後日談(後)

 リテラシーは最初、マークが何を言っているのか分からなかった。父を殺した動機などどうでもいいというのが正直なところだったのだが、偏向報道との向き合い方として無関係ではないのなら考えざるを得ない。


「自供によれば、そのように発表されておりますが」

「リテラシー嬢、被害者遺族の君までが愚直に殺人鬼の言い分を鵜呑みにする義理はないだろう?」

「……っ」


 心の奥底を見透かされたようで、思わず唇を噛む。新聞では常に父が疑惑に晒されていたけれど、リテラシーにとっては新聞こそ疑惑の塊だった。人道から外れる行為に至った人間の思考など、常人に理解できるほうがおかしい……いや、


「では、供述には虚偽があったと?」

「明らかになった家庭環境そのものは自供と一致している。

だがリテラシー嬢、それが動機だとして……そこまで強い恨みを持っているとして、サンドが気付かないのはおかしいと思わないか?」

「……あっ!」


 そうだ、父サンド=ファンヴァーグには悪意が見える。今やこの国にいる誰もが強制的に付与される力――それが、働かなかった?

 ロビン=クックが父の命を奪ったあの時、彼には害そうという感情すらなく、ただ淡々と作業をこなすように……ぞわり、と鳥肌が立った。


「国葬儀の警備からも報告が上がっている。暴動を計画した者たちには凄まじい数の蝿が集っていたが、会場内に暗器を持ち込んだアサシンの外見は一般人とほぼ変わらなかったため、危うく見逃すところだったと」


 リテラシーは耳を疑った。プロの殺し屋からは蝿が……悪意が生まれない? だがよくよく考えてみれば、その通りだ。彼らは報酬で雇われて『仕事』をこなしているのだから、ターゲットに対し思うところなどない。


「怪しい点はそれだけじゃない。新聞各社は事件当日から頑なに『暗殺』というキーワードを避けている。何故だ? 我が国の重鎮が殺されているのに……これをどう思う?」


 バサリと何部かの号外を手渡され、見比べるうちにリテラシーの表情が険しくなっていく。あの時は現実が受け止められず、ただ対応に追われるのに必死で考える余裕もなかったが、状況の酷さに吐き気がしてきた。

 どこの新聞も、見出しが足並みをそろえたように『死亡』で統一されているのだ。まるで同じ人間から指示を受けたようで不気味だった。


(刷り込まれるように繰り返される、火の玉会関連の報道……一方で矮小化された事件の詳細……)


「代理陛下、ロビン=クックは……単独犯では、ない?」

「実行犯ではあるだろうが、スケープゴートの可能性は高い。火の玉会にしても、信者が六万人足らずで影響力を言うなら他の大臣や新聞社との繋がりもあるだろうに、ファンヴァーグ派『だけ』を集中的に狙ってバッシングしているしね。

いずれにせよ……」

「彼の口から真実が語られる事は、二度とないのですね……」


 ロビン=クックが獄中死したという知らせが入ったのは、国葬儀の直後だった。リテラシーは心情を慮れてもう少し後で聞かされたのだが。彼女の処刑騒動までは火の玉会への恨みつらみを語り、それ以降は沈黙を貫いていたロビンの死因は心臓麻痺だという。毒物も検出されず、厳重に警護された牢の中での不可解な死だった。


「口封じか……恐らく当初は火の玉会による報復説を主流にさせるつもりだったんだろうが、悪意が可視化される事で真相を漏らす前に存在ごと消す手段に出たようだ。この件に関して、新聞も不自然なまでに口を噤んでいる」

「代理陛下には、もう犯人に目星がついているようですね?」


 先ほど言っていた、新聞から読み取れる真実がそれなのだろう。マークは頷くと、新聞を軽くパッパッと払う仕種をしてから記事を指差した。


「新聞の論調は、読者を自分たちの用意した結論へと誘導するためにある。つまり何度も繰り返すニュースの裏で『報道しない』『矮小化する』情報こそが彼らの隠したい重要な案件だって事だ。

だが私は当事者だからね。毎日ちょっかいを出してくる連中と衝突してきたというのに、記事では多くて二、三行で終わりだ。国家を揺るがす宰相の暗殺や侵略の危機よりも、宗教問題の方を優先させる……国民の目を逸らしたいという意図は明白だった」


 ここ数年、辺境付近できな臭い動きを見せているのは、軍事力を拡大しつつある独裁国家・大ルルージュ共和国だった。国民に貧富の差はなく、他国との関係も友好で発展途上国に多額の支援をしている世界のリーダー……と自称しているが、実態はトップを除けば皆貧しく、神や魔法の信仰を厳しく禁じたばかりか都合の悪い知識層までも『悪』と称して魔女狩りを行っていた。支援を受けた国もメインとなる産業を手中に収められている。


