4 王女の思い
それから僕たちは、王都の南側に位置する岩場に潜んだまま、王女アンドレイナの一行とともに夜を明かすことになった。
たとえ王女をこちら陣営に引き込んだといっても、目前の情勢に大きな変化は生じないのだ。まずは、最初の予定通りに計画を進めるしかなかった。
ただし、400名もの団員を引き連れてきたのは、王都の軍勢がデイフォロスに進軍を始めることを警戒してのことである。それで王都の警備が薄くなるようなら、少数精鋭で城に突撃し、人魔の術式を破壊しようという計画であったのだ。
しかし、そのような事態には至らないであろうと、王女アンドレイナには忠告されていた。
「デイフォロスというのは、王都から徒歩で3日もかかる場所にあるのでしょう? そんな場所まで、王都の軍を進めるはずがないわ。王はいつだって、自分の保身を最優先にしているのだもの」
アンドレイナの言う通り、どれだけこちらが待ちかまえても、王都の人々が人魔と化してデイフォロスを目指す気配はなかった。
「王のたくらみを教えてあげるわ。……いえ、王というか、魔術師のたくらみね。あいつらは、ひたすら時が過ぎるのを待っているのよ。時が過ぎれば過ぎるほどに、人間の数は増えていくのですからね。そうして十分な戦力が整ったら、すべての人間を人魔として、一気呵成に魔族を滅ぼす。これが魔術師たちの、基本戦略であるのよ」
「なるほど。でも、いくら人間の数が増えようとも、領地を広げない限りは、扱える魔力に変動はないのですよね。領地を広げずに人間だけを増やしても、下級の人魔が増えるだけでしょう?」
「だから、少しずつでも領地を広げているのだわ。魔術師たちは数百年がかりで、あなたがたを滅ぼそうと目論んでいるのよ」
岩場の洞穴にて行われた緊急の軍議において、王女アンドレイナはそのように主張していた。
「でもよー」と声をあげたのは、ケルベロスである。
「こっちは20年前にグラフィスをぶっ潰して、ついこの間はデイフォロスをぶっ潰してやったんだぜー? ふたつも領地を奪われたってのに、そんな呑気なことを言ってられるのかよ?」
「グラフィスに関しては、わたくしの生まれる前の話だから、よくわからないけど……でも、今回の一件で引き合いに出されていたわね。魔術師たちは、『今回はグラフィスのときほど危機的な状況ではない』と言い張っていたのよ」
「なんでだよ。領地を奪われたってことに変わりはねーだろ?」
「だけどデイフォロスでは、今でも大勢の人間が暮らしているでしょう? いつかこっそり忍び込んで、新しい人魔の術式を仕掛けることができれば、すぐに取り返すことができる、なんて言っていたわね」
「ははん。だったら今の内に、デイフォロスの連中を皆殺しにしておくべきなのかもなー」
ケルベロスがそのような悪態をつくと、アンドレイナは青い瞳に激情をたぎらせた。
「……それを本気で言っているのなら、あなたがたの軍門に下るという話はなかったことにさせていただくわ。今すぐにでも、わたくしを処刑してちょうだい」
「なんだよ、冗談の通じねーやつだなー。それを決めるのは暗黒神様なんだから、俺の知ったこっちゃねーよ」
そんな調子で衝突することもままあったが、何にせよアンドレイナは有効なる情報をいくつも僕たちにもたらしてくれたのだった。
「あとは、西方区域に関してね。デイフォロスよりも、そちらを鎮圧するのが先決だなんて言っていたわよ」
「西方区域っていうと、魔竜兵団の担当か。あっちでも、派手にやってるって噂だなー」
「ええ。つい先日も、伯爵領が制圧されたという話よ。領主であった伯爵家の当主は、王都に召喚されていたもの」
それは、いささか気になる情報であった。
「遠く離れた西方区域からも、爵位を持つ人間が王都に召喚されたのですね。それは、どういう理由からであるのでしょう?」
「それはもちろん、王都の戦力を増強するためね。どういった爵位であれ、当主というのは強い人魔になれるのよ」
厳しい面持ちで、アンドレイナはそのように説明してくれた。
「もっとも位の低い男爵家の当主でも、もっとも位の高い公爵家の血族より強い力を持つのじゃないかしらね。それに、もう一点――当主というのは、自我を保ちやすいのだという話だわ。逆に、王家や公爵家の血筋でも、当主でなければ自我を保つことができず、魔術師の命令しか聞くことができないのよ」
「ああ、なるほど……確かにグラフィス子爵やデイフォロス公爵は、人魔となっても自我を保っておりましたね。あれは、当主の特権であったわけですか」
「デイフォロス公爵も西方区域の伯爵も、領地を失ったために子爵や男爵に格下げされていたわよ。それでも当主は当主だから、きっと自我は保てるのでしょうね」
すると、ずっと大人しくしていたルイ=レヴァナントも使い魔ごしに発言した。
『しかし、大地の魔力が足りなければ、どれだけの貴族を呼び集めても、強力な人魔とすることはできないでしょう。王都に召喚されたデイフォロスの貴族は6名であったかと思いますが……それだけの貴族に十分な魔力を与えるだけの余力が、王都には残されていたのでしょうか?』
「ええ。ここ数年で、王都は一気に領土を広げてしまったもの。まだまだ魔力にはゆとりが残されているはずよ」
「そんな馬鹿な!」と発言したのは、ガルムであった。
「我々は、中央区域の人間どもが領土を広げないように、使い魔を放って見張らせておったのだ! ここ数年で、そのように大きな動きはなかったはずであるぞ!」
「だったら、魔術師たちがあなたがたを出し抜いたということね。王都の北側に大きな山が連なっているでしょう? あそこはもう、そのほとんどが王都の領土に成り果ててしまったのよ」
