第4話 姉弟

「ダミアンさん、姉貴を助けてくれて本当にありがとう」


 アップルパイを完食した後、ダミアンとグレーテルが出会った経緯を詳しく聞いたイザークは、ダミアンに改めて深々と頭を下げた。


 下ろした握りこぶしは静かな怒りに震えている。この感情はもちろんダミアンへ向けられたものではない。日に日に行為をエスカレートさせていく町の住民に対する憤りだ。


「その上で聞くけどさ、ダミアンさんはどうして俺達にも分け隔てなく接してくれるんだ? 真偽はどうであれ物騒な噂が流れているんだ。普通なら関わりあいになろうとは思わないだろう」


「ちょっとイザーク」

「大事なことだよ姉貴。ダミアンさんは良い人だと思うけど、だからこそこういった話は最初に済ませておきたい」


 今までイザークには頼れるような存在がいなかった。ダミアンを信頼するためにも真意を聞いておきたいのだろう。


「偏見は思考を鈍らせる。私は風聞ふうぶんよりも自らの足で見聞きしたものを信じることにしているだけだ。そういう意味では私は必ずしもお前たち姉弟に肩入れしているというわけではない。真実を見極めるため、私は先入観なくこの事件を追っていこうと考えている」


「下手に同情されるよりよっぽど信頼出来るよ。先入観なく対等な視点で姉貴を救ってくれたってことだからな」


 神妙な面持ちだったイザークが相好を崩し、ダミアンへ握手を求めた。


「ダミアンさんが真犯人を突き止めてくれれば、俺達への風当たりも少しはマシになるはずだ。町の連中は気に入らないけど、犠牲になった人達のことは気の毒に思う。事件解決のために協力は惜しまない」

「ならば、早速本題に入らせてもらおう」


 イザークの握手に応じると、ダミアンは静かに語り出した。


「お前たち姉弟にとって気持ちの良い話ではないだろうが、現状を把握するためにも、町で囁かれる噂について、お前たちの見解を聞かせてもらいたい」


「それを説明するには、まずは俺達兄妹がこの町へやってきた経緯から話す必要があるな。


 姉さんの体が弱いことはもう知ってるよな。当時俺達が住んでいた町は工業地帯で空気が悪くてさ。静養のために空気が綺麗なヴァールの町へ移住したんだ。姉貴は優しくて人当りもよくて、そもそも人に嫌われるようなタイプじゃない。俺は俺で口が悪いのを自覚してるから、新天地で上手くやっていくため、粗相のないように振る舞ったつもりだ……それなのに、俺達は孤立しちまった」


「何があった?」

「姉貴が美人過ぎたんだよ。うちの姉貴、世界一の美人だろう」

「そうだな。彼女は確かに美しい」

「……ダミアンさん、真顔でそんなことを言わないで」


 イザークが姉のグレーテルをべた褒めするのはいつものことだが、真顔で同意するダミアンに対してはグレーテルも恥じらいを隠しきれなかった。お世辞を言うタイプに見えないからこそ余計に反応に困ってしまう。


「新しく町に越してきた病弱な美人を見て、町の男どもが色めきたっちまったのさ。純粋な憧れから下心に至るまでな。だけどそんな状況、町の女どもは面白くないよな」


「最初に悪評を広めたのは町の女性たちということか」


「そういうこと。具合が悪くて家に籠りがちな姉貴が否定しないのをいいことに、あることないことを吹聴しやがって。呆れたことに、姉貴に相手にされないことを逆恨みした男連中まで噂に乗っかるようになって。今思い返してもはらわた煮えくりかえるぜ。


 町長や良識ある人たちが間に入って騒ぎを鎮めてはくれたけど、遺恨については今更語るまでもない。そんなことがあればもう、噂を広めた連中との関係修復は困難だ。町長たちのおかげで表だって嫌がらせを受ける機会は減ったけど、二カ月前にあの事件が起きてから、また風向きが変わった。今日ダミアンさんが目撃したようにな」


 ただ美しかったというだけで孤立を深めてしまった。新天地へやってきたばかりの姉弟にとってあまりにも理不尽な運命だ。町長のような穏健派がいなければ今頃は、状況がもっとエスカレートしていた可能性だってある。


