第30話 闇の白魔(四)



「すみません、明日の朝の郵便は出るでしょうか」

 ラピスを起こさぬよう、クエルクスは食堂の隅の机を借りて手紙を書き終えると、厨房の入り口から奥に呼びかけた。すると石窯のところにいた宿の女主人が振り返る。

「ああお兄さん、いたんだね。出るよ。なに、手紙かい?」

「ええ。どこに出しに行けばいいですか?」

「この国じゃ朝一で郵便馬車が通りを回って集めるから、ここにいれば馬車が目の前を通るよ。でも朝早いからねえ。出しといてあげるよ。そこの上に置いといて」

 すみません、とクエルクスが指差された卓の上に代金と手紙を置くと、女主人は「いつものことだからいいさ」と軽快に笑いながら、石窯を開けて中から皿を引っ張り出した。

「それよりお兄さん、ちょうどご飯ができたから。ほら、あんたにはお肉ね」

 女主人は取り出した大皿の蓋を開け、黄金色に色づいた鶏肉を切り分けた。脂が弾ける音が止まぬうちに、肉汁の滴る塊が深皿に乗せられる。

「お野菜はこれと、あと娘さんはこっちね」

 女主人が肉の皿を盆に載せ、クエルクスにずいと突き出した。皿の横には生野菜の盛り合わせに加えて、すでに小鍋と碗が置かれていた。受け取って鍋を覗き込めば、穀物を柔らかに煮た粥らしきものがまだくつくつと音を立てており、鼻先までのぼる湯気には風邪に薬効のある木の実の香りがする。クエルクスの嗅覚が正しければ、確か滋養促進と解熱効果もある実だ。

 クエルクスが覗き込んでいる鍋の横に、女主人は飴色の液が入った小さな鉢をことりと置く。

「この地方じゃ風邪の時によく食べられるものだけど、もし食べにくそうだったらこの糖蜜もちょっとだけ入れておやんなさい」

「あ、すみません。ありがとうございます」

「あんたはちゃんと食べなさいね。もう少しで麦の団子が焼けるからあとで取りにおいで」

 言われてみれば石窯の中ではまだ火が爆ぜ、芳しい香りがする。

「あ、でも僕は彼女の具合が落ち着いたらで……」

「いいから来なさい。ったく駄目だよ、妹想いは大事だけれどお兄さんまで倒れちゃ仕方ないだろうに」

「……い……もうと……」

 宿泊手続きの際にはラピスを安静に寝かせるのを優先して慌ただしく、二人の関係は全く言っていなかった。それなのに女主人の発言があまりに断定的であったため、クエルクスは無意識に脱力してしまう。だが女主人はクエルクスの顔が歪んだのにも気がついていないようでずいと詰め寄ると、自分の子供を叱りつけるが如く「さっさと妹さんに運んでおやり」としかめっ面で語気を強める始末である。クエルクスは二の句もつげずに部屋へ引き返すよりほかなかった。




「ラピス、起きてる?」

 扉を叩き、声をかけながら取手を押すと、寝台に寝ていたラピスが顔だけを入り口の方へ向けた。こちらを見る眼に虚ろなところはなく、瞳に光が戻っている。

「食事、頂いてきましたよ。食べられます?」

 風邪の峠を越えただろうとほっとして、クエルクスの口元は自然と綻んだ。

「うん、ありがとう。クエルはもう食べたの?」

「僕のも一緒にいただきました。そこの本、読んでいたのですか?」

 ラピスが身を起こそうとするのを支えようと近づいて、クエルクスは枕の横に色鮮やかな表紙の薄い本が三冊ほど重なっているのに気がついた。

「ええ、そこにあったの」

 起こした半身を軽く枕に預けると、ラピスは寝台の足元側に置かれた本棚を指した。この大陸の者たちが話す言語は、国や地域ごとに訛りや一部の単語の違いはあっても基本的には同じである。読み書きを一通り習っていれば、大体の書物は読める。

「絵本ですか」

「そうよ。神話とか、海向こうの童話もかしら。知らないのばかり」

 そう話すラピスの声もしっかりしていて、クエルクスは自分の方も緊張が和らぐのを感じた。本が好きなラピスには、気疲れを休めるのにちょうど良かったのだろう。

「何か面白いものありましたか」

「そう、そうね。魔法が出てきたり、幻想的で不思議な感じ……林檎の話もあったの。でもね、それぞれのお話に林檎は出てくるのに、一緒じゃないのよ」

「奇跡の林檎ですか。そもそも神の時代からの伝説ですから、色々な話が作られるでしょうね」

 クエルクスが寝台に腰掛けると、キィ、という音がする。

「女神の林檎は神々の寿命を長らえさせ、健やかなる体を約束する、これは聞いていた伝説だけど。お話ではね、神々はこの林檎を得ようと争いもしたとかいうのよ。林檎を盗み出して罰を受けたり、ほかにも、色々……」

「怖い、ですか?」

 ラピスの口が開きかけたまま止まり、そしてゆっくりと閉じられる。瞼をそっと閉じ、首を振った。

「女神様に邪な気持ちで向かう者に対する罰だわ。林檎に守られたお話もある——お父様が助かるのなら……私は、女神様のお力を借りたい」

「そう、ですか」

 クエルクスの返答は静かで、落胆したような響きを帯びていた。自分を見つめる瞳に何かを汲み取ったのか、ラピスは不自然に目を笑みの形にし、口調を明るくして続けた。

「神様ばかりじゃないわよ。お姫様のお話もたくさんなの。林檎に関係あるものもないものも。でも面白いのは、お姫様や女の子が主人公のお話は似ているところが多くてね」

「へぇ、僕でも知らない話ですかね。似ているってどういうところがです?」

「え……っと。どんなことになっても、女の子はね、」

 するとラピスは急に俯きがちに瞼を伏せ、指先をそっと顔に近づけ、唇にそっと触れた。そしてそのまま数秒息を止め、やっと小さく呟く。

「……愛する王子様が、助けてくださるのよ」

 言ってから、ラピスの頬がほんのり赤味を増した。ラピスが物語に不安を感じたわけではなかったのに安堵して、クエルクスは笑い混じりに言葉を返しながら、ラピスの前に食事の乗った盆を出す。

「女の子ですねぇ、ラピスも」

「えぇ? なによう、その言い方。女の子よ、私だって」

「はいはい、ほら、食べられます?」

「え、あ、わぁ美味しそう」

「冷ましてください。火傷しますよ」

 ラピスがふと見せた思案顔に気付かなかったわけではないが、どのみち絵本に書いてあることである。感受性の高いラピスだ。旅の気疲れも手伝って、子供向けの童話に感情移入でもしたのだろう。それにクエルクスは正直、絵本の内容などどうでも良かった。山での難に加えて獣に時間を取られた時には、ラピスが無事では済まないかもしれないとすら感じたのだ。

 予断を許さぬ状況で神経が限界まで張り詰めていたところ、ひとまずのラピスの快復に気が緩みすぎていたのかもしれない。

 窓の外、夜闇の中で動く影に、クエルクスは全く気がつかなかった。

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