第40話 慰霊の鐘が鳴る

 状況は最悪と言って良かった。


 一面を燃えさかる炎に取り囲まれ、もう一人の怪盗団ファントムメンバーが、炎の間隙を縫って攻撃をしかけてくる。


「?」


 それでも、ユウ君は、悠然とした笑みを浮かべる。


 スキル【疾風ウィンド・風結界】にて、炎をせき止めたまま、


「もしかして、篠原さんを当てにしているのかい」


 と、虎太郎が問うた。


「あ、そうか」


 彼女は、ここ高層施設ミリオンから300メートルほど離れた鉄塔より、俺たちを援護してくれる手はずだった。


「そうだよ。あの篠原会長なら、きっとなんとかしてくれる」


 人格的にはまったく信頼のおけない人物だが、その能力には折り紙が束でついてくる。


「無理だ。いくら篠原さんでも、この状況はどうしようもない」


 言いながら虎太郎は、俺たちを取り囲む高い炎を見た。


「篠原さんの獲物は弓矢だ。この炎が目隠しとなって、彼女の視界を塞いでしまっている。敵味方の正確な位置が分からなければ、いかに彼女でも手の出しようがない」


「そ、そんなあ」


 ――光が一閃した。


「!?」


 閃光が、強化ガラスの外壁を穿ち、天井に突き立った。


「か、会長の光の矢だ」


「何!? まだ仲間がいたのか!!」


 怪盗団ファントムメンバーである〈炎烈士〉の男が慌てふためくも、それは一時のこと。


 立て続けに撃ち込まれた光の矢が、ことごとく的外れな様を見て、男は余裕を取り戻す。


「ははは、当てずっぽうじゃないか」


 光の矢がさらに一発撃ち込まれる。


 それはまた無意味に天井を貫いた。


 ……次の矢はもう継がれなかった。


「見ろ、やっぱりこうなるんだ」


 虎太郎が言った。


「ううう……」


 俺は、天井に無数に突き立った光矢こうしを、悔しい思いで見る。


「ははは」


 男はまだ笑っている。


「ふふふ」


 ユウ君も笑っていた。


「ユキさん、どうして?」


「なあ、トラ君。アンタは確かに頭がいいよ」


「や、藪から棒になにさ」


「物事を順序立てて考えられるし、知識も中学生とは思われないほどだ。将来は、社会に必要とされる立派な人物になるだろうよ」


「あ、ありがとう……?」虎太郎は戸惑い半分に「ユキさんも凄いと思う」と褒め返した。


「ははは、あんがと。自画自賛だけども、私も身体能力には自信がある」


 言いつつも、ユウ君の表情に明るさは無い。


「ただ、この広い世の中には、私たちには及びもつかない化け物がいる」


「化け物?」


「人間でありながら、人間を超越した奴のことさ。筋肉、骨、神経、血液、脳みそ、全てが特別規格で、共通なのは表面を覆う皮膚一枚だけ。超人あるいは異能者といっても言い」


 ユウ君は、「私にはあいつが同じヒト科の仲間とは、とうてい思えないんだ」と締めくくる。


「あの、一体何の話を?」


 天井に突き刺さった光の矢が、時間経過と共に崩れだし、後には無数のあなだけが残される。


 そこから、一斉に水流がほとばしった。


「な、なに!?」


 黒い男が慌てる。


 水の勢いはすさまじく、炎の高さを、たちまち半分まで押し下げた。


 ユウ君がスマホにタッチする。わずかな呼び出し音の後、


『あら、黒川さん。私のサポートは上手くいきましたか?』


 スピーカーモードのスマホから、当の会長の声が流れた。


「助かったよ。炎に取り囲まれて進退窮まっていたところだ」


『だと思いました。さすがの黒川さんも、炎スキルとは若干相性が悪いですから』


「ところで、いったい何をどうした?」


『大したことじゃありません。天井裏を流れている配水用のパイプに、穴を開けただけのことで。炎で人の位置は分からなくても、内部構造は不変ですので』


「そんなバカな」


 虎太郎がうめいた。


『ああ、荒井くんも無事で良かった。ちなみに新山くんはどうしましたか?』


「俺も無事ですよ、会長」


 スマホに向かって手を振る。


「……ちっ」


「し、舌打ち!?」


「配水管は天井裏を隙間なく走っているわけじゃありません。どうやって管を正確に狙えるって言うんですか」


 虎太郎がうわずった声で訊く。


「万が一電気ケーブルを損傷させたら、むしろ状況は悪化していました」


 その心配はもっともと言える。万が一ケーブルが傷つき、水と電気が一緒くたに流れたら、大惨事であった。


『ほほほ、そんなミスするわけがありませんよ。ケーブルと管は数センチも離れていますから。もう、荒井くんは心配性だこと』


「す、数センチ。今、篠原さんは300メートル離れたところから矢を撃ったんですよね」


『ええ、そうですよ。鉄塔の突端は、夜風が冷たくて、閉口していますわ。は、ハックション』


「ど、どうやって天井裏の配水管の位置を知れたんですか?」


『ん? それはもちろん、図面を見ました』


「公共施設の図面をどうやって?」


『市長に指示して、市役所に保存されている図面データを、急遽スマホに送らせました』


「ど、どうして、一中学生がそんな権力を持っているんですか!?」


『三中を私物化……、いえ健全化した折にお近づきになりまして。とっても気の良い人物なんですよ。私のような一中学生の頼みを、いつも二つ返事で引き受けてくださるの。ほほほほ』


