第50話 撲殺END、そして……
全てがAIで管理されているこの世界に『無限』という概念は存在しない。
人がそれをうまく理解出来ないように、AIもまた無限という概念には手こずるからだ。
「うおおおおおお!!」
だから、無敵状態とか言われている王太子だって、けして『無限の回復力』を持っているわけではない。
その数値、およそ秒間500万。
素手の一撃ではまず致命傷を与えようのない回復力を、ただ持っているだけだ。
グママーに踏み潰されたって大丈夫。
そんな状態のNPCを素手で倒すなんて、普通に考えてあり得ないだろう。
だがそのあり得ないことが起こった。
あり得ないことが起こる――人はそれを奇跡という。
俺の周囲を飛び回っていた3つのカメラが、その一部始終を捉えていた。
《1カメ》
――ギュウウウウウン!
「おおっ!」
観衆が、
《2カメ》
――ギュウウウウウン!
「……むっ!?」
王太子が、
《3カメ》
――ギュウウウウウン!!
「……まあっ!」
聖女が、
それぞれ、そのとんでもない威力を秘めた拳の行く末を見守っていた。
俺の全身から吹き荒れる、竜巻のような奔流に、その髪と衣装をなびかせながら。
《1カメ(スローモーション)》
地面すれすれまで引き絞られた拳。
ピンクのドレスを着た妙にガタイの良い淑女が、渾身のアッパーを放とうとしている。
その拳の輝きは、通常のドゥームストライクのエフェクトとは異なるものだ。
握られた黄金の輝きが消え失せる程の、燦々とした白光に染め上げられている。
さらには淑女の胸には、白金の絆の証たる紋様が浮かび上がっていた。
「 う お お お お お お ! ! 」
乙女らしからぬ咆哮とともに突き上げられた拳は、その全身の筋力を全て集約させて、王太子の顎下へと打ち込まれた。
「n゛――――!?」
尋常ならざる運動量に突き上げられ、王太子の端正な顔が、あたかも蜃気楼のように上下にブレた。
カメラのシャッタースピードが追いついていない。
もはや人の目で認識できるような速度ではなく、完全な撮影には高速度カメラが必要であった。
そして――。
――ガッシャーン!
音だけが先に響いてくる。
アッパーがヒットした次の瞬間には、王太子の体はシャンデリアごと天井に激突していたのである。
そのあまりの速度に、全てのカメラの視点移動が追いつかない。
《2カメ(スローモーション)》
一番先に焦点を合わせたのは2カメだった。
王太子の体は、半ば天井にめり込み、石材でつくられた強固な天井を陥没させるに至っていた。
甚大な回転力をもって、コークスクリュー的に激突したらしく、鋼鉄製の巨大なシャンデリアはグネグネにひん曲がり、天井との間に引かれた鉄製の鎖もまた、全てその威力で引きちぎられていた。
「――――――ga!?」
口と両目を大きく開き、どうやら驚愕の表情を浮かべているらしい王太子。
だが、その時点で既にHPは0となっていたようだ。
落下による地形ダメージを受けるまでもなく、顎下への一撃を受けた時点で、全てが終わっていたのだ。
【王太子ジョーンに17077500のダメージを与えた】
《1カメ》
「――?」
視界の端に表示されたシステムメッセージ。
そこに記されていた数値のケタを、俺は「なんのこっちゃ」とでも言うような顔で見ている。
目にゴミでも入ったか――?
そのくらいにしか考えていなかった。
その時王太子の体には、1700万超というわけの分からないダメージが、確実に叩き込まれていたというのに。
《3カメ》
会場全体を、徐々に引くように撮影している3カメ。
「あー……」
天上高くに吹っ飛んだ王太子さまを、間抜けな顔でポカーンと見上げる俺。
シャンデリアと激突した王太子は、そのまま絡み合いながら地面に落っこちてきた。
――グワガラーン! ガチャーン!
そして激しく床に叩きつけられ、夥しい地形ダメージを食らった――かのように、俺の目には見えた。
《1カメ》
俺の肩越しに王太子のアップ。
――なあ
その時、一瞬だけ王太子と目があった。
――俺、どうしたらいいんだ?
