチでも言ったように、犯人には、その絵の作者もタイトルも分からなかったはずなんだ。じゃあ目的の絵はどれだったのか、どの部員の絵がターゲットだったのかと、僕たちは可能性の高い部員の身辺を調べ始めた。そうしたら、容疑者の彼は簡単に浮かび上がってきたんだ」


 彼――。サヤマミユキは男性?


「彼の本当の狙いは、タイラントが描いた絵に違いないと、僕たちは結論付けた」

「タイラント」

「『暴君』」

「……ひょっとして、大安堂、生徒会長?」


 幸也君は頷いた。意外の感に打たれて、私はきょとんとしてしまった。縦ロール会長にそんなあだ名があったなんて。

 でも確かに、と私は思う。彼女なら、誰にどんな恨みをかっていても不思議じゃない。学園内外のいろいろな場所で、みずから進んでトラブルの種をき散らしていそうだ。


「学園は大安堂への悪評を嫌う。創始に関わる名家だし、今も代々の理事は大安堂の血縁だからね。内からも外からも、色々な力がたくさん働いたよ」


 大安堂グループの途方もない規模を、私は詳しく知らない。けれど想像はついた。働いたというのは、きっと政治的な力や経済的な力。どう生きてみたところで私には一生縁がないことだろう、それはそれは強大な力だ。


「その力で事件が学園の中に押し留められている間に、僕たちは、容疑者の彼のことを徹底的に洗った。そして分かった」

「何が分かったの? 『僕たち』って、海藤君と他に誰がいるの? 『容疑者の彼』って結局、誰なの?」


 今度こそはと、矢継やつばやに質問をぶつける私に、幸也君は微笑んだ。


「彼の行いは、もちろん許されるべきじゃない。ただ、事件を起こした背景には同情できる点も多くあった。分かったのはね、容疑者の彼もまた、ある意味では、タイラントの犠牲者だったってことなんだ」

「犠牲者」

「そう。犠牲者が転じた容疑者。情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地は大いにある」


 肝心なことはほとんど何も語られないまま、という感じが強くあった。幸也君に、私はするりするりとはぐらかされてばかりいる。やがて彼は立ち止まった。

 どこをどう進んできたのだろう、東西どちらの校舎の陰になるのか今ひとつピンと来ない場所に、私たち二人は立っていた。目の前にはプレハブ小屋があった。窓にカーテンがかかっていて、外から室内の様子をうかがうことはできなかった。


「さあ、着いた。入ってみよう」


 幸也君に促されて、私は緊張しながら後に続く。

 プレハブ小屋の入り口には『用務員室』のプレートが掲げられていた。

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