第31話 覚(さとり)の身の上
奥深い美濃の山奥。ヤクザ者から追われている水野 繁は、土地勘のある山林に逃げ込んでいた。返す当てのない借金が五万円(三千万円)に膨らみ、八方塞がりの立場に追い込まれている。
和紙の製造販売を行っていた両親から、商売を譲り受けたが根っからの博打好きで三年で店を潰した。借金できる所からは借りられるだけ借りている。その上、女房子供を置き去りにして今、ここに居る。
取り立て人から逃げおおせたら、人の多い大阪や東京に逃げた方が良いだろう。当座の資金は何とかなる。杣人以外は猪と鹿しか通らない、獣道を歩き続けた。
いつの間にか夕暮れが迫っている。今晩は新月で月明かりが無い。日が落ちれば、自分の鼻の頭も見えなくなるような暗闇に支配されてしまう。
そうなったら流石の水野もお手上げだ。夜明けまで停滞を余儀なくされる。灯りを点ければ足元は見えるが、遠くからでも取り立て人に彼の居場所が見つかってしまう。
木々の切れ間に薄くなった夕日が射し込んでいた。水野は足を止める。
「何故、こんな所に子供が……」
夕日に照らされて、少女がポツンと佇んでいた。可愛らしいおかっぱ頭に小綺麗な和服をきている。十歳を過ぎたあたりの子供が一人で入っていける筈のない山奥にいるのに、着衣に汚れも乱れも見られない。
ボンヤリと水野を見つめている。ゴクリと唾を飲みこむ彼は、少女に人ではない何かを感じていた。
ゾクリ
水野は目を見開いた。心臓を撫でまわされるような感覚。どの位そうしていただろうか。
「ただの子供やないな。化物かもしれんと思っとるやろう」
少女は微笑んだ。水野は息を呑む。そしてこの辺りの民話を思い出した。
「そう。ワッチは
覚とは、この地方に言い伝えられる妖怪だ。人が考えていることを、全て言い当てることで知られている。全身に毛の生えた大型の猿のような姿であることが多いと言われていた。
「それは雄じゃ。覚には雌もおるわ。お前、追われとるんだろ。こっちにいらっしゃい」
妖怪に誘われて水野は一瞬迷った。だが来た道を引き返して逃げれば、取り立て人に捕まる。この場に留まれば一晩、山中に停滞しなけらばならない。選択できる立場ではない事に気づき、太い唇を歪めて笑った。躊躇なく、少女の後に着いて歩き始める。
「ワッチは付いとる。丁度ええクズに当たったわ」
うっすらと微笑んだ少女の独り言は、水野の耳には届かなかった。
「
美濃の山里。丸眼鏡をかけた男の子が深い森の入り口で、大きな声をあげた。しばらくすると、おかっぱ頭の少女が現れる。少年は袋を少女に手渡す。
「これ食べて!」
袋の中には金平糖が入っていた。この時代、子供が手に入れることなど出来ない貴重品である。少女は物も言わず、袋を返そうとした。少年は首を振る。
「倭ちゃんに食べて欲しいんや。せっかく親戚から貰ったのやで」
「せっかく貰ったなら、自分で食べりゃええ」
頑なに受け取ろうとしない少女を見て、少年は考えた。
「じゃあ、一緒に食べよう!」
袋から金平糖を取り出し、一つを口に入れる。それから一粒を少女の手のひらに置く。仕方なさそうにそれを口に運ぶ倭。
「甘いね!」
少年の声に、引き込まれ思わず微笑む少女。いつの間にか、いつものように二人で他愛のない話を続ける。
少女はため息を付き、立ち上がった。
「倭ちゃん、何処に行くの?」
少年は彼女に声をかける。二人は長い間見つめ合った。ふと、少女が目を反らす。
「貴史ちゃん。ワッチは遠うに行って、もう戻らんの」
「どうして?」
「ワッチみたいな妖怪と仲良うせん方がええわ。ワッチと一緒におる貴史ちゃんに碌な未来が視えんもの」
「いつだって倭ちゃんは一番の友達やお! 人かそれ以外かなんて関係ないよ」
倭は寂し気に微笑む。貴史が本気で話していることが分かるから、余計に悲しくなる。
「とにかくワッチは、
「そんなの嫌やお」
ゾクリ
心臓を優しく撫でまわされるような感覚。どれ位そうしていたろうか? 少女に見つめられた少年の瞳がボヤける。しばらくして意識を取り戻した彼は、キョトンとした顔で倭を見つめた。
「君は誰? あんまり山奥に入らん方がええよ。
少女は寂しげな微笑みを浮かべ、山の中へ消えていった。その夜、倭は水野と共に美濃の森を後にしたのである。
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