「サンドは長年、大ルルージュ共和国の周辺国による安全保障提携を進めてきた。自由・人権・法を優先する国同士の結束で取り囲む事で、海洋公共財の保護や独裁国家による領土拡大阻止のためだ。

新聞に書かれているような、無駄なバラマキなどでは決してない」


 そう、それこそ父が諸外国との外交に力を入れてきた理由だ。支配を目論む独裁国家としては、さぞや目障りだっただろう。命を狙うのも納得できるのだが……


「問題は情報をぶつ切りにして、全体像を分からなくしている我が国の新聞なのですよね」

「情報媒体の掌握は侵略の初歩だからね。次の段階として、ちまちま手を出して反応を見ているんだろう。他国に攻められているのに国民が興味を示さなくなった時が、国の最期だ。本当に危ないところだった……いや、これからも油断はできない」


 悪意が可視化されたからと言って、感情を殺せるプロを雇うなど、やりようはいくらでもある。今後は『てれびじょん』の導入も控えている事だし、世界が失った救世主の分まで一人一人が自分の頭で考え国を護っていかなければ、メディア王国は失望されるだろう。


「そのためにも偏った新聞記事を鵜呑みにせず、ぶつ切りにされた情報の断片から全体像を読み解く。これを『メディア・リテラシー』と名付けようと思う。

我がメディア王国のリテラシー王妃殿下に敬意を表して」

「まあ……身に余る光栄ですわ。それに、『元』王妃です」


 思いがけない名誉に頬を赤くすると、何故かマークもそわそわしている。


「それなんだが……兄は政務が行えるまでの回復が見込めないと判断し、私……いや、余が正式に王位に就く事が決まった。

で、だ。ファンヴァーグ宰相には、時期を見て公私共にパートナーとなって余を支えて欲しい」

「……え、はい?」

「嫌だろうか」


 眉を下げてこちらの反応を窺ってくるマークに、先ほどとは違う意味で赤面する。何と返事したものか……と悩むうち、ふとある事実に行き当たった。


「その前に確認しておきたいのですが、代……陛下。父はあれだけの悪意に晒された上に、スキルによって蝿に変換されていたのですから、さぞ騒音に悩まされていた事でしょう。ですが救助のために処刑場まで来てくださった陛下は、その点は克服しているとおっしゃっていましたよね。


わたくし、外交先から父について聞いた事があるのです。サンド=ファンヴァーグの声はどれだけのノイズの中でもよく響き、心に届くのだと。そしてあの時以来、陛下のお声にもそのような特徴が見られます。もしや父のスキルは……」


 話を聞いた時は単なる比喩だと思っていたが、幼い頃から悪意に悩まされていた父が、国の采配を担うために身に付けた力だったとしたら……? リテラシーの推測を、マークは頷いて肯定した。


「ああ、サンドのスキルは二つあったんだ。もしもの時はリテラシー嬢の唱えた『FLY』をトリガーとして、悪意の可視化を国全体に、意思の伝達を余に付与すると、生前のサンドから伝えられていた。娘がこれを発動させる時は、国家の危機だからと」


(お父様……陛下が駆け付けた時に覚えた、あなたといるような安心感は、気のせいではなかったのね)


 リテラシーは込み上げる涙を拭った。父は確かに、この国にいる一人一人の中で生きている。強制的に与えられて迷惑を被っている層もいるが、悪意を生み出さず寄せ付けない方法は分かっているのだ。今や国民の大半は新聞を宗教の経典のように妄信するのではなく、論調の裏側にある真実に気付きつつある。


「陛下は……そこまで信頼されておられたのですね。ならばわたくしも父と同様、一日でも長く王国を存続させるためにこの身と心を捧げるとお約束しますわ」

「……今はプライベートなんだから、そこまで固くならなくても」


 そう苦笑いされるが、こちらはマークと違って上手く心の内を伝えるだけのスキルはない。素直になれるだけの余裕が持てるのは、当分先のようだった。

 代わりに照れ隠しで微笑んでみせる。


「そう言えば名付けで思い出したのですが、巷では新しい用語が流行っているそうですわね。なんでも『捏造する』という意味で『サヒる』とか……」

「サヒる! 上手い事を言うね。あまり過激な思想は自ら蝿を生み出してしまうだろうけれど……長年大衆を煽動してきた新聞社には、これくらいの意趣返しは受けてもらわないと」


 メディア王国にはこれから、多くの課題が待っている。侵略阻止のための軍事力強化に、スパイ対策、そして国全体への情報伝達の手段確保だ。けれど今は、名宰相の遺志を継ぐ者たちが故人を偲びつつ、束の間の穏やかな時間を共に過ごすのだった。



【終】

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