4 遠征

 ウィザーン公爵領の別動隊が帰還するのを待ち、僕たちは西方区域へと出立することになった。

 その顔ぶれは、僕、ルイ=レヴァナント、ファー・ジャルグ、ナナ=ハーピィ、ジェンヌ=ラミア、ネフィリム、そして2名のリビングデッドで、合計8名となる。

 侍女の2名は護衛役、ネフィリムは巨人兵団が襲撃されたことの生き証人、残りの4名は僕がじきじきに監視をするという名目であった。


 出立の際には、用心に用心を重ねる必要がある。領地の近辺に敵方の使い魔などは発見できなかったが、それでも暗黒神たる僕の不在を悟られるわけにはいかないのだ。

 僕はデイフォロスの城内で、まずは大鷹の形状を取り、背中に同行者を乗せてから、目くらましの術式を施した。さらには魔力をも覆い隠し、それでようやく出立である。


「それじゃあ、あとは頼んだよ。定期的に、こちらからも念話を届けるからね」


 頼もしい腹心たちに見守られながら、僕は大空へと羽ばたいた。

 眼下には、町や農園で働く人間たちや、領地を警護する団員たちの姿が見える。しかし、姿と魔力を隠す術式の恩恵で、僕たちに気づく者はひとりとして存在しなかった。


 その結果に満足しながら、僕は進路を西に取る。

 すでに夕暮れが近かったので、行く手にはオレンジ色の円盤と化した太陽が、地の果てに半ば沈みかかっていた。


「しばらくは敵の目を用心して、ゆっくり進むからね。みんなは、くつろいでいておくれよ」


「はーい!」と元気に答えてくれたのは、やっぱりナナ=ハーピィであった。これだけの人数でありながら、陽性の気性であるのは彼女とファー・ジャルグのみであったのだ。


 僕は術式がほころばないように気を張りつつ、ひたすら西へと飛行する。現在は、魔力をほとんど消費しないで済む速度――時速60キロていどであるはずだった。

 僕たちが長距離移動をする際は、おおよそこのていどのスピードとなる。向かった先ですぐさま敵に襲撃されても対応できるように、魔力を節約しているのだ。このスピードであれば、飲まず食わずの眠らずで、延々と飛び続けることがかなうのだった。


(で、このペースだと、西方区域まで丸2日って話なんだよな。ってことは……デイフォロスから西方区域まで、およそ2880キロメートルってことか)


 僕の記憶によると、日本列島の南北の長さも、おおよそそれぐらいであるはずだった。

 なおかつ、他の区域までの道のりも大差はないという話であったので、この大陸は最低でも半径が日本列島の長さぐらいもある、ということになるのだろう。


(えーと、人間が歩くスピードはだいたい時速5キロメートルぐらいのはずだから、僕たちよりも12倍の時間がかかるんだよな。それでもって、人間の場合は眠ったり休んだり食事をしたりで、1日に動ける時間はせいぜい半分ぐらいだろう。そうすると、さらに倍ってことだから……中央区域から西方区域まで、道が平坦であったとしても、徒歩で48日はかかるわけか)


 人間はおそらく、最初に王都ジェルドラドを築いたのだろう。それから四方の区域に住み心地のよさそうな場所を探して、そこに新たな領土を開拓したのだと推察される。そうすると、やはりそこには人魔の力が介在したのだと考えるのが妥当であった。


(不毛の荒野を48日間も突き進んでいたら、それだけで力尽きそうだもんな。まずは人魔で土地の物色をして、よさげな場所を発見できたら、さらに追加の人魔を送り込む。なんだったら、城や家や田畑を築くのにも、人魔の力を使ったのかもしれない。現在の人間の繁栄そのものが、人魔の力を土台にしてるってことか)


 そんな風に考えると、僕はいっそ虚しいような気持ちにとらわれてしまった。

 僕の眼下には、未踏の大地が果てしなく広がっている。険しい岩山や、不毛の砂漠地帯、それに鬱蒼とした暗緑色の樹海など――それは確かに、人間が暮らすには不便な土地であるのだろう。岩山や砂漠は言うに及ばず、樹海を切り開くのだって大きな労苦がつきまとうはずだ。そこを避けて、肥沃な平原だけを領地にしたいというのは、わからなくもない。


