モアラ家の系譜
ついた時は、気分が悪くて気がつかなかったが、モアラ家の敷地はかなり大きかった。
首都・ジェスカヤから、馬で飛ばして半刻ほどの静かな田舎にあり、森こそないものの、デルフューン家の領地の牧場を思いださせた。
最初は都にはしゃいでいたシーラだったが、田舎を懐かしむ気持ちが日に日に募っていた。
お小言ばかりの乳母や、大好きなポニーや、愉快な牧夫たち――そして、自然。
だから、故郷に戻れたようでうれしかった。
「都好きなシュリンだったら、モアラ家はきっと駄目ね」
ここにきて、父が田舎に自分を置いたのがわかるようだった。つい、苦笑いしてしまう。
モアラ家は、デルフューン家のように、都に住まいを持っていない。
ソリトリュートは、ここから馬を飛ばして王宮へ通っていた。王宮に部屋を与えられていたので、忙しい時はそこで寝泊まりしていた。
しかも、大半は王とともに遠征していたので、都に家など不要だったのである。
敷地だけではなく、屋敷も大きかった。
ただし、その部屋の大半は、鍵がかかっていて、使われていなかった。かつての栄華の名残であり、今は無用に大き過ぎたのである。
モアラ家のソリトリュートは、今や軍では、ウーレン王の片腕と言われているのに……だ。
「それだけ、昔はすごかったということでしょうね。私は、わかりかねますが」
召使いのルナが、淡々と説明した。
「今でも、モアラ家は立派なものですけれどね」
だが、シーラはそう思わなかった。首都のデルフューン家の屋敷の華やかさに比べると、やはり、モアラ家はどこか衰退の香りがした。
雇われている召使いの数も少ないように思う。
豪華すぎる過去の遺物に、細々と住まっているような感じだ。
ルナは、使用人たちにも、シーラを紹介した。
馬丁たち、料理人たち、掃除婦たち。身の回りの世話をする召使いは、ルナ一人だった。
「皆さん、ご自分のことはご自分でしますので」
ただ、デイオリアの担当だけは、別にいた。
付き人三人は、交替で一日中彼女の世話をする。他に、ムテ人の医師と義足技師が常駐していた。
使用人の半数は、デイオリアのためにいるようなものだった。
「奥様も、可能な限りはご自分で何でもなさいます。気丈な方でございますから」
最低限度の少人数にも関わらず、使用人たちへの扱いはいいらしい。それに、部屋がありあまった屋敷なので、提供される住まいもいいのだという。
どこか黄昏れた感じのするモアラ家だったが、使用人たちはデルフューン家よりも、どこか生き生きしていた。
「シーラ様は幸せですよ。うちの若様は、すばらしい人ですから」
……と言われても。
――悪い人じゃなさそう……てのは、わかったわ。
でも、そういうことじゃなく……何だかもう、とにかく腹がたつのよね。
こんな結婚の約束を、当然のように受け止めて平然としているなんて。
お昼は、だだっ広い食堂で、たった一人で食べた。
馬車酔いで吐いたせいか、体調が戻るとお腹がすいていた。
だが、あまりにも寂し過ぎた。
田舎に住んでいた時は、使用人たちと一緒に、そとでわいわい食事をしたものだ。
そういえば。
「ねえ、ルナ。私、まだソリトリュート様にお目通りしていない」
大事なことを忘れていた。
だが、ルナは言いにくそうに。
「ソリトリュート様は、もう既にお発ちになられました。数日前のことでございます」
「え? だって……」
「シーラ様がいらっしゃる日までは、確かにこちらにいる予定でしたが……急に王のお呼びがかかったようでございます」
シーラは、がっくりとして、フォークとナイフを置いた。
確かに、ウーレン王は、すでに出兵した。大々的な出兵式もあった。
片腕のソリトリュートならば、一緒に出てもおかしくはなかった。だが、今回は時期を変えていた。
その予定に合わせて、シーラはモアラ家に入ったはずだった。
(なんだか避けられているみたい)
昼食が終わると、ルナは大きな部屋に案内した。
やや薄暗い。普段は閉め切っているらしく、やや古いかびた香りがする。
「ここは、モアラ家の歴代当主の肖像画や、愛用品を置いている部屋です。ここに来ると、モアラ家の……いえ、ウーレンの歴史がわかりますよ」
壁にびっしりと掛かった絵。飾られた剣や槍。馬のたてがみ。装飾品。
触ったら崩れそうな古めかしいものまであり、シーラはぶつからないよう慎重になった。
他の絵画よりも大きめの絵の前で、ルナの足が止まった。
「ソリト・モアラ・ド・ウーレン様です。モアラ家より最初に出たウーレン王ですわ」
そこには、燃える髪と血の目をした、たくましい男が描かれていた。やはり燃えるような色の馬に乗り、大きな剣を構えていた。
「ウーレンの王族は、細い剣を使う者が多いのですが……モアラ家は、ソリト様に倣って伝統的に大剣を持つ者のほうが多いのです。リュート様もデューン様も、すばらしい使い手でありますのよ」
「王様って……百年以上、出ていないんでしょう? もうモアラ家からは出る事がないの?」
立派な絵の人物を引き込まれるように見ていたシーラだが、デューンの言っていたことを思いだした。
この絵の人物は、ソリトリュートに似ている。たとえば、彼が王になることは、ないのだろうか?
「モアラ家の血は、この時に比べて薄まってしまったのですよ。もう、このようなウーレン・レッドの髪を持つ者は、現れていないのです。今の王家でさえも、ギルトラント様が久しぶりのウーレン・レッドの王ということになりますね」
ルナは、少し遠い目をした。
「そうですねぇ、今のウーレン王家が皆死に絶えて、他の王族にウーレンの血をはっきりと表す者がいなければ、モアラ家も王位を主張して挙兵もできますかしら?」
「えええ! せ、戦争になるの!」
「王族は、一枚岩ではありませんもの。モアラ家が王位を主張したら、まずは、オイリア家のバルト様が黙っていません。ラーン家はオイリア家とともに動くでしょうし……こちらにつく王族は少ないでしょうね」
モアラ家は、ウーレン王家に気に入られてはいるが、王族の中では敵が多い。今回の婚約も、デルフューン家の経済力や名馬を抑えて、モアラの敵対勢力の力を牽制しようとしているのだ、という噂があった。
もちろん、子供のシーラには、何もわからないことだったが。
目が点になっているシーラに、ルナは話を続けた。
「ウーレン王位に、血の犠牲はつきものですわ。ここ数世代だって……」
ルナは、指折り数え始めた。
「バオルド王は、息子のジャディーン王に毒殺されていますし、そのジャディーン王だって、妹であり妻であるジェスカ皇女の政変で首をはねられていますし。今のギルトラント王も、兄のシーアラント様を殺してついた王位です。今の王家が、血で血を洗って消え去ったら、モアラ家から……ってこともなくはないでしょうが、モアラ家の誰もが望まないでしょうね」
「……うん。私も嫌かも?」
戦いで勳をあげたいと言ったが、それは国のため。内戦は嫌だ。シーラは、すこしぞっとした。
ウーレン族は血気盛んで、王族は無礼討ちを許されているので、時々死を見ることがある。だが、少なくてもシーラが生まれてこのかた、ウーレン国内で戦争はないし、政局も安定していた。とても平和だったのである。
「モアラ家は、どちらかというと、影で王の支えになるほうが合っているようですわ。王よりも、宰相や摂政として名を残した人のほうが多いのです。おそらく今後もそうなるでしょう」
ルナは、そう言ってこの部屋の説明を締めくくった。
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