第七章 工場長・タイラー

第22話 タイラー・1

「悪いが仕事の邪魔だ、帰ってくれ」

 朝からタイラーは機嫌が悪い。工場の前にメディアが押しかけているのだ。

「仕事はあるのですか? 現在工場はラインが止まっているということですが、どのような仕事をされているのでしょうか」

「そんなもんはいくらでもある。あんたたちがよく知ってるように、カビ退治が目下最優先の仕事だな」

 車の後部座席からバックパックを下ろす。この中にはランチボックスが入っているのだ。昼までに食べないとカビが生えてくるかもしれない。

「アイスランドからの留学生が働いていると聞きましたが」

 記者の声にタイラーの動きが一瞬止まる。ギロリと音がするかと思うほどの力強い視線を返すと、記者がビクッと縮み上がる。

「ああ、一人いる。それがなんだ」

「そ、その留学生は、どんな人ですか」

「そんな事聞いてどうする。まあ答えてやってもいいが。あいつぁ勉強熱心で真面目で働き者で、そうだな、近い将来あいつが世界の漁業を変えるだろう。いずれアイスランドに帰る身だが、俺としてはあいつを帰したくねえ」 

「その留学生のお名前は」

「なんでお前さんに、うちのスタッフの名前を教えなきゃならねえんだ?」

 車のドアを閉めてまっすぐ立ち上がったタイラーは、その記者を上から威圧するように見下ろした。記者はそれっきり言葉が発せない。

 身長百九十五センチ、齢五十五を過ぎてなお逆三角に引き締まった体、太い丸太のような二の腕、一目睨んだだけで相手を殺せそうな鋭い視線。

 彼は周りに集まる大勢の記者たちをぐるりと見まわすと、全員に聞こえるように声を張った。

「あんたたちの仕事はなんだ? ニュースになるような面白いネタを俺から仕入れる事か。だが俺の仕事は工場長として、ここで働くスタッフの生活を守ることだ。俺はどんな手段を使ってでも自分の仕事を全うする。どんな手段を使ってでもだ」

 彼が袖をたくし上げると、女性のウエストほどもある腕が顔をのぞかせた。記者たちが一斉に後ずさる。

「他に用がないなら俺は仕事があるんで失礼するよ。そこにたむろされると仕事の邪魔だ、終わったならさっさと帰ってくれ」

 口をパクパクさせる記者たちを尻目に、タイラーは社員証を通して工場のゲートを通過して行く。

 中に入ると、いつもの元気印の女性たちが精力的に働いているのが目に入る。ほとんどが五十から六十代、早番の彼女たちはタイラーが入る三時間前、朝の五時から出勤しているのだ。

「おはようさん。今日も早くからご苦労さん」

「タイラーさん、おはようございます」

「ヨウンは?」

「窯の洗浄行ってますよ」

「飯は食ったか?」

「ええ、あたしが作った朝食、お母さんの味がするって。アイスランドの朝食と全然違うだろうにねぇ」

「バーバラにお母さんを見てるんじゃねえか? ヨウンのお母さんと同い年だろう」

「いやだねぇ、あたしは永遠の十六歳だよ!」

「ヨウンより若いじゃねえか」

 ヨウンを三人束にしたくらいのボリュームのあるバーバラは、彼をホームステイさせて身の回りの世話をしている『アラスカの母』だ。

 だがこのところメディアがうるさいので、バーバラの家にまで記者たちが押し掛けることのないよう、ヨウンにはここ数日工場に寝泊まりして貰っている。ヨウンには申し訳ないが、バーバラの家には年頃の娘がいるので彼女を守らなければならない。

「ヨウンの様子はどうだ?」

「元気ですよ。あたしに心配をかけないように、そう振舞ってるだけかもしれないけど。食事も残さず食べてくれるし、よく働いてますよ。まあ、いつもよく働いてるけどねぇ」

「そうか。まあ、何か相談したそうにしていたら、ヨウンから声をかけるのを待たずにさり気なく聞いてやってくれよ」

「やだねえ、タイラーさん、全然わかってないよこの人は」

「え?」

 やれやれと言った様子でバーバラが苦笑いするのが、タイラーにはよくわからない。

「母親に言いにくい事ってあるじゃないですか。あたしは母親みたいなもんだから、気を使うこともあるんですよ。ほら、あの子、繊細なとこあるでしょ。そういうのは同性の親年代の方がいいんですよ」

「そんなもんかねぇ」

「特に男の子はね」

 言われてみればそうかもしれない。自分もそんな時期を過ごしてこうして大人になったのだ。

「なるほどな。いっちょ俺から声をかけてみるか。バーバラ、ありがとさん」

「どういたしまして」

 ヨウンは根っからの魚好きだ。魚が好きすぎて大学では魚の生態について研究し、アイスランドの漁業に貢献したいとこうしてアラスカまで勉強に来ている。こんなところまで来るとは、骨の髄まで魚に魅了されているのだろう。

 子供のいないタイラーには、息子くらいの年齢のヨウンが可愛くて仕方がないのだ。

 タイラーだけではない、この工場で働くスタッフみんながヨウンを可愛がっていた。真面目で勉強熱心で働き者、面倒な雑用も嫌な顔一つせずに嬉々としてこなす。そんな彼が窮地に立たされた今、誰もが自然に彼のためにできることを探そうとしている。

 アイスランドで青カビの被害が出始める直前、ヨウンは休暇を使って実家に帰省していた。彼がアラスカに戻って来てすぐにアイスランドで青カビが発生。ブルーラグーンホットスプリングスが壊滅的なダメージを受けた。

 そしてその直後、アイスランドの後を追うようにここアンカレジでも青カビが発生し始めたのだ。中でも最も被害の出ている地域のど真ん中にこの工場はある。

 更に不運なことに、ヨウンの兄はブルーラグーンホットスプリングスに勤務しているという。誰も何も言わないが、それはみんなの考えていることが一致しているからなのだろう。

 もちろんタイラーもその例外ではない。とは言え、工場が停止に追いやられたのはヨウンのせいではない、カビのせいなのだ。

 だが、真面目なヨウンは責任を感じているに違いない。彼の心中は察するに余りある。

 最近では心無いメディアがヨウンを追いかけまわしているらしい。今朝のように工場へ直接来たのは初めてだが、『アイスランドからの留学生』について嗅ぎまわっているのは確かだ。

 従業員の何人かがヨウンについて聞かれたらしいが、前以てタイラーに言われていた通り、全員「自分からは話せない、工場長に聞いてくれ」と切り返したようだ。

 こんな時にヨウンがバーバラと一緒に帰宅したら、バーバラの家にメディアが押し掛けることになるだろう。バーバラは構わないと言ったが、ヨウンがそれを良しとしなかったのだ。

「ヨウンとこの工場は俺が守ってやる。必ず」

 タイラーは誰に聞かせるともなく、固く心に誓った。

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