第1章 ヤンキー百合 15

 スポーツ長者には天才型と秀才型があり、前者は往々にして身体感覚を擬音による感覚的表現で語るため教わる側は熟年夫婦の指示代名詞乱用会話のように理解しづらく、それに比して後者は身体操作の術を理屈で語ってくれるので教わる側としては理解しやすい。尤も、その理屈を実行できる能力があるかはまた別の問題だが。

 荒木はどちらかというと秀才型で、何をしたらだめで何をしたら良くて何をしたらより洗練されるかを凡そ言語で説明でき、言葉に詰まると白洲妹の身体を掴んで自分が獲得した身体感覚を直接的に指導した。肘が下がっているから窮屈になっている、足を上げた際に背が後ろに反るから重心が移動して次の一歩が出しにくくなっている、顎は常に引いて。

 運動の不得手な姉と違い、妹は合気道有段者の母の血を色濃く受け継いだのか荒木の指導についてくる。三度指導すればそれなりに様になったダンスをする。白洲は瞠目している。妹がこんなに動けるとは全く思っていなかったのだろう、守りたい一心だった妹の意外な強さに、ただただ感激している。

 たった二回の実演で振り付けをほぼコピーできてしまう荒木は己の才を見直して正しい場所で戦うべきだとダンス指導上何の手助けもできない私は思う。それが彼女個人のためであり、秀才型の的確な指導が後輩たちのためにもなるだろう。釘を刺されたのでこちらからは触れないが。

 鏡のように左右反転させて正確なテンポで踊る教師役の荒木と向かい合って踊っていた白洲妹が最後のステップを踏んで膝をついてポーズを決めた。「ミミ……」と白洲が口を両手で覆う。妹は荒い息で肩を上下させている。幾度と踏まれた芝が青い匂いを漂わせる。

「随分、マシになったね」と私は言った。

「ええ、凄いわ!」白洲の声は叫びに近い。「ミミがこんなに踊れるようになるなんて! なんて感謝したらいいのか……」白洲は滝のような感動に打たれている。「これで大丈夫よ、ミミ。よかったわね」姉の安心した顔に妹は少しだけ嬉しそうな気配を覗かせた。

「いや、だめだよ、白洲さん」荒木の、これから苦虫を噛み潰すことを理解しているような、苦しげな顔。「これじゃ、何も変わってない」

「え?」と驚く白洲。いつものクールさが、影も形もない。「で、でも」ダンスは上達したわよ、と言っている。

「あたしにできたのは修正だけなんだ」荒木の口と目と眉間に滲む、敗北感。「午前にも言ったけど、ミミちゃんはあくまで型をなぞってるだけで、ダンスに、表現には、なってない」

「私には……」白洲が重ねた両手を胸に抱き止める。「その違いが分からないわ。私のような運動音痴から見ると、コーチの要求した通りに動けていればそれでいいように思うのだけれど、それだけではだめな理由はあるのかしら?」責めるような、正解を請うような。

「まあ、それは」渋面で荒木が答える。「指示された通りに身体を動かせるだけでいいのかもしれないけどさ……」

「白洲さん」軟化した荒木に代わり私が問う。「ミミちゃんは凄く運動神経が良い。伸びる子を教えるのは、コーチとして楽しいと思う。なのに、コーチがミミちゃんを実質放置しているのはなんでだと思う?」

「それは」白洲は私が放った放置という単語を打ち砕こうと声に力を込める。「他の子で手一杯だったり――」

「まるでやる気がないからだよ」私は白洲が息継ぎするタイミングでばっさり切り捨てた。「踊ろうという気がないから。表そうという気がないから。それどころか、ダンスを嫌がってさえいる」辛そう、でしょ?と白洲の言葉を引用して反駁させない。「初めは楽しさを伝えようとコーチも頑張ったかもしれない。でも、てこでもどうにも動かないと知って諦めた。興味がないのに熱烈に指導されても却って辛いかなって身を引いた」勿論憶測でしかないけど、と早口で繋いで口を挟む隙を与えない。「気持ちのこもらないダンスに意味はない。死んだ表現じゃ誰の心も動かない。棒読みと同じで、演者と観客両方にとって冒涜とすら言える」テストに白紙解答、のほうが分かりやすいかな?と言い換える。

 白洲の顔が納得いかないと言っている。

「じゃあ」私も納得する気はないと強く出る。「今回は、形だけだろうときちんと踊れたとするね、コーチは絶対に褒めないだろうけど。で、次は? 次の次は? 毎回荒木さんに頼んで形だけ仕上げて成功したことにするの?」

