屏風に描かれた虎退治

 宴会はようやく終了した。膨れた腹を撫でながら畳に寝転がる二九休にくきゅう。行儀の悪さは兄弟子の一休に勝るとも劣らない。義教は苦々しく思いながらも平静を装って言った。


「食事が済んだところでそなたに頼みごとがある。聞いてくれるか」

「いいですよ」

「ならば別の部屋へ移ろう。付いて参れ」


 義教は部屋を出た。二九休も起き上がってその後を歩く。廊下を曲がったところで義教はとある部屋へ入った。


「これはまた粗末な部屋ですね」


 義教に続いて中へ入った二九休は少々驚いた。床は畳ではなく板張り。周囲は土壁。天井板はなく梁が剥き出しになっている。


「ここは手合わせ厳禁の間だ。その名の通り、この部屋で両手を合わせることは禁じられている」

「えっ、手合わせ厳禁、ですか」


 二九休の声が震えている。義教はさらに畳みかける。


「禁じられているのは両手を合わせることだけではない。右手と左手を触れ合わせることも駄目だ。指を組んだり、手のひらで手の甲をこすったり、右手で左手を突っつくことも禁じられている」

「突っつくことも、駄目……」


 二九休の顔が青ざめている。額には薄っすらと汗がにじんでいる。義教は胸中で万歳の声を上げた。


(やはりそうだったのだ。左手の肉球こそが二九休の知恵の源。あの仕草を封じればこやつはただの小坊主に過ぎぬ)


「そ、それで、私への頼み事とは何ですか」

「おお、大切な事を忘れておったな。あそこに虎を描いた屏風があろう。あやつ、やんちゃな虎でな。毎晩屏風を抜け出してそこらを走り回るので皆寝不足になって困っておる。そこでそなたにあの虎を捕らえてほしいのだ」

「屏風に描かれた虎を捕らえるのですか」

「そうだ。頼んだぞ」

「は、はい」


 二九休の左手が開いた。右手の人差し指がそこに近づく。


「おっと、先ほどの話を忘れてはいないだろうな。ここは手合わせ厳禁の間。右手と左手が少しでも触れ合えば厳罰に処される。生きて帰れぬと思え」

「わ、わかっています」


 慌てて両手を引き離す二九休。体が小刻みに震えている。額の汗は玉となって顔を流れていく。


「えっと、じゃあ、虎を縛る紐を持って来てくれませんか」

「よかろう。誰か紐を持て!」


 義教が手を打ち鳴らすと下僕が数本の紐を持ってやって来た。受け取った紐でたすき掛けをし、残りの紐を両手に握り締め、二九休は言う。


「それでは屏風から虎を追い出してください。そうすれば私が捕らえます」


(勝った!)


 義教は今度こそ勝利を確信した。かつての一休と寸分違わぬ行動だ。そしてそれはすでに義教の想定内の行動でもある。


「ほほう、屏風から虎を追い出せと申すか」

「はい。夜中に屏風から虎が抜け出すのなら、追い出すことだってできるでしょう」

「もし追い出せたなら、間違いなく捕らえるのだな」

「も、もちろんです」

「その言葉忘れるな。皆の者、取り掛かれ!」


 義教が号令をかけると数名の武者が部屋へなだれこんできた。これまでの下僕とは違う勇ましい男ばかりだ。そんな荒男あらおとこたちが屏風の後ろへ消えていく。


「放て!」


 義教がそう言い放った瞬間、屏風はバリバリと音をたてて破れ、紐を握って待つ二九休の前に本物の虎が躍り出た。なんたること、屏風の裏には虎を入れた檻が隠されていたのだ。その扉を男たちが開いたので虎が屏風を破って出てきたのだ。


「ひいいいー!」


 悲鳴を上げる二九休。義教は豪快に笑い出した。


「わははは。どうした。何を怯えている。そなたの望み通り虎を追い出したのだ。早く捕らえぬか」

「は、はい、でも、ひいい」

「わははは」


 義教は愉快で仕方がなかった。この二十年、一休に対する復讐の念は片時も忘れたことはない。屏風から虎を追い出す、これを実現するために数年前、隣国明から曲芸に使われている虎を取り寄せ、密かに飼いならしていたのだ。


(まんまと計略に嵌めてやったわい。この勝負、わしの勝ちだ)


「どうした、二九休。まさか本当に虎を追い出すとは思っていなかったのではないか」

「い、いえ、そんなことは」

「やせ我慢をするな。そなたに虎を捕らえられるはずがない。降参しろ。土下座して許しを請うのだ。己は知恵などない無能な小坊主だと宣言するのだ。将軍様には二度と口答えせぬと誓うのだ。さすればこの猛者たちに虎を取り押さえるように命じ、そなたを助けてやる」

