《カーテンコール》 ティア x ウィリアム

ティア:……気がつけば、公園に戻ってきていた。霧のむこうが明るい。どうやらもうすぐ夜明けがやってくるようだ。

「ええと、わたし……、は……そうだ、ウィリアム!」

 慌てて周りを見るとウィリアムはすぐそこにいた。

 安堵するとともに、さきほどまで自分が取っていた姿を思い出して身震いする。意識の奥底から呼び覚ましたあれこそが、一族の求める先祖返りの姿なのだとティアは気づいて身体を震わせる。

「ウィリアム……ごめんなさい……」


ウィリアム: 震えるティアの頬に、そっと触れる。

「大丈夫、大丈夫だよ……でも、そうだな。ディーンさんは医師だったっけ? もしお世話になれるならありがたいな」

 彼女に伸ばした手がすっと落ちて、ティアを見下ろしていた視線がティアの下に下がる。膝をついて、蹲ったのだ。


ティア:「ウィリアム!!!」

 ティアは慌ててしゃがむとウィリアムの身体に手を添える。とても熱い。そしてこの熱さはたぶん、背中から来ている。

「……ええ、ディーン兄さんは医者よ。同族専門とは言ってるけど、貴方だったら看てくれるはず……いま、行きましょう。身体……起こせそう……?」


ウィリアム:「今、夜明け前だよ? 起こしては申し訳ない……でも正直、そうしてもらえると有難い、な。あのホテルまでなら、歩けるよ。立つ時だけ、肩を貸して、もらえるかい?」

 痛みをこらえて話すのは骨が折れたが、なるべく彼女の負担にならないようにひきつりながら笑う。


ティア:「兄さんはそれくらいじゃ怒らない。それから、歩くときも寄りかかっていいから」

 そう言いながらティアはウィリアムに肩を貸し、立ち上がってもらう。そのまま腕をこちらの肩に回してもらって一緒に歩き出す。幸いにして公園からホテルまではさほどの距離もなかったから負担も少なくすんだと思いたい。





ティア:ホテルのロビーについて、椅子に彼を座らせるとフロントに行ってディーン・ヴァイルを呼び出してくれるように頼む。ティアの表情からただごとではないとわかったのか、ボーイが慌てて呼びに行ってくれ、さほど間を置かずディーンがやってくる。


ディーン:「ティア、なにがあったんだい」

ティア:「兄さん……、ウィリアムが……、熱が、すごいの……身体も、痛い、らしく、て……」

ディーン:「わかった。とにかく部屋へ運ぼう」

ティア:ディーンは一階にも別に部屋を借りていたらしく、ふたりでウィリアムを抱えてそこへと運んでしまう。ベッドに寝かせると痛みが走ったのか、ウィリアムの身体が跳ねた。

ディーン:「これは……背中のほうになにか怪我をしているのかもしれない。ウィリアムくん、服を脱がせてしまってもいいかい」

 ディーンがウィリアムにそう声を掛ける。


ウィリアム:「構いません、じぶんで、ぬげます」

 背中の傷がベッドに触れて痛むので横向きになってボタンを外す。熱の為か口が乾く。震える手で服を脱ぐと、力が抜けてしまった。

 背中には獣の爪に引き裂かれたような大きな傷が走っていた。血は固まっていたが、周りが赤く腫れている。


ディーン:あらわれたウィリアムの背中の傷に、ティアとディーンが同時に息を飲む。

「……ティア。ウィリアムくんは、喉が渇いているようだ。僕の部屋に水の入ったボトルがあるから、持ってきてくれるか」

 そう言ってディーンはティアに鍵を渡してくる。

ティア:「わ、わかった、わ……」

 なんとかそれだけを返して受け取りそのまま部屋をあとにした。


ディーン:いなくなったのを見計らってディーンはウィリアムに

「その傷は、原始の狼による爪痕だね。……戦いで、なにがあったんだい?」

と尋ねた。

ウィリアム:「ティアが、白銀の狼の姿になりました。ミストナイトに許された、異形になって戦うことを選んだんです。でも異形化はその代償に僕を傷つける。……僕で良かった、ティアじゃなくて」

