第9話

 幸也君にうながされて、並んで池の側のベンチに腰掛けた。水面みなもには、風に散らされたポプラの葉っぱがゆらりゆらりと浮かんでいる。

 長い足を優雅に組んだ幸也君は、手段を選ばない相手って厄介だよね、と切り出した。


「明智は、前から僕のことを疑っていたらしいんだ。それほど強くじゃないけどね。可能性の一つとして、僕がサヤマミユキである場合のことも視野に入れていたっていうか」

「そんなニュアンスのこと、言ってたと思う」


 私がうなずくと、幸也君は眉を寄せて苦笑いを浮かべた。


「徹底してるよね、本当。相手が副会長の兄貴でもおかまいなし。しっかり疑う。盗聴なんていう非人道的な手段さえ、必要と思えば平気で使ってくる」

「さっきのあれって、本当に盗聴器だったの?」

「間違いないと思うよ」


 幸也君は何でもないことのように答えた。


「僕の話が出た後、生徒会室を出て、明智と二人きりになったんだろう?」

「うん。そのことも、雅美さんから?」

「まあね。メールで知らされた。何か仕掛けてくるかもしれないから、油断せずにいようと思ってた」


 幸也君は、私が明智さんに利用されている可能性を見越していたらしい。

 明智さんとの別れ際、彼女が私を脅すようにして迫ってきたことを思い出す。明智さんは私の襟元に触れた。そうか、きっとあの時だ。ようやく気がついて、私は強く唇を噛んだ。何てことだろう。本当に、何という徹底ぶりだろう。幸也君を調べろと私に指示しながら、同時に、私に黙って盗聴器を仕掛けておくなんて。

 言葉もない私に、幸也君は続けた。


「大安堂家に従う家は多いけど、明智家は中でも古参でね。ずっと昔、工業用センサーの製造販売を始めた当初から、技術面で大安堂を支えていたと言われてる」

「そういえば『玲華様』って呼んでた。あの二人って、やっぱり家ぐるみの付き合いなんだね」

「明智の忠誠心はすごいよ。大安堂のためなら何でもやる。ベストを尽くそうとする。盗聴器の設置しかり、スパイの配備しかり」

「スパイ?」

「多分、どのクラスにも一人はいると思うよ。息のかかった生徒が。だからこそ明智は、早退する山崎さんを捕まえることができたんだ」


 どうりで、と私は納得の思いだった。タイミングが良いのも当然だったわけだ。何だかもう、ちょっと怖くなってきた。クラスにスパイを放っている? そんなの、昨日まで私が生きていた世界線の話じゃないんですけど。

 隣で幸也君が笑った。


「引くよね、やっぱり。でもこの学園って、あの大安堂を中心に回ってるからさ、何だってありえるんだよ。外じゃありえないようなことだって起こりうる。政財界への大きな影響力にモノを言わせた、一種の治外法権っていうのかな」

「ひょっとして、窃盗事件なのに警察が来ないのは……」

「警察沙汰にはならない。大安堂が何も言わなくても教師陣が伏せる。校名に傷がつくことは誰の得にもならないって、皆が理解してるからね。新聞部みたいなのは少数派。面白半分に事件を拝聴ふいちょうするような教師や生徒は、うちにはほとんどいない。そういう、できた奴ばかりが集まってる。三ノ森は名門だよ」


 幸也君は皮肉っぽい言い方で話を結んだ。

 この先、お父さんの栄転を恨めしく思う日が来るかもしれないな、と私は内心うなだれた。とんでもない学園に転入してしまった。警察の力も及ばない異常空間。事件を隠蔽いんぺいする教師陣。進んで沈黙を選ぶ生徒。校内にスパイを放つ生徒会。

 と、そこまで考えて、私は何かに引っ掛かった。あれ?


「……ちょっと待って。幸也君、どうして?」

「何?」

「幸也君がサヤマミユキじゃないなら、どうしてそんなに、明智さんのことを警戒する必要があるの?」


 幸也君が真顔になった。

 隣同士、ベンチに座ったまま向き合う私たち。

 水辺のきらめきに照らされた幸也君の顔は本当にきれいだ。

 私たち二人の間に舞い降りた沈黙と静寂は、一瞬のものだった。それなのに、私にはその一瞬がとても長い時間に感じられた。幸也君と、今までで一番長く見つめ合っていた気がした。


「絵を盗んだ犯人は」


 幸也君は目をらした。


「犯人は、盗んだ絵をどうするつもりなのか、僕はずっと考えていた。ありそうにないことだとは思いながら、ネット上を監視したりもしていたんだ。国内外のどんなオークションサイトやネットショップを調べても、消えた二十一点の絵画らしきものは出品されていなかった。同じ状態が、今日までずっと続いている」


 二十一点? 

 なくなった絵は、たしか全部で二十二点だったはず。

 戸惑う私の心を知ってか知らずか、続ける幸也君の顔には余裕の笑みが戻ってきた。


「盗まれた絵の共通点についても、いろいろと調べてみた。どんな意図で何を描こうとしていたのか、出展予定だったコンクール、作者の名前、学年、関係性その他諸々。でもさっぱり分からなくて」


 盗まれた作品たちの中には、小峰さんのものも、あの大安堂生徒会長のものもあったはず。


「諦めかけていたとき、ふと気付いた」

「何に?」

「盗まれた絵はどれも、額装されずに仕舞われていた絵か、作者が描き切っていない、未完成の絵だった。犯人には、分からなかったはずなんだ。自分が盗む絵の作者も、そのタイトルも」

「と、いうことは」

「目的の絵がどれなのか、犯人にも分からなかったんだ」


 ひどく意外な発想に思えて、理解するのに時間がかかってしまった。幸也君は、私の思考が彼に追いつくのをじっと待ってくれている。


「つまり……、つまり何? 犯人は、手当たり次第に絵を盗んだということ?」

「そう。アレがそうかもしれないコレがそうかもしれないと迷い考えながら、ついには二十一点もの作品を盗んでしまった可能性がある」

「ちょっと待って幸也君、盗まれた絵の数は全部で……」


 私が彼の間違いを正そうとするのと、聞き慣れない電子音が鳴るのはほとんど同時だった。幸也君が制服のポケットからスマホを取り出す。雅美からだ、と呟いた。ややあって、幸也君は私に微笑みかけてきた。


「確認が取れたみたいだ。山崎さんのお陰だね」

「確認? 私のお陰?」

「雅美が、盗まれた絵の所在を突き止めたよ」

「え⁉︎」

「行こう」


 幸也君は、私の手を取ってベンチから立ち上がった。


「山崎さんには、この事件のすべてを知る権利がある」

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