彼の瞳は、あたかもそう訴えているかのようでもあり――。
「グフー!!」
「!?」
だがその直後、口から盛大に血を吹き出した。
おそらくは、システム的にあり得ない状況に陥った王太子AIが、次の行動を決定するのにしばしの時間を要したのだろう。
こうして王太子はポリゴンの欠片となり、見事に砕け散った。
「え……」
大広間に訪れる静寂。
やがて。
「まあ! ジョーン様!」
いわゆるひとつの正ヒロインさまが、消えてしまって居ないはずの王太子さまの下へと駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか! ほっぺたが赤くなっていますよ!」
そして、すでに存在しない王太子をゆすり起こそうとする。
ピンクブロンドの彼女は、王国領全体に回復力促進の効果をもたらす聖女であり、AIによって動かされている重要NPCのエルマ子爵令嬢だ。
「えーっと……」
俺はその姿を見て――。
「バグった!?」
激しく動揺した!!
* * *
ドゥームストライクのダメージ計算式は以下の通り。
『基礎ダメージ×(消費HP÷20+消費MP÷10)』
基礎ダメージは、普通に攻撃して与えられるダメージ量だが、この時の王太子はまったくの無防備だから、素手でもそこそこのダメージが出る。
一般的な淑女の場合においては、ビンタで1、パンチで2、ドロップキックで5、あんまり見ないがアッパーで7、と言ったところらしい。
俺は総筋力値460ほどで、しかも金塊を握ってアッパーしたから、その基礎ダメージは1380も出ていたようだ。
問題は、ドゥーム・ストライクによるダメージ倍率だった。
称号『白金の絆』――
これが、その倍率計算にとんでもない関与をもたらしていたのだ。
名誉称号などではなかった。
そして、このゲームにおいては『まず出ない』称号なのだった。
考えてみれば、それもそのはず。
領民忠誠度100というのはつまり『全ての領民が、領主に対して命を捧げる覚悟を決めている』状態だ。そんなの普通はあり得ない。
領民に1人でもマイペース爺さんがいたら、それで大抵は不可能になるし、NPCの中には、居るだけで忠誠度を下げてしまう者だっている。
ならばその者達を排除すれば良いかと言えばそうでもなく、カルマの上昇により、ますます忠誠度は上がりにくくなる。
よって称号『白金の絆』は、現在、俺を除けば2名しか取得していない鬼ムズ神レアな称号だった。
そんな取得難易度の高い称号に、なんの効果も付いてないはずもなく――。
【白金の絆】
公爵家、及び侯爵家当主として領民忠誠度を100にすることで取得。
領主の名の下に全ての領民の命が結び付けられ、瀕死状態となった領主領民に対し、その他の領主領民のHPが分け与えられる。また領主のMPが枯渇した場合も、領民より分け与えられる。
つまりは全領民と領主が一蓮托生――運命共同体となるのだ。
この状態で、領主であるプレイヤーがドゥームストライクを使用すると、領主が瀕死状態及びMP枯渇状態に陥ったと判定され、全ての領民達から、HPとMPを1だけ残した全てを搾り取ることになる――ようだ。
何故ここで『ようだ』なのかと言えば、俺以外に前例がないからだ。
断言するには、もっと詳しい検証が必要だろう……。
要するに俺は、AROにおいて初の、『ドゥームストライク』と『白金の絆』の同時取得者となってしまった。
前者は肉弾戦特化のプレイヤーでもそうそう取得することのないネタスキルであり、後者は内政特化のプレイヤーでもまず取得することのない神称号だ。
それらの同時取得が行われるなど、そう起こるものではない。
結局、俺が王太子に打ったドゥームストライクのダメージ計算式には、全領民のHPとMPから領民数である625を引いた数字が適応された。
つまり――。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
領民総HP: 12万6875
領民総MP: 6万1250
(消費HP÷20+消費MP÷10)
=(126250÷20+60625÷10)=12375倍
基礎ダメージ=1380
合計ダメージ=1380×12375
=1707万7500
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上の計算に基いて、1700万超というダメージを叩き出すに至った。
* * *
――ドヨドヨ、ガヤガヤ
「ヒール! ヒイイール! まあジョーン様、ほっぺたが赤くなっていますわ!」
婚約破棄シーンが終わり、3つのカメラは何処かに消えていった。
「…………」
俺は、そのシュールすぎる光景の前に立ち尽くす。
誰もいない空間に、ヒールの回復エフェクトだけがちゃんとかかっている。
ということは王太子……座標的にはまだそこにいるのか?
