【ざまぁ追放】された勇者の幼馴染を木こりの俺がもらいます
くま猫
第1話『勇者による幼馴染追放宣言』
王都の喧騒が遠く聞こえる、俺の慎ましい家。
いつもならば斧を振るう音や、アリスの朗らかな歌声が響くこの場所も、今日は張り詰めた空気に包まれていた。
俺はブルーノ、しがない木こりだ。
そして今、居間からは、義理の妹であるアリスと、彼女の、そして俺の幼馴染でもある勇者クルスの、忌まわしい言い争いが聞こえてくる。
アリスと俺に血の繋がりはない。
10年前、親父がどこからか連れてきた、まだ幼かったアリス。今年で18になる彼女は、太陽のように朗らかで、いつも俺の心を温かく照らしてくれる、大切な家族だ。
元来無口な親父はアリスの出自について多くを語らなかったが、曲がったことが嫌いな親父のことだ、きっと深い事情があったのだろうと、俺は漠然と考えていた。
オフクロもまた、アリスが家族となることを何も言わず受け入れ、我が子として惜しみない愛情を注いで育ててくれた。
そんな温かい家庭で育ったアリスが、今、あんなにも怒鳴り声を上げている。その事実が、俺の胸に不穏な予感を広げた。
アリスの、あの震える声を聞くだけで、俺の腹の底から何かがこみ上げてくるのを感じる。
「べっ、別にあんたのことを心配して言っているんじゃないんだからね!」
アリスの震える声が聞こえる。心配? 誰が? あぁ、クルスにだ。彼女の口調からは、普段の強気な態度とは裏腹に、どうにもならない苛立ちと、それでも相手を気遣う健気さが滲み出ていた。
しかし、クルスの返答は、その健気さを嘲笑うかのような、冷酷なものだった。
「心配? 村娘のキミごときに勇者である僕が心配される必要なんてないよ。いつまでも、幼馴染という特別な立ち位置を利用して、偉そうにしないでくれないかな?」
――村娘? 特別な立ち位置? 幼馴染という関係を、そんな風に侮蔑の言葉で切り捨てるのか?
クルスの声は、どこまでも傲慢で、人の心を微塵も顧みない。神託で選ばれたという勇者の称号が、ここまで人間を歪ませるのか。
いや、元々こういう奴だったのかもしれない。ただ、勇者という立場が、その本性を増長させただけなのかもしれない。
「あっ……あんたなんて……バカっ」
アリスの絞り出すような罵倒が、俺の耳に届く。普段のアリスからは想像もできない、精一杯の抵抗だろう。しかし、その言葉が、クルスの傲慢さに火を注ぐ。
「……おい。いま、俺に向かって"バカ"っていったな? これは酷い暴言だ。神託で選ばれた勇者である僕に対して酷い誹謗中傷だッ、聞くに耐えない……。幼馴染だからって調子に乗りやがって。昔からの腐れ縁だからコネで特別に、この僕のパーティーに入れてあげたのに感謝もなしにその態度。いい加減ッ、僕も我慢の限界だ」
まるで、アリスが自分を心配して言った言葉の裏にある、純粋な好意など存在しないかのように。勇者としての地位を笠に着て、恩着せがましく『コネで入れてやった』などと……。
アリスが抱いていたであろう、クルスに対する淡い恋心を知っていた俺にとって、その言葉は聞くに堪えなかった。アリスのあの健気な想いを、こいつは……。
「ご、ごめんなさい。言い過ぎたことは謝ります。わっ私は、ただ、あなたが心配なだけで……昨日も、朝まで飲みまわっていたじゃない。今日はゴブリン・ロードの討伐という危険なクエストなのよ。勇者のあなたが、万全な体調じゃないと、あんたが怪我する可能性だって……」
アリスの弁明は、ひたすらに相手を案じる、優しさに満ちたものだった。しかし、その優しさが、クルスには理解できない。あるいは、理解しようともしない。
「やれやれ……余計なお世話もここまでくるとイラッとくるね。このパーティーのリーダーは誰だ? 勇者であるこの僕だ! キミの無用な心配なんていらない。はぁ……これだから身の程知らずな村娘はいやなんだ。いつまでも幼馴染だからって甘い顔していたら、勘違いしやがって。そろそろ本格的に分からせてやる必要がありそうだね。あとさあ……うっかり聞き逃しそうになったけどさ、僕に対して『あんた』だぁ!? 僕のことは『勇者様』って言えって言ったよねぇ!!!」
『分からせてやる』 その言葉の響きが、俺の頭の中に警鐘を鳴らした。それは、ただの口喧嘩ではない、明確な悪意と、支配欲の表れだった。そして、クルスが口にした次の言葉は、俺の堪忍袋の緒を、音を立てて断ち切った。
