生臭料理を召し上がれ
宴会は続く。
「時に二九休、そなた旅に出たことはあるかな」
「はい。和尚さんのお供をして奈良へ行ったことがあります」
「ならば奈良街道の関所も通ったであろう。どう感じた」
「抜けるのに時間がかかるし、お役人の高慢な態度も鼻につくし、とても不快に感じました」
「そうであろう。関で止められ旅を中断させられては、楽しい旅路も台無しだからな。そこでわしは本日この時からしばらくの間、全ての街道の関を撤廃することにした」
「それは良きお考えですね」
「関がなくなれば関止めもなくなり、全てが支障なく街道を行き来できる。そうだな、二九休」
「はい。全てが支障なく街道を行き来できます」
(ふっふっふ、その言葉を待っていたのだ)
義教は密かにほくそ笑んだ。これは次の合戦への布石なのだ。
「誰か、あれを持て」
義教が手を打ち鳴らすと下僕が皿をのせた膳を持って入ってきた。皿に盛られているのは鯉の洗いだ。
「池で飼っている錦鯉を調理させた。有難く食べるがよい」
「うわ~、これは美味しそうですね」
にこにこ顔で歓声をあげる二九休。勝った、と義教は思った。これもまた一休の敗戦から学んだ作戦である。
仏に仕える身でありながら一休は小坊主の頃から平気で肉や魚を食した。それを咎めると、
「私の喉は街道のようなものです。どんなものでも通るのです」
などと言う。そこで刀を取り出し、
「どんなものでも通るのならこの刀も喉を通るのだな」
と脅しつけると突然ごほごほと咳を始めた。しばらくしてようやく咳が収まると、
「ふう~、やっと咳が止まりました。喉の咳が止まった、つまり関止めになったのでもう何も通ることはできません。御馳走も、お茶も、もちろんこの刀も」
と言ってその場を切り抜けたのだ。
(だが此度はそうはいかぬ。たった今、街道の関は全て撤廃すると宣言したのだからな。関がなければ咳をしたところで何の意味もない。ふふ、二九休のやつ、己が罠に落ちようとしていることにまだ気づいておらぬようだな)
これまでの二戦は全てこちらが難題を吹っ掛け、それに対して二九休が小賢しい行動を起こす、という形で敗北を喫してきた。
だが今回の戦は違う。難題は吹っ掛けずこちらに都合のいい行動へ二九休を誘い、その後でその行動を責めるのだ。
負けを装って敵軍を死地に誘い出し、その後一斉攻撃をして殲滅させる、孫子三十六計のひとつ調虎離山の計と言えよう。
(さあその鯉を食え、食って言い訳してみろ。ふふふ、今度こそわしの勝ちだ)
義教は待った。二九休が鯉を口に運んだ瞬間、この戦の勝利は確定する。それを待っているだけでよいのだ。これほど楽な戦はない。
が、
「ぷに、ぷに、ぷに、ぷに……」
突然二九休が例の動きを開始した。三度目となると義教も気になって仕方がない。身をずらして二九休の手のひらを見た。
(な、なんだあれは。手のひらの真ん中が盛り上がっているではないか。これではまるで猫の肉球……はっ、もしや)
義教は気づいた。なぜ民衆はこの小坊主を二九休さんと呼ぶのか。それは手のひらに肉球があるからではないのか。そして知恵の源はこの肉球にあるのではないか。だから毎回肉球を突っついているのではないか……ぷにぷに三度目にしてようやく義教はこの真理に到達した。
「ぷに、ぷに、ぷに、チーン。うん、閃いた。将軍様、すみませんが仏の教えによって私たちは生臭ものを食べてはいけないことになっています。鯉を食べるのは遠慮します」
「将軍の出した料理を食べられぬと申すか。無礼ではないか」
「肉食を禁じられている僧侶に魚料理を出すのは無礼ではないのですか」
「うぐ……」
なんたる失態。料理を食わせて難癖を付けるというこちらの企みを見抜かれてしまったようだ。あるいはいきなり関所の話をしたので警戒心を高めてしまったのかもしれない。いずれにしても魚を食わねば今回の戦は始まらぬ。
「ああ、それもそうだな。ならばよい」
義教はあっさり引き下がった。これで三連敗だ。だがそれほど悔しくはなかった。二九休の知恵の秘密がぼんやりとわかりかけてきたからだ。
(次の戦で試してみるか。あの肉球突きを封じれば勝てるかもしれない)
闇に覆われていた胸中に微かな光が灯った、そんな気がした義教であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます