6 戦勝の祝宴(上)
そうしてやってきた、祝宴の夜である。
デイフォロス領の南側に広がる岩場に、700名からの団員が集結していた。
先日の戦いにおいて、こちらも数十名の戦死者を出している。それでもやはり、この人数で祝宴を開くには、こういう広々とした場所を選ばざるを得なかった。
デイフォロス領には僕自身が結界の術式を張っておいたので、見張りを立てる必要もない。この夜は、僕が暗黒神として生まれ落ちてから初めての、全団員を招集しての祝宴であるのだった。
「みんな今日まで、本当に頑張ってくれたね。全団員の尽力あって、僕たちはデイフォロスを支配下に置くことができた。この喜びを、みんなで分かち合いたく思う」
肉声と念話を同時発信する術式を使って、僕は全団員にそのような言葉を届けてみせた。
団員たちは、怒号のような歓声をあげている。彼らにとっては、20年ぶりの祝勝の宴であるのだった。
「僕の見込みが甘かったために、数十名もの戦死者を出してしまったのは痛恨であったけれど……でも、デイフォロスの人魔の術式を打ち砕いたことにより、この地にも多くの魔力が蘇ることになった。地の底に返された魂は、いずれ新たな魔力を纏って地上に戻ってくることだろう。その日が一刻も早く訪れることを願って、僕は明日からも力を尽くそうと思う。どうか、僕を信じてついてきてほしい」
岩場のあちこちにはかがり火が焚かれて、団員たちの異形をオレンジ色に照らし出している。
そんな彼らを見回しながら、僕はナナ=ハーピィから託された酒杯を天高く掲げてみせた。
「今日は、朝まで飲み明かそう。我らの勝利に、乾杯!」
歓声と魔力が一体化して、夜の空気を沸騰させた。
あとはもう、肉と酒を巡っての大騒ぎである。
僕は岩場に腰を下ろして、「ふう」と息をついた。
「さすがにこれだけの人数だと、圧巻だね。この前の貴族の乱痴気騒ぎなんて、比較にもならないや」
「あはは。そりゃーそうでしょ! そもそも人間と魔族じゃあ、持ってる力が違うんだからさ!」
僕の隣に陣取っていたナナ=ハーピィが、無邪気に笑いかけてくる。
あの激烈なる死闘から2日が過ぎて、彼女もようやく元の力を取り戻していた。
ただ、本日もハーピィとしての本性は表しておらず、人間の姿でワンピースのような装束を纏っている。それは昨日の朝に僕が準備した装束であった。
「暗黒神様は、そのままの姿なの? 鎧の姿だと酒を飲むのも面倒くさいなーって、ずーっと前に言ってたんだよね」
「ああ、うん。この姿で食事を口にするコツは、まだつかめてないんだよね。挨拶も終わったから、義體に着替えようかな」
僕は亜空間の衣装棚を開いたが、そこに残された義體もずいぶん数を減じていた。僕が暗黒神となってから、すでに6体の義體が破壊されているのだ。
「うーん、そろそろ新しい義體を準備しなくっちゃな。今日のところは、これでいいか」
僕が義體に着替えると、ナナ=ハーピィはまた「あはは」と笑い声をあげた。
「またその義體? あたしは好きだからいいけど!」
「うん。なんとなく、着慣れてるほうが落ち着くみたいなんだよね」
僕が選んだのは、かつて『三つ首の凶犬と蛇女王の城』の晩餐会でも着用していた、少女の義體であった。女性の肉体に慣れるために、僕はそれなりの日数をこの姿で過ごしていたのだ。
僕の身長が縮んだため、ナナ=ハーピィと目線の高さが同じぐらいになる。ナナ=ハーピィは、幸福でたまらないようににこにこと笑っていた。
その魅力的な笑顔から視線を引き剥がし、僕は周囲の団員たちに呼びかけてみせる。
「あらためて、みんなもお疲れ様。また明日からも大変だと思うけど、どうかよろしくお願いするよ」
僕の周囲には、主要のメンバーが寄り集まってくれていた。