「花咲」と荒木が咎めるが最後まで言わなければならない。

「それは問題を先送りにして偽りの成功を享受しているだけで、それじゃどこにも進まないしどこにもたどり着かない。ミミちゃんが踊りに魂を込められない限り、ちゃんと自分を表現できるようにならない限り、同じ問題に何度も突き当たる。ミミちゃんは何度も苦しみ、それを背負う白洲さんも苦しいままだよ」

「なら、どうしたらいいと言うの?」抗弁と縋る思いの相半ば。白洲の頬が僅かに紅潮している。「どうしろと言うの?」

「それは、ミミちゃんに気持ちを込めて踊ってもらうしか、ない」白洲妹に視線を向けると、間に入るように姉が動く。「ミミちゃんが自己表現の壁を打ち破るか、辛い苦しい辞めたいを表現するダンスを踊ることで両親を説得するか、そのどちらかだけど後者になった時点でミミちゃんは挫けちゃう、内向の負のスパイラルに陥る。だからミミちゃんには、ここで自分に勝ってもらうしかないんだよ。これは、白洲さんが肩代わりできない、どうしてもミミちゃんが乗り越えなきゃいけない試練なんだ」姉は壁になり、後ろで妹は姉を見上げるばかりだ。

「あなたも、そちら側なのね」白洲が命綱を手放されたような、裏切られた憤りよりも哀しみを深く目に湛える。そちら側、とは父母根性論派という意味だろう。

「箱は、間違ってると思う」私は手放した手をもう一度掴みに行く。私も白洲側だと教えたくて。「ストリートダンスで自分を表せなんて、今のミミちゃんにとっては一足飛びどころか階段三段飛ばしだよ、高校生ならできるけど小学三年生じゃ足が短すぎて無理だって分かってる。はっきり言ってこれはアプローチを間違えてる。先に言っちゃうけど、ミミちゃんの、ダンス自体は失敗する。そこは期待してない。ただ」白洲は私の言葉の行き着く先をじっと見つめている。「姉妹の苦しみの連鎖を断つためには、ここで解決の糸口を掴まなきゃならない。じゃないと問題の再演は終わらない。ダンスは負けていいんだ、でも、自分には打ち克ってもらわないといけない」

 白洲が少し俯いた。どこかでそれは分かっていた、という俯き。酷ではあるが残酷ではない。理解してもらえたと思うと、私の表情は幾分和らいだ。

 と。

 急に目の前に暗い影が落ち、反射で目を瞑るとすぐに額に硬い何かがぶつかり、ゴン、と重い音がした。「痛っ!」と私は叫び、遅れてきた疼痛のような鈍い痛みに呻く。開けた目に映る荒木は間近で、そう言えばさっきから気配がなかった、と思いながらこの痛みはどうやら荒木の頭突きに因すると気づく。「いった! 痛っ! 頭突きしたのぉ?! 信じらんない!」痕を指で擦りつつ、一時期青少年の間で流行ったヤンキー漫画で頭突きが挨拶のように行われていたのを思い出す。「ヤンキーってほんとに頭突きする生き物なの?!」思ったことが口から出て行く。胸ぐらを掴まれ、寄る荒木の顔面に私は目を閉じた。

「花咲!」間近で荒木の怒声。「目を瞑るな! 目を開けろ!」

「あ、はい」私は薄目を開いた。「ぼ、暴力反対」小さな声で。

「力に訴えたのは悪かった。謝る」しっかりした声で。「けどな!」空気の圧力、怒気の触れる距離。「ミミちゃんのこと考えてるようで一番考えてないのはお前だろ! これから発表会に臨む子の目の前で負ける失敗する期待してないって言う奴があるか!」唾が皮膚に付着して冷える。「気持ち込めろっつってる側が冷や水ぶっかけてどうすんだよ! あたしも腐ったけど競技者だったから分かる、試合前から期待してないって言われたら入る気持ちも入らない! お前もそれが分からないほど馬鹿でもないだろ!」

「私は!」胸ぐらを掴む手を両手で掴み除ける。「私は! ハードルを下げることで気持ちを楽にしに行っただけだよ。百点取れって重圧掛けられるより、六十点でいいよのほうが却って伸び伸び演技できる。荒木さんだって現状をよく呑み込めているからこそ、だめだって言ったんじゃないの?」私は冷静に意図を説き、荒木が婉曲ながら「負ける」と言った事実を暗に突きつける。