どんなホラーだそれ……。
――ドヨドヨ、ガヤガヤ
他のNPC達の反応も、なんかおかしい。
王太子が死んだことを認識していないようなのだ。
「ふぉっふぉっふぉ、クッキーも食べ飽きたのう」
「だったらパンを食べれば良いじゃない、おほほほ」
国王様と王妃様も、そんなマヌケな会話をしているし。
誰もが王太子が死んだとは……思っていない……。
「な、なんなんだ……」
異様な雰囲気だが、ある意味ではすごくリアルだ。
心理学用語で『傍観者効果』って呼ばれているのに近い。
王太子が撲殺されるという重大すぎる事件が起きているのに、誰もそれに対するリアクションを取ろうとしない。
周囲に多くの傍観者がいると、返って人々が行動を起こさなくなる効果が知られているが……俺の周囲で起きていることは、まさにそれに似ていた。
(だが……)
多分……違うんだろうな。
本当に本当に……王太子が死んだとは認識していないのだ。
やっぱり俺は……このゲームをバグらしちまったのか……。
「ど、どどど、どうする?」
ペータ君も、相変わらずムシャムシャ食っているしな……。
そうして俺がオロオロしていると――。
「あら、ジョーン様、どちらへ向かわれるのですか?」
「んな!?」
突然、聖女エルマが、見えない王太子を追いかけて、晩餐室を出ていってしまったのだ!
「待って下さいジョーン様! まだ顔のお怪我が! ヒール!」
「なんぞ!?」
どこへ行こうというのかね!?
俺は仕方なく、2人(?)の後を追ってお城を飛び出した!
「ヒール! ヒイイイール!」
聖女は見えない王太子にせっせとヒールをかけながら、どうやら公爵領へと向かって走っていくようだった――。
* * *
お屋敷へと向かう道のりで、俺はウェブであれこれと情報を漁って、以上の知見を得るに至った。
そして青ざめていた。
領民達はみんなHPが1になってしまったはずだから、その安否が恐ろしく心配だった。
「ぬおおおおー!」
「ヒール! ヒイイイイール!」
俺は2人(?)を追い越して、先に公爵領へと向かった。
「あ!」
領民のみんなは、国境付近で膝をついて、何やら祈ってくれているようだ。
「みんなー!」
俺はみんなのHPゲージを見て、少し安心した。
殆ど完全回復している。おそらくは、高級ポーションを使ったのだろう。
「あっ、そうだ!」
一番手っ取り早く調べる方法があった……!
俺はすぐに、アセットステータスを確認する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
追加項目
平均忠誠値 99
領内格闘力 329ベアー
プレイヤー 1
NPC 624
計 625
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「よしっ!」
1人も欠けていない! よかった!
「オトハ様!」
「みんな大丈夫だったか!」
「オトハ様こそ!」
サーシャ達が出迎えてくる。
だが、互いの無事を祝っている暇はない。
「ちょっと、かなり、大変なことになった!」
「そ、それは何となくわかっておりますが……」
「突然、みなのHPとMPが1になったのです。そしてその後にキラキラと……」
「もしやお嬢様の身に何かあったのかと……!」
うおっ! 不屈の闘魂まで共有されていたんだな!
「ヒール! ヒイイイール!」
だが、それに驚く間もなく……。
「うわぁ! きたー!?」
聖女様が、見えない王太子を追っかけてこっちに走ってきたのだ!
「これは奇っ怪な!」
セバスさんが叫ぶ。
「みんな! 何が起こるかわからないから、とにかく離れて!」
――ウオオオオオー!?
――コワアアアーー!!
何かの緊急車両が通るがごとく、みんなが2人(?)を通すために道を開ける。
どうやら聖女は、そのまま公爵家の屋敷へと向かうようだ。
俺たちは、少し距離をおいてそれを追いかけていった。
もう殆ど暗くなってしまった道を、戦々恐々としながら走っていく。
聖女と見えない王太子は、やがて公爵家の門をくぐり、屋敷の玄関ロビーに乗り込んでいく。
「ヒール! ヒイイイール!」
そして、そこで止まった。
「ジョーン様、ほっぺたが赤くなっておりますわ!」
まだ言ってるー!?
「な……なんということじゃあ」
「こえええ……!」
「……(ガクブル)」
「ムアアーッ……!」
闇夜になりつつある空の下、窓の明かりだけが煌々と明るい。
俺達は、完璧な事故物件と化した屋敷を前に、呆然と立ち尽くした。
【初期クエスト『婚約破棄』をクリアしました】
「はっ……!」
そして、無情にも流れるシステムメッセージ。
「オトハ様……」
「うん……サーシャ」
気づけばサーシャが、俺の腕を掴んでいた。
これは、ゲームを卒業するどころではない。
あんなビックリ婚約破棄が、注目されないわけがない!
「どうなってしまうんだ……」
そして俺たちの王国は、深刻なバグを抱えたまま世界へと開かれた。
徐々に暮れゆく空に、厚い雲が差しつつある。
時はまさに、風雲急を告げている――!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【第一章】
〜いかにして王太子は殺されたか〜
終
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