第2話『勇者と木こりの木剣での決闘』
勇者クルスが決闘場として選んだのは、ギルドの屋外修練施設だった。どこから噂を聞きつけたのか、観客席は人でごった返している。
神託の勇者の立ち会いを見られる機会など滅多にないのだから当然だろう。この勝負を賭けごとにしている者までいる始末だ。
木こり相手の決闘に、これほどの熱狂があることに、俺は静かな怒りを覚えた。この決闘の名目は、勇者に対して不当に暴力を働いた無法者への制裁ということになっているらしい。
唯一の救いは、この決闘にアリスの名前が出てこないことだ。
観客席の最前列には、いかにも王族といった高貴な佇まいの少女、ハイエルフの族長の娘である魔術師の少女、そしてボーイッシュな女騎士が立ち並んでいた。
勇者クルスのパーティーの面々だろう。
姫騎士エリアルは冷ややかな目で俺を見下ろし、魔術師リーファは興味深そうに口元に笑みを浮かべ、女騎士フレイヤは腕を組み、つまらなそうな顔をしている。
それぞれがクルスへの忠誠心なのか、あるいは別の感情なのか、俺にはまだ読み取れない。
追放されたばかりのアリスは、不安そうな顔で一般の観客席の隅から、じっと俺を見つめている。この勝負、絶対に負けるわけにはいかない。俺の敗北は、アリスの心をさらに深く傷つけることを意味する。
審判員に促される形で、俺とクルスは訓練場の中央に向かい合う。
俺が選んだ木剣は、鍛え上げた俺の体躯に相応しい、いわゆるロングソード状の、重厚な木剣だ。
森で鍛えたこの腕には、これくらいが丁度いい。対するクルスが選んだのは、刃渡りこそ短いものの、手数を多く叩きこめる二本の木剣。
双剣使いか。小手先の技巧に走るあたり、いかにもクルスらしい。
「面白いよ。ブルーノ、お前とは一度は本気でやりあいたいとは思っていたんだよね。昔とは違う。勇者になった僕に、キミごときが勝てると思うなよ」
クルスの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。まだ2年前に神託で勇者としての地位を得る前、クルスと俺はよく木剣の模擬戦相手をしていた。
当時は体格差もあり、俺が全勝だった。
だが、勇者となり、数多くのモンスターとの戦闘をこなしている今のクルスは、昔のようにはいかないだろう……と、世間は思っている。
だが、それは、俺の鍛え上げた技を、侮っているに過ぎない。
「
俺の言葉が合図となり、クルスはわずかに身をたわめ、太ももに入れた力を一瞬で解放した。二人の距離が一気に縮まる。
その加速は、確かに以前とは比較にならない。しかし、俺の目には、その動きが、まるで止まって見えるかのように、鮮明に捉えられていた。
俺は迫りくるクルスの剣の軌道を予測し、木剣を構え、クルスの2刀の連撃を迎え撃つ。双剣の一撃は軽い、などと言われているが、少なくとも勇者クルス相手にはそれは通用しない。
木剣の戦いとは思えないほどの、重い衝撃が俺の手首に走る。戦闘をこなしたクルスは昔とは大違いだ。
スキを見せたら一気に間合いを詰められ、連撃で完封させられる。その程度は、俺も理解している。
「やるじゃん。僕の初撃を受け流すなんてさ。でも、手加減はこれで終わりだ。ここから先は僕もスキルを使わせてもらう。おいっ! フレイヤ、ボッと見てないでいますぐ僕に身体強化と、速度加速の強化魔法をエンチャントしろ!!」
……決闘の最中に、堂々と仲間への協力依頼とはな。勇者とやらのプライドは、一体どこへ消えたのだ。……『役職は人を変える』。俺はその言葉を信じていたのだが……。
最前列の見物席に座っている女騎士のフレイヤが、一瞬眉をひそめたように見えたが、すぐに無表情に戻り、詠唱を遂げると、クルスの体が淡い光に包まれた。
強化魔法が成功したということだろう。
クルスが地面を蹴ったかと思ったら、既に俺の目の前まで来ていた。明らかにさっきよりも速い。……そして重い。
身体強化が施されたクルスの一撃は、初撃よりも遥かに重く、まるで大木がなぎ倒されるかのような威力を伴っていた。
四連撃技の三連撃目までは、なんとかいなすことができたが、なかば押し切られる形で、後ろに一歩後退させられる。
上体をひねり、四連撃目の剣戟を回避するも、クルスの右手の木剣が俺の首筋をかすめる。わずかな風圧が、俺の皮膚を撫でた。
俺は一歩下がり間合いをとりつつ、木剣を力の限りに縦一文字に切り結ぶ。だが、クルスは寸前でこの攻撃を回避。
更に速度を加速し、二刀による連撃剣を放つ。俺は撃ち込まれる木剣の連続剣をいなしつつ、クルスと距離をつめる。
――――この距離なら。
決闘において体術の使用は禁止されていない。俺は前傾姿勢で突っ込んできたクルスの顔面を、迷うことなく蹴り飛ばした。
俺の土のついた靴底が、クルスの高貴な鼻っ柱にめり込み、彼は宙に吹き飛ばされる。クルスの足は地面から離れ、天地が逆さまになる。
そして、醜い顔面から地面に激突。地面を何度かゴムまりのように跳ねた後、クルスは地面に吐瀉物を撒き散らし。
観客席から、ひゅっと息を呑む音が聞こえた。審判も、あまりの光景に呆然としている。俺は、木剣の先端を、吐瀉物まみれのクルスの首元に突きつける。
俺は、審判員の方を静かに見ながら告げる。
「決着だ」
クルスは吐瀉物を喉に詰まらせて口が開けないのか、弱々しく両の手を挙げ、降参の意志を示した。