 それだけ言ってふっと笑った。

「この傷、多分普通の医者には行けないなって思いました」

ディーン:ウィリアムの言葉にディーンは険しい顔を見せる。

「異形になることを選んで、その形が僕らの先祖の……原始の狼の姿となってあらわれたわけか……」

 ひとつため息をつくと、こう続ける。

「その代償を支払ってでも、気持ちをぶつけなければいけない相手だったということなんだね」


 それからディーンは応急処置の用意をする。

「強い想いに端を発する傷痕は、一生消えないこともある。……申し訳ないけれど、僕もウィリアムくんで良かったと思ってしまう」

 そう偽りのない本音を口にすると、傷口を消毒していく。

「うん。普通の医者に診せても混乱の素になるだけだろうね」

ウィリアム:「ええ、強い思いを、確固たる信念を、相手にぶつけました。痛みを引き受けるのが、僕の役割ですから。これは他の誰にも、譲りません」

消毒の痛みに耐えつつ、何で自分はそんなことを口にするのだろうかと思いながら、

「彼女を守るのは、僕なのだから」と呟いた。

「すみません、助かりました。処置さえして頂ければ、後は寝て治しますよ。……食事会には、御礼にホタテのバター焼きもつけるとしましょうか」

 切れ切れに言って笑った。


ディーン・ヴァイル:「君の信念もなかなか立派だね」

と笑いながら処置を終える。

「とりあえず今日は絶対安静。ということでこのままここで寝ていって構わないよ。お代はそのホタテのバター焼きでじゅうぶんだから」

そして耳をそばだてて「ティアが戻ってきたようだね」と言い、ドアをあけて出迎えた。


ティア:「兄さん、水持ってきた……、その、ウィリアム、は……」

ディーン:ディーンは水を受け取りながらこう言ってきた。

「ありがとう。ウィリアムくんは応急処置して包帯を巻いておいたよ。今日いっぱいはここで寝ていってもらおうと思う。ティアは職場にウィリアムくんが怪我で休む旨を連絡してあげてくれるかい」

ティア:「あ、はい……わかり、ました……」

 ティアは今日休みを取っているため職場に現れるのがおかしな形になってしまうが、客として利用すればいい話だから問題はないだろう。

「その、ウィリアムと、話をしても、だいじょう、ぶ……?」

 部屋に少し入ってちらりとウィリアムのほうを見る。


ウィリアム:処置で少し楽になったのもあり、ティアに微笑みを向ける。

「大丈夫。すまない、面倒をかけるね。”僕が病院に行く途中に出会って伝言を受け取った”と言えばいいよ。”酔っぱらいに絡まれて怪我した”と。僕は酒を飲まないし、道で絡まれたんだろうとは察してもらえるさ」