「馬鹿を抜かすな! あの山は樹木の1本も切られてはいないし、結界に取り込まれたりもしてはおらんではないか!」
「外側ではなく、内側よ。わたくしも詳しくは聞かされていないけれど、地下から坑道を切り開いて、鉄だか銅だかを採掘しているらしいわね」
ガルムは憤怒の形相で、言葉を失っていた。
僕の肩に乗っていたルイ=レヴァナントの使い魔が、沈着なる声音で見解を述べたてる。
『ならば、山の内側にのみ結界が張り巡らされて、大地の魔力を吸われてしまっているということなのでしょう。それでは山の表面からうかがい知ることは不可能なのであろうと思われます』
「それは、由々しき事態だね。王都は僕たちの想定よりも、遥かに強大な戦力を蓄えているわけか」
しかも今回、デイフォロスからの逃亡者たちによって、さらなる補強がされてしまったことになる。王都が確保していた膨大なる魔力に、人魔の器を与えてしまったようなものなのだ。
「へへん。だったらあの豚野郎どもこそ、皆殺しにしておくべきだったってこったなー」
「うん、確かにね。……でも、デイフォロスからの逃亡者がいなかったら、アンドレイナ王女が王都を出奔することにもならなかったんだ。それを思えば、諦めもつくかな」
「へー。王都の人魔が増えることより、その娘っ子ひとりのほうが重要だってのかよ?」
「うん。アンドレイナ王女がいなかったら、王都のそういう情勢を知ることもできなかったわけだからね。僕たちにとっては、かけがえのない財産さ」
アンドレイナは、なんとも言えない面持ちで身をよじっていた。
「あの、わたくしはいつまで王女呼ばわりなのかしら? わたくしは、あなたがたの軍門に下ったのよ?」
「ええ。ですが、王家としての身分を剥奪した覚えはありません。デイフォロスにおいても、農奴は農民、市民は市民のままですしね。貴族や騎士であった人々については、どのような身分とするべきか、まだ判じかねているのですが……とりあえずあなたは、王家の第一王女という身分のまま、僕たちの軍門に下っていただきたく思います」
そんな感じに、僕たちは着々とアンドレイナとの交流を深めていくことになった。
今のところ、団員たちに大きな不満は見られない。悪態をついているケルベロスにせよ、そこまで彼女を嫌っているわけではないのだ。
その理由は、僕の要請に従って、アンドレイナが自らの記憶を開示してくれたためであった。
アンドレイナの胸中には、彼女が語っていた通りの真情が渦巻いていた。王たる父と、人魔の術式に支配された現王政への怒りと不満――それは、僕たちが想像していたよりも、遥かに根深く彼女の魂に食い入っていたのだった。
そして、彼女があえて語らなかったことも、僕たちは知り得ることができた。
彼女がこうまで自らを取り巻く世界を呪うことになった、そのきっかけである。
そのきっかけは、彼女の母親たる王妃についてであった。
彼女の母親は、彼女の父親によって処刑されていたのだ。
理由は、その母親もまた、現在の王政に疑念を呈していたためであった。
人魔の術式は、心を歪める。人間は、このようなものに頼るべきではない。今すぐにでも、人魔の術式は封印するべきだ――そのように進言した王妃は、王の命令によって首を刎ねられてしまったのだった。
そのような処断が下されたのは、およそ3年前。当時まだ7歳であったアンドレイナは、目の前で母親が惨殺されるさまを見届けることになった。
「我に逆らう者は、誰であろうと容赦はせん! このぶざまな王妃の死にざまを教訓とするがいい!」
アンドレイナの記憶の中で、王はそのように言い放ち、狂ったように哄笑をあげていた。
その日から、アンドレイナはすべての感情を押し殺し、王と世界への憎悪を育んでいくことになった。彼女の真情を知る者は、忠実なる従者であったエウリコとマルチェのみである。
そうしてアンドレイナは、いつか父たる王に復讐を果たすべく、ひそかに爪を研いでいたのだが――それを脅かしたのもまた、人魔の術式であった。
王家の人間が戦いに駆り出されることは、滅多にない。王都の開拓作業を妨害するべく、魔族に襲撃されることは多々あったが、それを迎え撃つのは貴族や騎士たちの役割であった。王族でも破壊衝動を持て余している人間は、魔術師に懇願して戦いの場に参じることはあったが、幼い彼女が出陣する機会は1度としてなかった。
しかしまた、上級の魔族が王都を脅かせば、城の結界が破壊されて、すべての人間が人魔に化すこととなる。
そうして人魔と化すたびに、彼女は自分が人間らしい情感を失っていくのを実感していた。
父親に対する憎悪や、母親に対する情愛や、母親を失ってしまったことに対する悲しみが、音をたてて削られていくような心地であったのだ。
その事実は、彼女を激しく恐怖させた。
いつか自分も、父のような怪物に成り果ててしまうかもしれない。母親に対する情愛も忘れて、他者を虐げることに悦楽を覚え、大事な従者たちを踏みにじるような存在になってしまうかもしれない。そんな予感に、彼女は戦慄することとなったのだ。
そうして彼女は、暗黒神たる僕の存在にすがることになったわけである。
彼女にとって、暗黒神がデイフォロスの人々に告げた言葉は、大いなる福音であった。王を打倒し、人々を人魔の術式から解放できるのなら、この身と魂を暗黒神に捧げてもいい。それだけの覚悟をもって、彼女は城から逃げ出したのだった。
以上――それらの記憶は、僕の術式を介して兵団の主要メンバーに周知されることになった。
それ以降、団員の中に彼女を疎むものはいなくなったのだった。
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