 荒木が顔を歪める。「花咲」と鼻から息を吐く。「期待がなきゃ、やっぱり人は伸びないよ。それと」一拍置く。「お前の理屈はムカつくくらい御尤もだけど、お前の割り切った態度は時々誰かの感情や尊厳を踏み躙ってるよ」いつか足元掬われないように注意するんだな。吐き捨てて荒木は私に背を向け白洲妹に歩み寄る。「もう少し、練習しよ? まだ時間あるから。まだ間に合うから」

 白洲妹は、荒木を見て、私を見て、姉を見て、「お姉ちゃん」と、初めて口を開いた。姉が「何?」とかがむ。何か言おうとして止めること三度、ようやく妹は言葉を発した。「なんでも、ない……」

 私には、場のため息が聞こえた。白洲は言い淀んだ妹の目線を追っていたらしく、ビニールシートに置いた女性ものとしては大きな鞄から、カードの束を取り出して妹に見せる。「占って欲しいのよね? どうしたらいいか、そうでしょう?」妹は首を横にも縦にも振らない。慣れた手捌きでカードをシャッフルしていた白洲が片手に持った束を取り落とす。春風に飛びそうなそれを荒木がすぐに押さえて白洲の手に戻す。「ありがとう」と、見られたくなかったものを見られた時のような卑屈な笑みを見せて白洲はもう一度シャッフルし、束の最上に来たカードの背をじっと見つめる。妹もじっとカードを見つめている。荒木も見つめ、なかなか捲らない白洲に視線を移す。

 白洲が捲ったカードは、恋人のカード。白洲が眉を寄せて考える。「そうね……」瞬く。「……直接は関係のないカードね。やっぱり、もっと本格的に占う必要があるわ。あるいは別の占いを試してみようかしら」

「白洲さん」鞄から何かしら取り出そうと立った白洲を荒木が呼び止める。「白洲さん、言ってたよね。占いで結果は見れるけど、それじゃ結末は変えられないって。今はとにかく、練習するしかない」

 思い詰めた様子の白洲が、そうね、と肩から力を抜いた。自分には何もできない無力感。

 荒木が教師役として踊り、節目節目で踊りを区切ってこんな感じに踊ると良いとアドバイスを送るが、白洲妹は七割を表面上真似るだけだ、気持ちはこもらない、体力も消耗して動きのキレも練習すればするほど落ちていく、それが本番に響くと分からないほど荒木も浅慮ではない。練習を止めた。残された時間はもはや寸暇。蹴球で後半四十分過ぎて三点差、のような、覆し得ない敗北を認めながらもまだ試合時間だけが残っている無益さが漂う。

「ミミちゃん」と私は声を掛けた。白洲妹は何を考えているのかよく分からない目で私を見る。

「笑ってみて」指示するが白洲妹は笑わない。

「こうしてみて」私は口端に人差し指を添えて、両端を持ち上げた。白洲妹は素直に指示に従い、口の端を上げる。目が笑っていない。どうすればいいのと問うように時折瞬く。

 私は人差し指と共に掌を頬に滑らせて頬肉を上に持ち上げて剥いた目を上に向けた。ムンクの叫びに白洲妹はくすりともせず、人差し指で口の両端を上げたまま私を見ている。

「荒木さんも変顔」「えっ?!」好きな子の前でイメージを下げるような真似はしたくなかっただろうが荒木は白洲妹を笑わせるために変顔した。白洲妹は笑わない。姉も参戦したがやはり笑わない。手首に巻いた腕時計が、時間切れを告げている。

「もう、本番を踊ってもらうしかない」

 荒木も白洲も硬い表情だがそれしか選択肢がないのは自明だった。

 文化会館ロビーで、関係者用通路へ向かう妹と別れ、私たちは小ホールに入った。客席には地域住民と思しきやや高齢層が点々と座り、活況とまでは言わないが踊り手に程良い緊張感を与えるには十分な雰囲気だった。右寄りの、白洲妹の踊りがよく見える位置に並んで座る。左に荒木、真ん中に白洲、右に私。誰が宣言することもなく午前と同じ配置に着席した。

 私たちはまだ照明の当たらない暗い舞台を眺めた。三人、黙っていた。時刻が一時五分前になる。「ご両親はどこか分かる?」私は白洲に訊いた。「分からないわ」と白洲は答えた。白洲妹が完敗し立て直し不能の場合、箱を変えることを白洲両親に三人で直訴しよう、と考えていた。ら。