ティア:「ええ、そうさせてもらうわ……ありがとう」

 どう説明すればいいかとも思っていたところだったので、ウィリアムの提案がティアにはありがたかった。

ディーン:「ティアから渡してあげたほうがいいかな」

ティア:ディーンから水を返してもらい、ティアはウィリアムのいるベッドに近づいた。

「はい、お水……。待たせて、ごめんなさい」

 そう言ってボトルをウィリアムの手に握らせる。その手はまだほのかにあつかった。

「その……、ごめんなさい、ウィリアム……わたしの、せいで……」

 ティアには一瞬しかその傷痕が目に入らなかったが、それでもそれを付けてしまったのは間違いなく自分であると確信していた。

 異形化の力には代償が伴う。それが自分ではなく、シースであるウィリアムのものになってしまうという事実がティアに重くのしかかる。

「…………ごめん、なさい」


ウィリアム:ボトルを持っていない方の手を伸ばし、そっとティアの頭に乗せる。髪の温かさが心地よかった。

「あそこで負ければ世界は終わる。僕は世界を失うのはごめんだし、それに君を失いたくない。君の決断は僕の決断でもある。謝る必要は少しもないよ」

 そう言って髪を撫でた。

「僕は、君のそばにいたいんだ。これからも君を守らせてほしい。それが許されるなら、こんな傷くらいどうってことないよ」

 目を細めて、名残惜し気に髪から手を離した後

「君が無事でよかった。本当に、僕がシースでいられて良かった」と告げた。


ティア:ウィリアムの言葉が胸の奥に染みこんでくる。けれど、それに甘えてしまっていいのだろうか。

「…………また、異形化の力を借りてしまうかもしれないのよ。それでも、わたしのシースでいてくれるの?」


ウィリアム:満面の笑みで、ウィリアムは告げる。

「僕以外のシースを選ぶなんて、嫌だな。そして、僕は君以外のブリンガーなんていらない。大切な君といたいんだ」

 もし、霧の騎士でいられなくなったら、その時考えようと思った。熱のある状態で考えると思考が飛躍しそうだったから。


ティア:「……その、ありがとう。とりあえず今日はここでゆっくり寝ていて? 夕方にまた顔を出すから」

 ティアはいったん自宅に戻り、職場にいったん顔を出してからまた定期健診を受けにディーンの元へやってくることになる。それが終わる頃にはそんな時間になっているはずだ。


ウィリアム:「ああ、ディーンさんに場所をお借りして、ありがたく休ませてもらうよ。君も疲れているだろうし、無理をしないでくれ……待っているよ」そう答えて手を振った。







ウィリアム:若いだけあって、一昼夜休んだ彼はすっかり動けるようになっていた。シチューの鍋を運ぶのは流石に難しいのでティアとディーンを彼は独り暮らしの自宅に招いた。

 食事を振る舞った時には、無茶をしなければ問題なく動けるようだった。彼の渾身の作、鮭のクリームシチューとローストビーフ、帆立のバター焼きが温かい湯気をたてて二人を出迎えたのだった。

 ティアもディーンもウィリアムの食事に舌鼓を打ち、楽しい時間を過ごした。食べたあとに運ぶのと洗うのはティアも手伝うことにし、まずは皿を下げていく。

 その合間にディーンはティアから見えないようにしながらウィリアムに一通の手紙を渡し、ウィリアムもそっと胸のポケットにしまった。


ディーン:「故郷に帰る前に背中の調子を見ておきたいから、三日後あたりの仕事帰りにホテルへ来てくれないかい。ティアも一緒でいいからね」

 帰り際にディーンはそう声をかけてティアとともに退出していった。



ウィリアム:残りの片付けも終わり、休憩のためいったん椅子に座ったウィリアムはディーンから貰った手紙の存在を思いだし、それを広げてみることにした。

 そこにはまずティアの定期検診の結果が記載されていた。異形化したことでなんらかの影響が出ているのではないかと心配されたが、現時点では特に影響が見られなかったとのことだった。

 念のため次回検診を三ヶ月後に行うことにしたので、ウィリアムもそのときに傷の経過を見せて欲しいと書かれている。手紙はそこで終わりかと思われたが、二枚目が存在していた。


ディーン:『先日ウィリアムくんと話したときに伝え忘れてしまったからこれも書いておくけど、普段は質素な食べ物を好むティアが、ここ最近はオイルサーディンなど油分の多いものを食べているようだ。

先祖返りの強いティアだから、食生活が変わっているのはおそらく本能的に狼の雌だけが持つ時期に備えてのものだと思われる。

頑張りすぎてしまう気質のあるティアだから、ぼーっとしているなど調子がおかしい兆しが見えはじめたら、まとまった休暇をとるように進言してあげて欲しい。よろしく頼んだよ。それではまた』


ウィリアム:綴られた内容を読み進めるうちに、驚いて傍らに置いてあった紅茶のカップをひっくり返しそうになった。

「狼の雌だけが持つ時期って……そういうことをさらっと書かれるとなあ」

 微妙に赤面しながら目を泳がせる。彼女が心配で、大切なパートナーであることには変わりはない。

 ディーンのところに駆け込んだ時、熱があったとはいえ自分が彼女に告白まがいのことをしたのを後で思い出していたたまれなくなった。

 だが同時に、それが偽らざる本音で、それ以上の想いを含んでいるのではないかと、後からじわじわと自覚が襲ってきている。

「だけど僕は。女性を幸せにできる自信がない」

 昔の恋人に別れを告げられた時、思ったのだ。自分は大切な人々の笑顔を大事に生きようと。特定の相手を選びつつ、周りを大切にすることとの均衡が上手く取れない人間には、八方美人と言われてもそれがいいのではないかと。

 ましてティアは6つ下で、自分よりいい相手もきっといるはずで。ディーンに告げた「彼女は僕がいては恋もおちおちできない」「人生を狭めたくない」という言葉を思い出して胸が苦しくなった。

 ここまで考えて明らかに自分がそちらの方向性で彼女を見ていることに気付いてしまったのだ。

「ああ、参った」

 明日からどんな顔をして彼女に会えばいいのだろう。どこか苦行する僧のような苦悶の表情を浮かべながらウィリアムは呻いた。



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