「嫌です。そんな約束をするくらいなら死んだほうがマシです」

「そうか、ならば死ね。それ、やれっ!」


 義教の合図を受けて男たちが虎をけしかける。二九休は死を覚悟した。


(ああ、私の命もここまでか。サヨちゃん、ごめん。お土産は饅頭ではなく私の亡骸になりそうだ)


 二九休は目を閉じた。瞼の裏に愛らしいサヨの面影が浮かぶ。別れ際の言葉が聞こえる――これは魔よけの妙薬を仕込んだお守り。きっと二九休さんを守ってくれるはず――


(お守り……)


 二九休は思い出した。お守りを渡す時、猫のタマが飛びかかってきたことを。


(もしや……)


 確証はなかった。しかし今はその思い付きに賭けるしかない。二九休は懐からお守りを取り出すと虎に向かって投げつけた。


「ごろにゃ~ん」


 虎はお守りに鼻を擦り付けると、隣から借りてきた猫のように甘えた声で鳴き始めた。


「な、何事だ」


 義教も勇ましい男たちも呆気に取られた顔で立ち尽くしている。しかし二九休は違った。


「今だっ!」


 体を床に擦り付ける虎に近付き、前足、後足を紐で縛り上げ、ついでに大きな口を布で巻いてしっかりと猿ぐつわを噛ませた。


「はい。ご覧の通り、虎を捕らえました。これで夜に屏風を抜け出すことはなくなるでしょう。と言うか、屏風の絵は破れちゃっていますから、もう屏風は関係ないですね」

「うぐぐ……」


 義教は床に落ちているお守りを拾い上げた。中を開くと長い楕円形の実がいくつも入っている。


「これは……そうか、マタタビか」


 してやられた、と義教は思った。まさかここまで用意周到だったとは……


「そなた、一休から虎屏風の話を聞いていたのだな」

「いいえ。そうではありません。この勝負、私が勝ったのではありません。将軍様を負かしたのは私ではなくサヨちゃんです」

「サヨ、とな」


 二九休は無言で頷くとそれ以上何も言わなかった。義教もまたそれ以上尋ねることはなかった。


 * * *


 無事、寺へ帰った二九休は和尚にこっぴどく叱られた。言いつけを破って将軍様をコテンパンに叩きのめしたからだ。二九休は深々と頭を下げると真剣な面持ちで言った。


「和尚様、私は僧侶になるのを諦め、寺を出ようと思います」

「ほ、本気か、二九休」


 和尚が訳を尋ねると二九休はこう答えた。


「将軍様の執念深さを考えるとこのまま引き下がるとは思えません。今回の敗因を分析し、さらに悪辣な罠を仕掛けて再び召喚してくるはずです。私はあんなトンチ合戦はもうこりごりです。それに今回の一件で私への恨みつらみは倍増したはず。それは安国寺への憎しみとなって、和尚様や他の小坊主たちにも迷惑を掛けるに違いありません。それを避けるには私が寺を出るのが一番良いのです。それに……」

「それに、何じゃ」

「私はこれまで知恵こそが人を幸福にできると思っていました。しかしそれは間違いであることに気づいたのです。本当に人を幸福にできるのは知恵ではなく人を思いやる心なのです。それを悟った今、もはや仏の道を捨てることに何の未練もないのです」


 和尚は反論できなかった。こうして二九休は数日のうちに安国寺を去ることとなった。


「二九休が寺を出ただと!」


 次のトンチ合戦で必ず父の仇を討とうと戦略を練っていた義教は、二九休出奔の話を聞いて大いに憤慨した。二九休を除けばどの小坊主も平々凡々。そんな者たちにトンチ合戦で勝ちを収めたとて父の仇を討ったとは言えない。


「くそ、これでは父上の無念を晴らすことは永遠にできぬではないか」


 鬱憤を溜め込んだ義教の治世は独断と恐怖に満ちることとなった。特に僧侶に対しては辛辣で、日蓮宗の僧日親に焼けた鍋をかぶせて舌を抜いたり、反抗する延暦寺の僧四人を捕らえて首を刎ね、それに抗議した山徒二十四人が焼身自殺するという事件を引き起こしたりした。

 暴政は僧侶だけでなく武家や公家にも及び、最後は身の不安を感じた守護大名赤松満祐の屋敷に招かれ暗殺された。二九休とのトンチ合戦から十三年後のことである。

 寺を出た二九休がどうなったか、詳しくはわかっていない。伝え聞くところによれば、仲良しのサヨと夫婦になって都の片隅で百姓を営み、たくさんの子や孫に囲まれ、貧しいながらも幸福な一生を終えたということである。めでたしめでたし。

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二九休さん 沢田和早 @123456789

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