「あの、白洲ミミさんの、お姉さんですよね?」

 Tシャツに伸縮性のある化繊のパンツを穿いた年若い女性が席と席の間の通路に立ち、荒木越しに白洲に声を掛ける。「え、ええ」と白洲が戸惑うからには知らない人のようだ。

 女性はダンス教室の運営者だと言う。「あの、時々ミミさんを迎えに来てくれるので、顔を憶えてまして」普段は裏方なのでご挨拶する機会がなかったのですが、とへこへこ恐縮する。「それで、あの、ミミさんが今、どこにいらっしゃるかご存知ではないですか?」

 白洲は驚きに少しだけ頭を仰け反らせ、「舞台裏、ではないのですか」腕時計を確認して、「もう集合時間を過ぎていますし」と付け加える。

 午後一時の十五分前に集合とコーチは言っていた。今は五分前。ダンス教室の運営が探している。私たちは白洲妹が向かうべき場所へ向かったと思い込んでいたが。

「その」運営者が奇妙に愛想のよい笑顔を見せる。「実はまだ戻っていらっしゃらなくて。どこへ行かれたのか、ご存知ないですかね?」

 逃げた。その行動に至る経緯は不明だが理由は単純明快、勝負して失敗するのを避けたいからだ。その結果として待つのがより手酷い叱責や失望だと知ってか知らずか。その選択は自信喪失への即死ルートだ、非常にまずい。

「え? でも楽屋のほうに行きましたよ、だいぶ前に」荒木は理解が追い付いていない。

「それが、どこにも見当たらなくて」運営者はホールの時計に目を遣る。「もうみんな舞台裏でスタンバイしてるんですけど」

「探します」白洲が立ち上がる。「見つけたら舞台裏に行くよう伝えればいいのですね?」

「あ、はい、そうしていただけると助かります。私も探してみますので」

 踵を返した年若い女を「すみません!」立ち上がって私は呼び止める。「デッドラインまであと何分ですか?」

 振り返った彼女は再びホールの時計に目を遣り、「最悪、出鼻でダンスだったところに挨拶を入れて数分稼ぎます。そこからは、グループEの出番になるまで各グループが踊って、約十分です。今更ポジション修正できないので、舞台に上がるまでは飛び入り可能ってコーチは仰ってました」と説明した。今更修正できないので、という件に隠していた苛立ちが微かに見えた。分かりました、探し出して向かわせます、と答えるとよろしくお願いしますと身を捩じったまま頭を下げて速足で去った。

「え? まだ戻ってきてないって、あの後どっか行っちゃったってこと?」

 何が起きたか分かったがまだ信じ切れていない荒木に告げる。

「逃げたとみてほぼ間違いない」

 固まった荒木に「立って」と言い、「白洲さん、ひとまずロビーに移動しよう」その大きな鞄を持って、と伝える。白洲は私の落ち着きぶりを見て、今にも走り出さんと逸っていた気持ちの手綱を引いて止め、「何かしら心当たりがあるのね」と前席のポケットに嵌まった鞄の持ち手を握った。

 ロビーに設置された机を挟んでのソファーに対面で座る。向こうに荒木と白洲、私は一人腰掛ける。演目前でチケットのもぎりをしていたダンス教室の関係者あるいはその助っ人の姿もない、無人のひっそりとした空間。

「どうしてミミちゃんは逃げちゃったんだ?」荒木は三人の内で最も慌てている。「もしかして、お前が負けるだの失敗するだの言ったからじゃないのか? ああもう、どうしてくれんだよ!」

「荒木さん、今は言い合いをしている場合ではないわ」白洲にしては強い声で制止する。「あ、あ、ごめん」と頭を掻く荒木。「それで、何かしら策があるのよね?」と白洲が私に顔を向ける。

「幼いし反応薄いしで、どこかで侮っていた面があったけど、私たちの言い合いの裏にある巨大な不安を敏感に感じ取っていたのかもしれないね、ミミちゃんは」流れを無視した発言に口を開こうとする二人を手で制する。「つまり、ミミちゃんを見つけて、羽交い絞めにして連れ戻したところで、彼女はまた逃げるってこと。私たちが抱えていた、そしてミミちゃんも理解していた、表せない、という不安に打ち克たない限り、彼女は踊ることを選択しない。単に見つけるだけでは解決は難しいってこと」

 二人は渋面で納得を表す。「そうね」と白洲。「あなたの言うことは正しいわね」

「でも」と荒木が僅かに腰を浮かせる。「どうやったら踊ってくれんの? 実質十五分未満でどうにかなんの? あたしたちお昼に必死に何とかしようとしたけど」言っている途中で失言と気づいたが、もうその先を言うしかない。「どうにも、ならなかったじゃん……」尻が座面に落ちる。