観客席からは、ざわめきと、驚きと、そして僅かな賞賛の声が上がった。アリスが、小さくガッツポーズをしているのが見えた。
「……っ! 勝者、ブルーノ」
審判が、震える声で俺の勝利を告げた。
会場は、どよめきに包まれている。誰もが、この結果を予想していなかったのだろう。勇者が、たかが木こりに、たった数合の打ち合いで、しかも仲間による強化魔法を受けた上で、あっけなく敗北したのだから。
「っざけんな……! まだだ……まだ、決闘は終わっていない。リーファ、いますぐに僕に治癒魔法かけろ。早くしろ! どこまでグズなんだ!? キミが無能なせいで危うく僕が恥をかかされそうになったじゃないか!! そうだ! キミの治癒が遅いから……あの、無教養で、顔が劣った、知能の低い審判に勇者である僕が負けにされるところだったじゃないか!! あ? さっき両腕を上げた理由? そんなのは決まってるだろ!? 全く効いていないというアピールのためだッ!!」
しかし、クルスは、まだ諦めていなかった。それどころか、責任を仲間に転嫁し、罵倒し始めた。決闘の立ち会いを見守っている観客たちも、クルスの恥も外聞もない戦い方に、白けている。
それは例外なく、クルスに賭け金を掛けていた観客ですら、キョトンとした顔でこ首をかしげていた。
だが、不平を口にすれば、王都を追放、下手をしたら死罪にされかねない。だから、彼らは口には出さず、黙っている。会場は異様な空気に包まれていた。
「……エリアル。僕が走り出したのと同時に奴にファイア・ボールを放て」
クルスは、吐瀉物で汚れた顔のまま、指示を出した。決闘の最中に、仲間を使い、しかも魔法攻撃まで指示するとは。
……そのような行動が『勇者』という者が行うという、その意味を理解しているのだろうか。……残念ながら理解しているはずはないだろう。
指示の言葉を受け、姫騎士エリアルは、さすがに一瞬ためらうも、魔導書を開き魔法の詠唱を開始した。
その表情には、明らかな迷いと、そして怯えが浮かんでいた。彼女も、こんな戦い方は本意ではないのだろう。だが、クルスに逆らえない何かがあるのかもしれない。
「降参しろよ……ブルーノ。犬のように僕の靴を舐めるか、頭を地面にこすりつけながら、僕に許しを請えば、今なら首の代わりに腕をたった一本斬り落とすだけで特別に許してやるよ。幼馴染だから特別サービスとして、な?」
クルスの言葉は、侮辱と、そして脅しに満ちていた。俺のプライドを、尊厳を、徹底的に踏みにじろうとする意図が、ありありと見えた。
「断る」
俺は、迷うことなく言い放った。
「ふへっ、ふへへっ、ならここで死ねよ。……これが絆の力だぁああっ!!!」
クルスが地面を蹴ると同時に、観客席の女性、エリアルが空中に描いた魔法陣から、ファイア・ボールが放たれる。
目の前に迫りくる、クルスの双剣の剣戟と、そして燃え盛る火球。それらを同時に、なんとかしなければならない。おそらく、魔法と双剣の振るわれるタイミングは、ほぼ同時。
――――なら、同時に斬ればいい。
魔法を斬ったことなどない。可能かどうかも分からない。だけど、同時に断つには、やるしかない。村の周りの木を切り続けて10年間。
一日も休まずに来る日も来る日も、木を切り続けた。ときには山の中で遭遇したギガント・オークや、ホブ・ゴブリンを、ナマクラのナタで、叩き殺したこともある。
モンスターは『木』……特に、水分を多く吸った『生木』と比べれば、あまりにも脆く、どこを斬りつけても簡単に死んでしまう、あまりに儚い存在だ。
モンスターと戦ったことがあるのは、クルスだけではない。だが、何よりも多く反復で繰り返し、この体に染み付いているのは、最も多くこなしてきた薪割りだ。
単純な上方から、下方へ向けて放たれる斬撃。だが、縦一文字に振るわれる一撃は、本物の剣であれば、兜をすら破壊するだろう。
俺は、目をつむり、極度の集中の世界へ踏み込む。気の遠くなるほどの反復の中で辿り着いた境地。それは、もはや『技』の域にまで達していた。
「――見えた」
音も、光もない、静寂の中に迫りくる2つの物体。俺はカッと目を見開き、ただ縦一文字に木剣を振るう。
完成された、究極の一撃。俺が繰り出したのは、ただ上段から下段へ振り降ろされる縦斬り。体に最も染み付いた動作。
ただし――その威力も速度も、何もかもが段違いだった。
振り降ろされた木剣は、ファイア・ボールを真っ二つに両断し、前傾姿勢で横薙ぎに剣を振ろうとしていた、クルスの右肩に、そのまま振り降ろした。
一撃でクルスの鎖骨、肩甲骨、肩峰、胸鎖関節を破壊すると、そこで止まった。――――否。木剣がそこで折れたのであった。
遅れて、ドサリと、重い音が聞こえてくる。あまりの激痛に気を失ったのか、それ以上、クルスは動かなくなった。
観客席は、静まり返っている。誰もが、この光景を信じられないといった様子で、呆然と立ち尽くしていた。
「審判さん。決着だ。この男を治癒院に連れていけ」
俺の言葉に、審判は、ようやく我に返ったかのように、慌ててクルスの元へ駆け寄る。普通なら成立しないはずの、仲間による魔法攻撃まで含めた勝負。
だが、この決闘の持つ意味合いは、俺と奴とでは重みが違った。
それが、俺と奴との勝敗を分けた、決定的な理由だった。アリスを守るという、俺の決意が、クルスの歪んだプライドを打ち砕いたのだ。
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