 言うまでも無く、『気の良い』『頼む』というのは一種の隠語である。


「……」


「篠原、後はこっちでやる」


『はい、黒川さんと荒井くんなら、後は大丈夫でしょう。また事態に進展がありましたら、連絡をください。それと新山くん』


「は、はい?」


「くれぐれも二人の足を引っ張らないようになさい』


「会長、俺にだけアタリがきつい――」


 ブツリと回線が切断された。


「……人間技じゃない。各種視力、射撃精度、空間把握能力、政治力、何から何まで」


「化け物なんだって」


「篠原会長なら、当然のことだよ」


「珪太は普通に受け入れるんだ?」


同中おなちゅうだからな。あの人の非人間的な手腕は、いやと言うほど見ている」


「噂では聞いていた。……正直、話半分と思っていた」


「あの人の場合は、それは逆だからな」


「え?」


 会長はやることなすことが非現実すぎるため、そのまま伝えたのでは誰も話を信じない。


「だから、噂をする奴は、リアリティを出すために、話を逆に小さくするんだ」


「……」


「さて、火の勢いも大分おさまった。そろそろ戦闘再開といこうか」


 ユウ君の言うとおり、降り注ぐ水に勢いをそがれ、炎はもはや地面をなめるだけだ。


「くそ、くそ、くそおおおっ」


 上階の男は、必死に炎スキルを発動させようとしているが、一面を水浸しにされてはどうにもなるまい。


「あ、ああ」


 俺たちと同じ高さに、【盗賊シーフ】の加藤がうろたえていた。


「お前っ!」


 恨み骨髄の、俺が駆け出す。


「うわわっ」


 加藤が高く跳んだ。


 そのままエスカレーターの吹き抜けを通って、展望台のある最上階に着地した。


「も、もうダメだ。藤井」


「バカヤロウ、加藤。さっさと逃げ出すんじゃない。お前のスピードならもうちょっと粘れるだろう」


「む、無理だ。後は安行原あんぎょうばらの奴に任せよう」


 二人が何やら言い合いをしている。


「あんなガキ共にいいようにやられて、逃げを打つだと。ふざけるな」


「だ、だけど」


「【炎舞フレイム・六蛇】」


 男の咆吼と共に、俺の足下で炎が燃え立つ。


 だが、たちまち水に活力を奪われ、


「えい」


 最後は濡れた靴底で初期消火されてしまう。


「く、くそ」


 男が、俺たちを怒鳴りつけた。


「これで勝ったと思うなよ。お前たちはツいていただけなんだ」


「ほざいてろ!」


 ユウ君が走り出す。


 俺がその後を追いかけた。虎太郎も後ろにつづく。


「安行原のスキルは最強だ。お前らが束になったって足下にすら及ばないんだぞ。お前たちが勝つ可能性なんて万に一つもありやしないんだ」


「ひけらかすのは自分の力だけにしろ。情けない奴め」


「な、なんだと!」


「ふ、藤井」


 俺たちがエスカレーターに足をかける。


「くそガキどもめっ」


 黒い男二人が、展望台奥へと逃げていった。


 男たちの黒い容姿が、より黒い暗闇に溶けていく。


 暗闇の中で巨大な影が蠢いたように見えた。


 その直後である。


 すさまじい衝撃が展望台を揺らし、


「「「わあああっ!?」」」


 巻き起こった暴風が、俺たちにぶつかってくる。


 俺たちはせっかく上がったエスカレーターを転げ落ちた。


「あ、あたたたた……」


 硬い段差に打ち付けた身体が、鈍く痛む。


「て、手当の必要な奴はいるか」


 よろよろと身体を起こしながら、回復役として全員に声をかける。


「問題ない」


「な、なんとか大丈夫」


 二人とも大きなダメージは負っていない様である。


「いったい何が起こったんだ。爆発か? まさか追い詰められての自爆?」


「そんな殊勝な連中じゃないと思うけどね」


 カランコロン


 澄み切った音色が俺たちの耳朶じだを打つ。


「こ、この音って……、まさか」


 俺たちが再びエスカレーターを駆け上がる。


 そこにあったのは激しく損傷した展望台と、隅に一まとめにされた警察官たちのみ。


「怪盗団の三人が消えた!?」


「け、珪太、あれ!」


 虎太郎の指さした先には、何一つとしてない。


「そ、そんなバカな!」


 怪盗団ファントムの予告状に記されていた〈慰霊の鐘〉が忽然と消えている。


 カランコロン


 砕け散った強化ガラスの向こう側、薄雲に覆われた闇空より、その音は響いてきている。


「いったいどうやって、あんな巨大なモノを!?」


 ユウ君ですら狼狽の声を上げていた。


 その美しい音色が、ゆっくりと遠ざかっていき、後にはただ、


 ウォォォォォォ


 興奮した地上の観客たちの、大喝采だけが轟いていた。

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