「先に訊いておきたいのだけれど」白洲が沈黙の訪れを拒否する。「見つける方法は、もう目星がついている、という理解で合っているのかしら?」

「見当外れの可能性もなくはないけど」という前置きに二人が焦りを目元に表す。「白洲さんなら、なんとかできるんじゃないかなって」

 全く予期していなかったという、瞠目。「私? 私がどうやってミミを見つけるのかしら?」時間内に、しかも私でさえ方法が分かっていないのに? と付け加える。

「Long long time ago、昔昔のその昔、みたいに感じているんだけど、白洲さんは私との出会いの際、私の人生観が崩壊する出来事が起きることを予見して見せた。さらに昔、荒木さんのヤンキー評が捏造であることを見抜いて見せた、皆が皆彼女を暴徒であると信ずる環境下に於いても流されることなく」清水綾香と武本さゆみが語った話も証拠物件だが約束通りその情報は伏せる。「白洲さんには超常の力がある。研究会を設立するほどの興味を向ける下地となったオカルトの素質があなたには宿っている」否定若しくは謙遜する可能性もあったが白洲は一切打ち消そうとしない、つまり。「その超常の力を行使すれば、ミミちゃんがどこにいるか、視る、ことができるのではなくて?」

 荒木が白洲に振り返る。白洲は一度息を吐き、決意にまなじりを上げ、ソファーに乗せた大きな鞄を膝に置く。「何が起きても対応できるように、様々の道具は持参しているわ」鞄を開いて覗き込み、部室に置かれていた座布団付きの水晶玉とペンデュラムその他名も知らぬ諸々を取り出す。

「いける?」私は訊く。

「力を本格的に使うと疲弊するけれど、出し惜しみしている状況でもないわね」白洲は私を見ない。机に水晶玉をセットして手を掲げ、呪文らしきものをぶつぶつ唱え出した。

「でも、文化会館の外を、道路を闇雲に走ってたら見つけられんのか?」頭を悩ませた結果出た荒木の不安に、「たぶんペンデュラムで追えるけど、その選択をしてたらもうどうにもならない」と私は即答する。それは完全なる逃亡で、それを選んだならば捕まえたところで彼女は舞台に立つ選択を絶対取らない。

「見えてきたわ」

 私と荒木が膝蓋腱反射のように即座に水晶玉に振り向く。曇りガラスのように見透せなかった球の中心が、映りの悪いテレビのようにざらついた像を見せる。児童が何かに座っている。解像度が上がり、どうやらミミちゃんで間違いなさそうだ、と言える映像が映る。座っていたのは便座。薄暗いトイレ。

「トイレだ、トイレに籠ってるんだ!」荒木が分かり切ったことを言った瞬間白洲の集中が切れたのか水晶玉がただのガラス球に戻る。ごめん、と荒木が口を押さえる。水晶玉は再びトイレの中を映す。推理の共有のため私は思考を小声で場に晒す。「文化会館の女子トイレならもう運営の人が見つけてるはず。男子トイレ? なら手出しのしようが。でも、暗い。文化会館のトイレならもっと整備されて明るいはず。なら外? 近場の建物のトイレ?」解像度がどんどん上がり、実写と遜色なくなる。

「あ!」と荒木が叫ぶ。「トイレだよ! あそこのトイレ!」口に両手を被せて、それから音量を落として「朝、パパに車で送ってもらった時入った駐車場そばのトイレで間違いない!」と言う。「何を根拠に?」訊く。「壁に貼ってある英国湖水地方在住兎のシールに見覚えがある! 蹴り入れる武闘派のポーズだなって思ったやつだ!」論拠の細かさが確かさを裏打ちしている。「道は?」「分かる!」「ダッシュで?」「二分弱!」

 白洲が私に視線を送る。頷いて、占い道具を片付けさせる。「鞄は持って走って。頼れるものは多いほどいいから」

「よし!」と拳を握り締めて立つ荒木。「あとは踊ってくれるよう説得するだけ……」と、思考の盲点が見えた様子で、「なんか妙案があるんだよな、花咲?」と不安げに問う。

「あるならお昼の時点でやってるよ」私も立ち上がる。白洲も鞄に道具を詰め金具を閉めた。「私たちは短時間かつ即興でミミちゃんを説得しなきゃならない。勝ち目は薄い。ならもう諦める?」「嫌よ」と立ち上がった白洲の横で荒木が大音声で叫ぶ。

「それはぜってー無しだから!」

 白洲が小口を開けて荒木を見ている。「まあ、何しに来たのって話になるからね」行こう、と私は言った。

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