「事件と前後してグレーテルの体調が回復しているという噂については?」


「とんだ言いがかりさ。人間関係はともかく、自然豊かなこの土地の空気は姉貴の体に良い影響を与えた。採掘の仕事で俺の稼ぎも良くなって、姉貴に前よりも良い薬も買ってあげられるようにもなった。姉貴はただ体調が良くなってきただけなんだ。それが時期が被るからって殺人鬼扱いしやがって! どこまで人を馬鹿にすれば気がすむんだよ、あの連中は!」


「落ち着いてイザーク。ごめんね、私がこんな体じゃなきゃ、辛い思いをさせずにすんだのに……」

「辛いのは姉貴の方だろう。姉貴みたいな優しい人が殺人鬼扱いなんておかしいよ」


 感情的になったイザークは目を腫らしていた。そんなイザークを抱きしめ、グレーテルが幼子をあやすように頭を優しく撫でる。


 自分のせいで弟を苦しめてしまっている。心優しいグレーテルの自責の念は絶えない。


「この町を離れようとは思えないのか?」


 簡単に決断出来る問題ではないだろうが、この町に留まるよりはよっぽど平和的だろう。姉のために尽くして来たイザークならば、それを実践するための努力も惜しまないはずだ。


「言われなくてもそのつもりだよ。姉貴の体調も良くなってきたし、近々別の土地へ移ろうと考えてる。体力だけには自信があるからさ、毎日がむしゃらに働いてきた。姉貴と二人で別の土地に移るぐらいの貯蓄はある」

「本当にごめんね、イザーク。だいぶ具合も良くなったし、これからは私も頑張って働くから」

「俺は姉貴が元気でいてくれればそれでいいんだ。姉貴は自分の体の心配だけしてろ」


 日が落ち始め、気温が徐々に下がってきた。

 立ち上がったイザークはグレーテルにブランケットをかけてやり、部屋を暖めるために暖炉に薪をくべはじめた。


「強いな」

「はい。自慢の弟です」

「君もだ」

「えっ?」

「イザークは採掘仕事で家を空けることも多いと聞く。その間も君は孤独に負けずに頑張ってきたのだろう」


 生きていくためにもイザークが仕事で家を空けることは仕方がないが、その間、グレーテルは風当たりの強いこの町に一人残されることになる。体調の問題もあり家にいる時間が多いとはいえ、買い物などで外出せざるおえない時もあるだろう。イザークにも話していない辛い経験だってしているはずだ。


「イザークが頑張っているのに、私が心を折るわけにはいきませんから。それに、町の方々だって誰もが私達に辛くあたるわけではありません。町長さんをはじめ支えてくださる方々もちゃんといます。農家のブルーノさんとハインツさんにはよくおすそ分けを頂きますし、家具職人のフォルクハルトさんや亡くなったハンナさんも私のことをよく気にかけてくれました」


 ブルーノとハインツはダミアンが町を訪れた際に声をかけた農夫二人だ。町長宅でもロルフの発言に不快感を抱いていた。偏見なくグレーテル姉弟と接する良識ある人物なのだろう。


 弟のイザークの存在がどんなに大きかろうと、町の住民全員が敵だったならグレーテルもとっくに孤独に圧し潰されていたはずだ。町長たちの支えもあり、敵ばかりではないと感じられたからこそ、今日までやってこれたのだろう。


「辛抱強いな。イザークを見習って少しは感情を爆発させてみたらどうだ?」

「そこまではちょっと」

「聞こえてるぜ二人とも。誰が感情爆発野郎だって」


 ダミアンの冗談めかした物言いにグレーテルは思わず大笑した。

 暖炉の火加減を調節していたイザークは引き合いに出されたことに苦言を呈したが、その口調は穏やかで優しい。

 久しぶりに姉の笑顔が見れたことが嬉しいのだろう。息が詰まりそうな町での暮らしに、ダミアンが新しい風を吹き込んでくれた。


「真犯人は私が必ず突き止める。そうなれば、噂を吹聴した者たちも嫌でも愚行を自覚するだろう。近々町を発つ予定なら丁度いい。後腐れなく恨み節でも残してやれ」

「私はそういうのはちょっと」

「姉貴は真面目だな。俺はダミアンさんの話に乗ったぜ」


 粋な提案に心弾ませ、イザークは終始上機嫌だった。


「日も落ちて来たし、晩飯も食べていってくれよ。いいよな、姉貴」

「もちろん。ご馳走しますよ、ダミアンさん」

「助かる。準備くらいは手伝おう」


 姉弟の厚意に甘え、ダミアンは夕食もご馳走になることに決めた。

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