「わっ分からせるって……な……なによ……っ」
「アリス。お前は僕のパーティーから追放だ。もう、キミのようなどこの馬の骨ともしれない村娘に付きまとわれるのは迷惑なんだよ。分かるだろ? 僕とキミとでは身分が違い過ぎるんだよ。君と関わっていると僕の格が落ちるんだよ! 格も徳も何もかもが違う。言われなくても……いい加減分かれよ、この村娘風情が!」
……追放。身分の違い。村娘風情。
クルスの言葉は、まるで鋭利な刃物のように、アリスの心を切り裂いていく。アリスがどれほどクルスのことを想い、どれほど彼の役に立とうと努力してきたか、俺は知っている。
その純粋な努力と好意を、ここまで踏みにじるクルスの言葉が、俺の心の奥底に眠る怒りを呼び覚ました。俺の、たった一人の、大切な妹を。
「まず、『あんた』と呼んでしまったことを、謝罪します。申し訳ございませんでした。そ……そうよね。確かに、王族の血を引く姫騎士のエリアル様、ハイ・エルフの族長の娘の魔術師のリーファ様、英雄の血を引く女騎士のフレイヤ様と比べたら……私のような平民は邪魔なのかもしれない……」
アリスの声が、絶望に震えている。『それでも』と、何かを言おうと藻掻くアリス。
クルスの傍にいる三人の女性たちは、それぞれ高貴な出自を持ち、華やかな能力を持っていると聞く。それに比べて自分は、とアリスが卑下するのも無理はない。
だが、アリスには彼女たちにはない、温かさと優しさがある。それをクルスは…。
「はぁ……僕もねぇ。いい加減……我慢の限界なんだよ。いつもいつもたいして美味しくない、冷えた弁当を渡してきやがって! 僕がどれだけ不快な想いをしていたか、キミは知っているかい? わざわざキミに隠れてゴミとして弁当を捨てる苦労を知っているかい? 君の弁当をわざわざコッソリ捨てる時に優しくて繊細な僕の心がどれだけ傷ついたかわかっているのか!? あん!!」
……冷えた弁当。ゴミとして捨てる苦労。
その言葉が、アリスの心を深く深く抉り、彼女の最後の希望を打ち砕いた。アリスが毎朝、誰よりも早く起きて、慣れない手つきで一生懸命に作っていた弁当を、クルスは、そんな風に思っていたのか。
俺は、怒りで体が震えるのを止められなかった。あのアリスの小さな手が、一生懸命に握ったおにぎりを、こいつは…。
「ひっく……ごめんなさい……ごめんなさい……ご迷惑をかけて、ごめんなさい」
アリスの嗚咽が、俺の耳に突き刺さる。
その謝罪は、クルスへの純粋な後悔と、自らの無力さへの絶望が入り混じったものだろう。しかし、クルスの言葉は、さらに残酷に、彼女を追い詰める。
「はぁ? いまさら詫びても、もう遅いッ! 許すかよ、バーカ。すっげぇ迷惑だったんだよ。俺はできたての温かい料理以外は食べたくないんだよ。平民の汚れた手で作られた何が入っているのか分からないような怪しげな弁当を毎日毎日渡されて不快な想いをさせられる僕の気持ちを考えたことある? キミの弁当を食べて僕がおなかを壊したらその責任を取れるの? それともそんなに僕に嫌がらせをしたかったのかな? おいっ! 何か言え! ゴミ女! 木こりの妹! ド底辺!」
ゴミ女。アリスがそんな言葉を浴びせられている。その瞬間に、俺の頭の中の何かがプツリと切れる音を聞いた。普段、温厚な俺の感情の堰が、決壊した。
「申し訳ございません。平民である私が、勇者であるあなた様に対して、ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。浅はかで無神経に……お弁当を作ってしまったこと、平にお詫び申し上げます。……嫌がらせのつもりではなかったのです。でも、あなたの気持ちを考えずに迷惑をかけたことは謝まります……本当に、ごめんなさい」
アリスの謝罪は、どこまでも謙虚だった。
それが、クルスの醜悪な本性を、より一層際立たせる。勇者は、アリスの胸ぐらを掴み、ツバが飛ぶほどの至近距離で怒鳴りつけた 。その行為が、俺の怒りの沸点を完全に超えさせた。
「はあぁっ?! なにが "あなた" だ。僕がさっき『あんたって二度と言うな!』って言ったからって、一文字変えて誤魔化そうとやがったな!? あああああ!!! 僕には『勇者クルス』という立派な名前があるんだ。いつまでも、たまたま隣近所に住んでいた幼馴染という特権を盾にして僕に対して無礼な態度を取るんじゃねーよ。この、ストーカーブス!」