 だけどやっぱり、世界はこんなにも広いのだ。

 半径が日本列島の長さぐらいもある大陸だなんて、なかなか実感がわかないほどである。これだけ広大である大地を、どうして人魔の術式などというおぞましいものを使ってまで、蹂躙しようと考えたのか――それが僕には、理解できなかったのだった。


 人間族の総人口は100万ていどなのではないかと、かつてルイ=レヴァナントはそのように言っていた。それが大きな目算違いであり、たとえ10倍の人口であったとしても、これだけの土地があれば暮らすのに困ることはないだろう。そうであるにも拘わらず、人間族は人魔の術式などというものを頼って、手っ取り早く肥沃な領土を支配するに至った。人間たちが本来の力だけで、分相応の開墾作業に勤しんでいたならば、きっと魔族と対立するような事態にも至らなかったのだ。


(バルナバーシュⅢ世に人魔の術式を与えた、闇なる存在……そいつはいったい、何者なんだ? やっぱり魔神族の一味なのか? それとも、魔神族から抜け出して人間族に肩入れした、魔族の背信者なのか?)


 そんな想念にひたっている間に、太陽はすっかり沈んでしまっていた。

 あとは、星の位置を頼りに西を目指すしかない。時には背中の仲間たちと言葉を交わし合い、時には念話でルイ=レヴァナントと打開策を練りたおし、そうして2時間ばかりもジョギングていどの飛行を果たしてから、僕はギアを入れ替えることにした。


「これだけ離れれば、もう敵方の目を気にする必要もないだろう。ちょっと加速するよ」


 僕は目くらましの術式を解除し、2割ていどの魔力を振り絞った。

 とたんに、周囲の風景が倍の速度で後ろに流れ過ぎていく。僕の背中では、ナナ=ハーピィが「わーい!」とはしゃいだ声をあげていた。


「速い速ーい! あたしがこんな速さで飛んだら、すぐに魔力が尽きちゃうだろうなー!」


 これで時速は、120キロていどであろうか。僕にしても、このスピードを2日間も持続させたら、けっこうな魔力を消耗してしまうはずだった。


「あまりに消耗が激しいようだったら、もとの速度に戻すからね。で、魔力が回復したら、また加速する。これを繰り返せば、それなりに時間を短縮できるはずだ」


 魔竜兵団の現状が把握できていない以上、僕は万全の状態であちらに到着するしかなかった。ネフィリムのように魔力を振り絞れば、おそらく1日もかけずに到着できるのであろうが、そんな状態で襲撃されたならば、みんなを守ることも困難になってしまうのである。


(もしもすでに魔竜兵団が魔神族と手を組んでいたりしたら、どれだけ魔力を温存していても大ピンチだろうけど……そこは、魔竜族の気位の高さに賭けるしかないよな)


 魔竜兵団の団員たちは、暗黒神を除くすべての魔族を見下しているのだという。ならば、暗黒神を裏切ってまで、魔神族と手を組むはずがない――というのが、こちらの希望的観測であった。


 しかし何にせよ、魔竜兵団がすでに僕を裏切っていたならば、こちらに勝機はなくなってしまうだろう。あとはせいぜい、王都の勢力との潰し合いでも始めてもらって、漁夫の利を狙うしかないように思えた。


(でも、ガルムやナーガはそんな姑息な戦法に納得してくれそうにないもんな。そんな真似をするぐらいなら、玉砕覚悟の総力戦を望むはずだ)


 そんな事態だけは、なんとしてでも回避しなければならなかった。

 とにかく僕たちにとっての勝ち筋はひとつだけ――魔竜兵団との合流であるのだ。ウロボロスというのがどれほど頑迷な相手であっても、僕は全身全霊で説得に臨むかまえであった。


 そうして数時間ほどもすると、さすがに消耗が激しくなってきたので、飛行のスピードを平常モードに戻す。

 さらに僕は、亜空間の物入から酒樽を取り出して、栄養補給をさせてもらうことにした。


 林檎酒の芳醇なる味わいを楽しむゆとりもなく、山羊の頭骨めいた兜の下顎を開いて、酒樽ごと呑み下す。空っぽの体内で酒樽を割り砕き、林檎酒だけを吸収して、酒樽の破片は胸甲を開いて排出するのだ。風情もへったくれもない栄養補給であった。


 いっぽう背中のナナ=ハーピィたちは、おのおの好き勝手に過ごしている。ただ座っているだけであれば魔力も体力も消耗しないので、食事をする必要もないのだ。ナナ=ハーピィはもっぱら僕に語りかけており、ファー・ジャルグがそれをまぜっかえして、ときおり他のメンバーにも話題を振る。おおよそは、そんな和やかな過ごし方であった。


 しばらくすると、背後から日の光が差してくる。

 これで、半日が経過したのだ。

 僕はデイフォロスの居残りメンバーたちに、定時連絡を入れることにした。


『おはよう。こっちは、順調だよ。そっちも変わりはないようだね』


『ええ。とりたてて、領地の周囲にも動きはないようよ。ま、王都やウィザーンは使い魔で様子を見ているし、北方区域からこちらまでは2日もかかるのだから、動きなんてあるはずがないのだけれどね』


 まずは、コカトリスがそのように答えてくれた。

 さらに、ガルム、ナーガ、ケルベロスからも『異常なし』の返事が届けられてくる。僕はとりあえず、部隊長たるその4名とだけ、特別な術式で念話を可能にしておいたのだった。


 念話というのは便利な術式であるのだが、無条件ですべての相手と交わせるわけではない。さまざまなデータから算出したところ、どうやら1000キロメートルほども離れた相手と念話を交わすには、特別な術式が必要になるようだった。


 その特別な術式とは、念話を交わす者同士が、おたがいの肉体を体内に取り入れて、それを触媒とすることで成立する。ナーガとコカトリスからは鱗を1枚ずつ、ガルムとケルベロスからは獣毛を一束ずつ拝借し、僕からは篭手の爪を1本ずつ与えていた。西方区域に先行したテューポーンとも、僕は同じ方法で術式を完了させていたのだ。これでおおよそ10日間ほどは、どれだけ離れていても念話を交わすことが可能であるのだという話であった。


『可能性は低いと思うけど、巨人兵団を全滅させた連中がすぐさま中央区域を目指し始めていたら、あと半日もかからずに到着できるわけだからね。くれぐれも油断しないように、警戒を続けてくれ』


『おまかせあれ! あんな連中は、残らず噛み殺してくれますわ!』


 ガルムの豪快な笑い声が、僕の脳内に響きわたる。


『ところで、例の王女めが暗黒神様に拝謁を賜りたいと、昨晩からずっと申し立てておるのです。暗黒神様はお忙しいのだと突っぱねておるのですが、こやつは懲りるということを知らんようですな』


『うん。くれぐれも手荒な真似はしないようにね』


 もちろんアンドレイナ王女にも、僕が西方区域に出立したことは明かしていないのだ。それを知っているのは、会合に参加したメンバーと、ケルベロス、エキドナ、ケツァルコアトル、フレスベルグの4名のみであるはずだった。


『ふふん。こんな小娘に手荒な真似をしたら、鼻息だけで吹き飛んでしまいそうですからな! ……しかし、俺が怒鳴りつけても、こやつは怯む様子すら見せんのです。存外、ワーウルフやウェアタイガーよりは胆が据わっているやもしれませんな!』


 そんな風に言いたてるガルムは、どこか愉快そうであるように思えた。

 もっとも直情的であるガルムにアンドレイナの護衛役を申しつけたのは人選ミスだったのではないかという不安もあったのだが、それは杞憂であったようだった。


『その調子で、アンドレイナと上手くやっておくれよ。なるべく早く帰れるように、こっちも力を尽くすからね』


『どうぞおまかせあれ! 長虫どもの泣き面を楽しみにしておりますぞ!』


 そんな言葉を最後に、定時連絡は終了することになった。

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