ROUND2 燃え殻を辿って

夜の浜辺。

焚き火の赤が揺れている。

火の向こうに立つ少年――ナオトの目は、強く、まっすぐだった。


「……逃げようと思えば、いくらでも逃げられた。

でも、あんたを見て……逃げたら、全部終わる気がしたんだ」


ナオトの声には、熱がこもっていた。

恐れと決意が混ざったまま、拳を握るその姿に、カイは視線を落とした。


「――三年かかった。あんたを見つけるのに」


 


ナオトは語った。

格闘技とは無縁だった家庭。

でも、ある日偶然に見た“あの映像”――無敗の地下王者・カイのリング。

それは衝撃だった。

一方的な勝利。観客の狂乱。

リングに倒れた男の表情を、なぜかナオトは忘れられなかった。


それから彼は“強さ”というものに取り憑かれた。

道場を転々とし、カイに関する情報をかき集めた。

地下ファンの噂話、封鎖された掲示板のログ、消された動画。

あらゆる手を使って、たどり着いたのがこの港町だった。


「……でも、見つけた時は信じられなかった。

あんたみたいな人間が、こんな場所で漁師やってるなんて」


それでも確かだった。

漁船の上で網を引くその背中に、映像で見た“あの男”の輪郭があった。


「俺は、あんたに拳を教えてほしい。

強くなりたい。――自分のために」


沈黙。


焚き火の木が爆ぜ、火の粉が舞う。

波の音が、ふたりの間を静かに流れていく。


やがてカイが口を開いた。


「……強くなって、どうする」


ナオトは即答しなかった。

唇を噛み、拳を強く握る。


そして、小さく、だが確かに言った。


「わからない。

でも、弱いままじゃ届かないものがあることだけは……わかる」


 


カイは火の奥の闇を見つめていた。

そこにはかつての自分がいた。

届かないものに手を伸ばし、握った拳でしか語れなかった、若き日の亡霊。


「……帰れ。ここは、そういうことを忘れに来た場所だ」


そう言いながら、カイは焚き火に枝をくべた。


ナオトは動かなかった。

座りもせず、立ち去りもせず、ただじっとカイを見ていた。


 

沈黙が流れる。



やがてカイが立ち上がり、火ばさみで木を崩す。

炎が一気に小さくなり、赤い残り火だけが砂に広がった。


「……朝四時。港に来い」


その言葉は、ただ、淡々と投げられた短い言葉だった。


ナオトが顔を上げる前に、カイはもう背を向けて歩き出していた。

焚き火の残光が、その背中をぼんやりと照らしている。


ナオトは動かなかった。

座りもせず、立ち去りもせず、ただじっとその背中を見ていた。


風が浜辺を撫でる。

だが、焚き火の赤は消えず、

――燃え殻は、まだ熱を持っていた。

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アンダーグラウンド 百架 @hyakka

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