聞くに耐えない罵詈雑言の羅列。
ストーカーブス。もはや、我慢の限界だった。クルスがアリスの胸ぐらを掴んだまま、彼女の顔面に向かって拳を振り上げたその瞬間、俺の体が動いた。
ガシッ――――
勇者の振った右拳が、アリスの顔に届く寸前で、俺は彼の手首を万力のように握り締めて止めた 。
いつも太陽のように微笑んでいる、気丈なアリスが、今、俺の目の前で、涙を流していた。その光景が、俺の頭の中の何かが壊れたことをはっきりと告げていた 。
「おい……下等で下賤な身分の木こり風情が……僕の体に触れたね?」
クルスの声には、驚愕と、そして侮蔑が入り混じっていた。
「それがどうした」
俺の声は、自分でも驚くほど冷徹で、感情のこもっていない響きだった。
「はん。勘違いしては困るな、木こりぃ。これはねぇ……僕の部下に対しての教育的な指導の一環なんだよ。これはね、躾けだよ。部外者のキミにとやかく言われる事ではないんだよね。それとも、キミもそこのストーカーブスと同じように幼馴染の特権を盾に僕に対して何か偉そうな事を言おうとでもいうのかい? 厚かましい野郎だな?」
部下?教育的指導?呆れるばかりの言い訳だ。クルスは、アリスへの暴行を、さも正当な行為であるかのように言い繕う。
「クルス、おまえは先ほどアリスを追放すると宣言したばかりだ。つまりお前のしたことは、村人に対する暴行罪だ。勇者特権で罰せられこそはしないだろうが、王都の民のお前に対する信頼は地に落ちるだろう」
俺の言葉は、静かだが、クルスにとっては耳障りだったのだろう。
「おい、木こり。さっきから、木しか切るしか出来ない、能無しのゴミの分際でごちゃごちゃとうるせぇんだよ……。てめぇも、俺をいつまでも昔の頃の俺と同じように思ってナメているなら、お前らまとめて分からせてやる」
『分からせてやる』その言葉を、今度は俺に向けて吐きやがった。クルスの顔は、怒りで醜く歪んでいる。
「アリスは関係ない。お前に触れているのはこの俺だ、勇者クルス」
俺は、アリスを庇うように、クルスから少し離れた位置に引き寄せた。アリスの手を強く握りしめる。
「っ……痛えなぁ。いつまで僕の手首を握っているんだ。さっさと離せ!!」
俺は、クルスの手首を握っていたその手を離す 。万力で締め付けられたように、彼の白い手首には、くっきりと俺の指の跡が残っていた 。
クルスは手の痺れを誤魔化すように、しばらく手を開いたり閉じたりを繰り返していた 。本当なら、そのまま腕をへし折ってやりたかった。
だが、それをすれば、鬱憤の溜まったクルスの怒りが、再びアリスに振るわれる可能性があった。だから、俺は我慢した 。
クルスは手の痺れがとれたのか、右手で左手の白手袋を外し、俺の足元に投げつけた 。なんとも時代がかった、決闘の申し込み方だ 。
「おい。木こり、木剣で決闘だ。お前のような平民風情が、高貴な僕の腕に触れたその罪を思う存分に理解させてやる」
なんとも短絡的な思考の男だ。今どき貴族でも、こんな古臭い決闘の真似事をする奴はいない。個人間の決闘など、もはや廃れた風習だ 。
勇者として選ばれる以前は、俺やアリスと同じ、ただの村人だったはずのクルス。あの気の弱そうで、どこか可愛げのあった面影は、もはや見る影もなかった 。
クルスが急に貴族のように振る舞い出したのは、2年前に神託で勇者に選ばれてからのことだ 。教会の連中が、こいつに何を吹き込んだのか。
「木剣で良いのか」
俺は、敢えて彼の言葉に乗り、確認を促す。その目に、わずかな怯えが見えた気がした。
「ふん。勇者の僕が木こり相手に本物の剣を使う必要はない」
決闘などと言いながらも、命を賭ける覚悟もないのか。
その事実が、俺の怒りに、さらに冷徹な決意を上乗せした。
「身の程知らずな愚かな木こり、僕に付いてきな。お前を公開処刑してやる」
クルスの言葉が、俺の背後で、不安げな顔をして佇むアリスの瞳に、僅かな光を灯す。
そうだ、俺は、アリスのために、この決闘を受ける。そして、アリスを侮辱し、傷つけたクルスに、木こりの力で、その身の程を思い知らせてやる。
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