第66話 アウティング(2)
「あ、おかえりなさい」
風呂場を出た八尋に、キッチンにいた風香が声をかける。出汁の良い香りが八尋の鼻孔をくすぐった。
「今用意しますから座って待っててください」
「手伝いますよ」
八尋がキッチンへ入ると、風香は礼を言いつつ「それじゃ、レンジの中に冷凍ごはんを温めたものが入っているので、お椀によそってもらえますか。あ、お茶碗よりは、どんぶりのような大きなもののほうがいいです」
言われた通りに八尋が用意した丼の白米に、風香がフライパンから何かをお玉ですくってかけていく。一口サイズに切った鶏肉に卵をからめ、半熟状になるまで炒めたその品は、親子丼だった。
「では、どうぞ召し上がってください」
ダイニングテーブルに向かい合って座った風香が言った。
八尋は手を合わせて「いただきます」と言うと、丼と箸を手に持ち、風香の作った親子丼を口に運ぶ。
「美味しい」
お世辞ではなく、本当に美味しかった。一口食べた途端、思い出したように空腹を感じ始める。八尋は夢中になって箸を進めた。考えてみれば、今日は朝以来何も口にしていなかった。
「よかった」
風香は微笑んで、自身も親子丼に箸をつける。「うん。割と上手くできたんじゃないかと思います」と照れ笑いする。
「本当に美味しいです」と言う八尋の丼にはあと一口程度しか残っていない。それを見た風香は驚いた様子で「わっ、早いですね」と口にした後、「あちゃー、もう少し多めに作るべきでした」と反省するように呟いた。
「いえ、短時間でこんなにしっかりしたもの作ってもらえるなんて思ってませんでしたから。ありがとうございます。美味しかったです」
「ふふ、そんなに美味しいって言ってもらえると、作ったほうとしても嬉しいですね。お口に合ってよかったです」
風香が食べている間に、八尋は自分の丼を片付け、湯を沸かし、茶を用意してテーブルに戻った。その頃には風香も食べ終えていて、「ありがとうございます」と礼を述べて八尋の出した緑茶を飲んだ。八尋も温かい茶を一口飲む。ほう、と反射的に息をついていた。
嘘みたいな、穏やかな時間だと思った。自分は実はすでに死んでいて、今見ているのは平和な夢なのではないかと疑いそうになるくらい、出来事の落差が激しく現実味がなかった。
「落ち着きましたか?」
柔らかい声で風香が問いかけた。八尋は小さく笑って「ご心配おかけしました」と頭を下げる。
「何があったのか、教えていただけますか」
緊張した面持ちで、風香が核心に切り込んできた。
八尋も覚悟を決め、これまでの経緯を話し始める。
ギフトのこと、ホルダーのこと、自分が花と出会うまでのこと、花と出会ってから止まり木で行ってきた仕事のこと、そして、夜空と出会ってから今日までの間に起きた出来事。要点だけ掻い摘まんでだが、話せる限りの話をした。もちろん、風香も巻き込まれたあの事件についても、伝えた。
いつの間にか自分も関わっていて、しかもそれを憶えていないことを八尋から知らされた時にはさすがに彼女の顔色が変わった。無理もないだろうと思う。
「隠していてごめんなさい」
「い、いえそんな……」
風香は困ったような表情をして首を振った。
「戸惑ったのは事実ですけど……でも、橘くんが助けてくれたんですよね。ありがとうございました」
どこまでも八尋を気遣う風香の態度に、心苦しくなる。
「逆です。俺のせいで秋月さんは被害に遭ってしまった。俺のほうこそ謝らなければならないんです。本当に申し訳ありません」
「橘くんのせいじゃありませんよ」
「いや、俺が悪いんです」
自分を心配そうに見つめる風香の顔を見ながら、言うべきかどうかずっと迷っていたことを、八尋はついに口にした。
「いつかこんな日がくるんじゃないかと思っていたのに、今日という日が実際に来るまで手をこまねいてしまった。ひとえに俺の弱さが原因です」
風香はかけるべき言葉を探しているのか、何かを言おうとしては躊躇うように口を動かした。
彼女がそれを見つけるより先に、八尋は話を続ける。
それを聞けば、決心が揺らいでしまいそうだったから。
「秋月さんと過ごす時間は楽しかったです。宗一郎が来るまでは止まり木の中で友人と呼べるような人がほとんどいなかった俺にとって、かけがえのないものでした。だから、諦める決心がつけられなかった」
「……何を、諦めるつもりだったんですか」
八尋は深く息を吸って呼吸を整え、一息にはっきりと告げる。
「俺は秋月さんの友人になっていい人間じゃなかった」
風香の目が見開かれた。唇をわなわなとさせ、何度か言いよどみ、ようやく発した声は震えていた。
「どうして、そんなことを言うんですか」
風香の目が潤んでいく。
「どうして諦めなきゃいけないんですか。友達を持つことは、そんなにいけないことなんですか」
風香は涙声で訴えた。湧いてくる罪悪感に怯み、目を逸らしたくなるのを、八尋はぐっとこらえる。
「俺は普通じゃありません」
口にした言葉で自らを傷つけている。それでも、八尋はもう、伝えることを止めるつもりはなかった。
「秋月さんも見たんでしょう。銃で撃たれた傷がみるみる塞がっていく俺の身体を。俺は普通じゃない。秋月さんとは違う、バケモノなんです」
風香が何かを言おうとした時、着信音が鳴った。部屋の隅に置かれた風香のバッグの中からだ。同時に八尋のポケットの中でもスマートフォンが振動していた。
気まずい空気が流れ、それを断ち切るように「すみません」と口にして風香は立ち上がりバッグへ近づいた。八尋もスマートフォンを取り出す。ほぼ全面にヒビが入った画面は見づらいことこの上ないが、メッセージの着信であることはなんとか読み取れる。
花からのメッセージだった。
「滝澤さんからです」
自分のスマートフォンを見た風香が声を上げ、八尋を見ていた。
「俺にもです」
届いたメッセージを開く。風香がスマートフォンを手に戻ってくる。その画面を見せてもらうと、届いた内容は同一のようだった。
『見てね』という短い文章にURLが添えられているだけのメッセージ。八尋と風香は無言で顔を見合わせ、意を決してそのアドレスをタップした。
開かれたページは動画投稿サイトだった。タイトルは「検証! 呪いの力」とあった。嫌な予感がする。
自動的に動画の再生が始まり、映ったのは花の顔だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます