3 出立の前に

 それから僕たちは、出立前の残務処理に取りかかることになった。

 まずは、ウィザーン公爵領におもむいていた別動隊の招集である。事ここに至っては、戦力を分散させておくわけにもいかないのだ。特に、上級の力を持つケルベロスやエキドナ、フレグベレスにケツァルコアトルといった団員たちには、即刻デイフォロスに戻ってもらう必要があった。


「向こうには、ケルベロスとエキドナを除く潜入捜査員にだけ居残ってもらうことにしよう」


 ケルベロスとエキドナを除けば、潜入捜査員には4名の中級魔族と12名の下級魔族しか残らない。全団員が動員される総力戦においては、微々たる戦力であろう。彼らは戦闘員としてではなく、潜入捜査員として得難い戦力であったのだった。


「でも、これでしばらくはこちらも援護できなくなるからね。決して無理はせず、危険を感じたら潜入捜査も一時中断してくれ」


 僕は班長たる面々に、そのように通達しておくことにした。

 他の団員たちがデイフォロスまで戻ってくるには、およそ4時間が必要となる。その間に、僕たちは雑務を片付けることになった。


 領地の警護は徹底的に強化して、探知の網も可能な限りは広げておく。こちらは巨人兵団の生き残りであるネフィリムを迎え入れたばかりであるので、たとえ敵の監視の目があったとしても、不自然に思われることはないだろう。その役割は、もともと農園の警備担当であった蛇神兵団にお願いすることになった。


 なおかつ、僕がデイフォロスを離れることは、原則として秘密にしておくことにした。こちらの陣営に裏切り者が出るとまでは考えていないものの、いちおうの用心である。帰還を命じた別動隊にも、ただ「魔神族の襲撃を警戒するため」としか伝えていない。ケルベロスを筆頭とする部隊長には、帰還後に隠密裡に伝達することが決定された。


「……あとは、別動隊の帰りを待って、いざ出立だね」


 デイフォロス城の執務室において、僕は誰にともなくそのように告げてみせた。

 その場に居合わせているのは、ルイ=レヴァナント、ファー・ジャルグ、ナナ=ハーピィ、ネフィリムの4名である。これが西方区域に出向く顔ぶれであり、最後の1名であるジェンヌ=ラミアは、領地の近辺に敵方の使い魔が潜んでいないかを探索する作業に駆り出されていた。


「……ねえ、ハーピィ。悪いんだけど、ちょっと向こうの寝室でネフィリムと一緒に控えておいてくれないかな?」


「えーっ! あたしを仲間外れにするの!?」


 ナナ=ハーピィは、ぷっと頬をふくらませる。僕がそのような命令を下すのは、デイフォロスに帰還して以来、初めてのことであったのだ。


「ごめんね。ただ、西方区域に出立する前に、このふたりと腹を割って話しておきたいんだ。何せ彼らは、裏切り者の一族であるからさ」


「……はーい。でも、あんまり長引くようだったら、あたし暴れちゃうからね!」


 ぷりぷりと怒りながら、ナナ=ハーピィはネフィリムをにらみつけた。


「ほら、ベルゼ様の言葉は聞こえたでしょ? とっとと寝室に移動するよ!」


「はい。ですが、下級の魔獣族たるあなたに命令されるいわれはないように思います」


 しょぼんとした顔のまま、ネフィリムはそのように言い放った。ケルベロスやエキドナよりも幼く見える、黄褐色の髪と浅黒い肌をした少女である。


「なんだよー! ようやく憎まれ口を叩く元気が出てきたってわけ!?」


「憎まれ口を叩いているつもりはございません。ただ、ありのままの事実を申し述べたばかりでございます」


「うっさいよ! とっとと歩きな、ウスノロの巨人族!」


 そうして両名が寝室に消えるのを待ってから、僕は部屋全体に結界を張り巡らせた。これでもう、如何なる存在でも覗き見や盗み聞きは不可能である。


「なんだい、剣呑な雰囲気だねえ。処刑はともかく、拷問は勘弁だよ、暗黒神様!」


「処刑も拷問もするつもりはないよ。それを、伝えておきたかったんだ」


 僕は一考し、少女の義體に着替えることにした。彼らであれば僕の心情を見誤ることはなかろうが、それでも最善を尽くしておきたかったのだ。


「今回はきわめて厄介な事態になってしまったけれど、君たちの忠誠を疑ったりはしていない。どうか信じてもらえるかな?」


「ふーん? 信じてくれと懇願するのは、俺たちの側じゃないのかねえ?」


「僕は、君たちを信じているよ。君たちの忠誠を疑う理由はないじゃないか」


 そう言って、僕はふたりに笑いかけてみせた。このための、義體である。


「君たちが裏切り者でないことを、僕だけは知っている。他の団員たちの前ではそれを伝えることができないから、こうして時間を作ることにしたんだよ」


「へーえ。暗黒神様からそこまで信頼されていたとは、恐悦至極ってなもんだねえ」


 ファー・ジャルグはへらへらと笑っており、ルイ=レヴァナントは冷たい面持ちで黙りこくっている。やはり、僕が知っている通りの彼らの姿である。内心の読みにくさでは他者の追随を許さない両名であるが、それでも彼らは僕にとって一番の腹心であるのだった。


「どうしてこうまで君たちのことを信頼しているか、説明してあげようか? それは君たちだけが、僕の秘密を知る存在であるからだよ」


「暗黒神様の、秘密?」


「うん。僕が人間族との共存共栄を目指している、ということさ」


 僕は穏やかな気持ちで、そのように言葉を重ねることになった。


「言ってみれば、僕は他の魔族の全員を欺いているような状態にあるんだ。もしも君たちが暗黒神の失脚を願っているのなら、それを他の団員たちに密告すれば済むことだろう? デイフォロスの攻略を始める前に、ガルムやナーガがそんな話を聞かされていたなら、きっと指一本動かしてくれなかっただろうからね」


「ほーん。たったそれだけのことで、俺たちを全面的に信用するってのかい?」


「それだけで十分なはずだよ。だけど君たちは密告するどころか、僕のためにさんざん力を尽くしてくれた。これで君たちを疑えるわけがないじゃないか」


 笑いながら、僕は肩をすくめてみせた。


「僕が暗黒神としてこの世に生まれ落ちてから、まだ20日ていどしか経っていないと思うけど……当初の僕がどれだけ頼りない存在であったかは、君たちが一番わきまえているだろう? 君たちが敵方の存在であったなら、あの頃に牙を剥いていたはずさ。でも、僕は君たちに支えられながら、なんとかここまで進むことができた。だから僕は、君たちの忠誠を疑ったりはしていないし、これからも一緒に力を尽くしてほしいと思ってる。……僕からは、以上だよ」


「きひひ。あんまり気恥ずかしい台詞を並べたてないでほしいもんだねえ。尻の穴がかゆくなっちまうよ」


 ファー・ジャルグは皮肉っぽく笑いながら、そっぽを向いてしまった。

 なんだか、くすぐったいのを懸命にこらえているかのような表情である。

 すると――ルイ=レヴァナントが、初めて発言した。


「我が君のお言葉は、光栄に存じます。……それでもなお、進言することを許していただけますでしょうか?」


「うん。なんでも言っておくれよ」


「では、進言させていただきます。西方区域に出立する前に、我々を処刑するべきではないでしょうか?」


「ぎゃー」とファー・ジャルグがのけぞった。


「あのねえ、不死の旦那。あんたが死を望むのは勝手だけど、俺を巻き添えにするのは勘弁願えないもんかね?」


「いえ。私だけでは不十分ですので、貴方にもその首を差し出していただきたく思います」


「ちょ、ちょっと待っておくれよ。どうして君たちを処刑しなければならないのさ?」


「それは我々が、魔獣と蛇神の全団員の不興を買っているゆえとなります」


 その凍てついた表情を毛ほども乱すことなく、ルイ=レヴァナントはそのように言いきった。


「とりわけガルムとナーガの両団長は、我々に強い不審の念を抱いております。それをむやみに擁護すれば、彼らの忠誠心を失うことにもなりかねませんでしょう」


「そんなことはないよ。というか、君たちは裏切り者じゃないんだから、処刑する理由がないじゃないか」


「事実がどうあれ、我が君が我々を処断すれば、いっそうの忠誠心を獲得することがかなうでしょう。不死族の背信に巨人族の全滅という窮地を迎えた今、我が君は最善を尽くすべきかと思われます」


 僕はルイ=レヴァナントの冷たい無表情をまじまじと見やってから、ふっと笑ってみせた。


「どうやら君は本気であるみたいだね、ルイ。でも、君たちの支えを失ったら、僕は立ち行かなくなってしまうよ」


「そのようなことはありません。再生の儀を終えて以降、我が君は新たなる理念を掲げて、新たなる忠誠を勝ち取られたように存じます。魔獣兵団と蛇神兵団の間で諍いが減ったのも、我が君に感化されてのことであるのでしょう」


 ルイ=レヴァナントは、青白いまぶたの下に漆黒の瞳を隠した。


「現在の我が君であれば、魔竜兵団をも懐柔することが可能であるように思います。我が君はそのまま三つの兵団をまとめあげて、背信者たちと人間の王を屈服させなければなりません。……そのためにこそ、足手まといである我々を処断して、現在の威光を盤石のものとするのです」


「なるほど。君の意見はわかったよ、ルイ。君にとっては、自分の生命までもがひとつの手駒に過ぎないんだね」


 僕はルイ=レヴァナントの前まで進み出て、そのひんやりとした指先を手に取った。

 ルイ=レヴァナントのまぶたがゆっくりと持ち上げられて、黒い瞳が僕を静かに見つめてくる。


「ただ、君は自分の存在を過小評価しているみたいだ。僕にとって、君という存在は大事な飛車角なんだよ。そんな大事な手駒を、そう簡単に手放せるわけがないじゃないか」


「……申し訳ありません。ひしゃかくの意味をはかりかねます」


「だろうね。でも、雰囲気でわかるだろ?」


 僕は、氷のように冷たいルイ=レヴァナントの指先を、ぎゅうっと握りしめてみせた。


「僕の理念ってやつは、ずっと前に話した通りだ。僕はできるだけひとりの犠牲も出さないまま、この世界を平定したいと願っている。その中には、君とファー・ジャルグも含まれているんだよ。君たちの生命を犠牲にした勝利なんて、僕はまっぴらさ」


「…………」


「ということで、君の進言は却下させてもらう。これが僕の、暗黒神としての決定だ。今後も君たちには、忠誠と尽力を期待しているよ」


 僕はルイ=レヴァナントの手を解放し、にっこり笑ってみせた。

 すると、ルイ=レヴァナントは「では――」と口を開く。


「もう一点、進言をお許し願えますでしょうか?」


「ええ? まだ何かあるのかい? 何を言われても、僕の気持ちは変わらないよ」


「ですが何卒、ご一考をお願いしたく存じます。……西方区域には、私の従僕たちも同行させてはいただけないものでしょうか?」


「従僕? それは、リビングデッドのことだよね?」


「はい。かの者たちを残していけば、他の団員たちの怒りや苛立ちを誘発する結果となりましょう。私を同行させようというお考えであるのでしたら、あの従僕たちにも同行を許していただきたく存じます」


 僕は、ついつい笑ってしまった。


「了解したよ。確かにそれは、もっともな意見だね。西方区域には、彼らにも同行してもらおう」


「我が君の寛大なおはからいに、心よりの感謝を捧げたく存じます」


 けっきょくルイ=レヴァナントは、最後までその冷徹な無表情を崩すこともなかった。

 そうして僕たちは、思い残すこともなく西方区域へと遠征する段に至ったのだった。

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