兵団長のガルムにナーガ、部隊長のオルトロスとエキドナ、ケルベロスとコカトリス、潜入捜査員の班長であるドリュー=パイア、サテュロス、ラハム、側近であるルイ=レヴァナントとファー・ジャルグ、そして侍女のナナ=ハーピィとジェンヌ=ラミア――実に錚々たる顔ぶれであった。
「だけど今回は、数十名も犠牲を出してしまったからね。次回からは、もっと慎重に計略を練らないと」
「何を言っておるのですか! あれだけの騒ぎで数十名ばかりの犠牲しか出なかったのですから、上出来でありましょう!」
「そうですわね。しかも、力のある団員はほとんど生き残ることができたのだし……下級の魔族なら、すぐに生まれ変わることができるでしょうよ」
ガルムはもちろん、ナーガもずいぶん満足そうに微笑んでいた。先日の戦いでは、彼らが多くの魔術師や騎士たちを退けたという話であったのだ。20年ぶりの大きな戦いで、彼らの闘争本能もたいそう満たされた様子であった。
「お、お待たせいたしましたー! こちら、山羊の肉でございます!」
と、ザルティスの一団が大皿を掲げて駆け寄ってくる。その皿には、炙り焼きにされた骨つき肉が山のように積み重ねられていた。
ガルムたちは、大喜びでその肉をつかみ取っていく。しかし、それらを口にすると、何名かはけげんそうに眉をひそめた。
「なんだこれは? 何か奇妙な味がするぞ?」
「あ、そ、そちらには、塩と胡椒をまぶしております。このような岩場では、そのていどの細工しか許されませんでしたので……」
「しおとこしょう?」
ガルムがいっそう眉をひそめると、ケルベロスが「ははん」と鼻を鳴らした。
「そういえば、ガルムの旦那は初めてだったっけか。俺の城では、肉にそういう細工をしてるんだよ」
「ほう、そうなのか! まあ、なかなか悪くない細工であるようだな!」
ガルムはたちまち豪快な笑顔になって、新たな肉をかじり取った。
ザルティスのひとりがほっと息をつきつつ、僕のほうにそろそろと身を寄せてくる。
「あ、あの、暗黒神様にご報告したいことがあるのですが……肉と酒にご満足いただけたましたら、しばしお時間をちょうだいできますでしょうか?」
「報告? だったら、この場でかまわないよ。食事を楽しみながら聞かせてもらうからさ」
「あ、ありがとうございます」と、ザルティスははにかむように微笑んだ。
ザルティスは何名も存在するが、みんな似たような顔立ちと背格好をしている。身体のあちこちに緑色の鱗を生やした、小柄で可愛らしい女の子の姿だ。ただ、彼女の持つ魔力の気配に、僕は記憶巣を刺激された。
「ああ、君はグラフィスの城で厨を取り仕切っていたザルティスだね。戦いに生き残ることができて何よりだ」
「わ、わたくしのように卑小な存在を見覚えていただき、恐縮の限りでございまする」
ぺこぺこと頭を下げつつ、彼女はとても嬉しそうであった。彼女にはオスヴァルドの面倒を頼んでいたので、印象に残されていたのだ。
「それで、報告というのは、何なのかな?」
「は、はい。実は、この領地で育てられていた山羊についてなのですが……できればその、明日以降は山羊を肉とすることを控えさせていただきたいのです」
「なに?」と顔を突き出してきたのは、ガルムであった。
「せっかくの山羊を喰わずして、どうしようというのだ? この山羊どもは、喰らうために育てられていたのであろうが?」
「い、いえ。人間たちは、乳を搾るためにこの山羊を育てていたようであるのです。もちろん、雄の山羊は肉とする他ないのですが、雌を孕ませるためにはそちらもあるていどは残しておかなくてはならないようで……」
「馬鹿を抜かすな! 山羊の乳など、誰が喜ぶというのだ! サテュロスよ、山羊の角と足を持つお前であれば、そのようなものでも喜んで飲み干すのか?」
「いやいや、どうせ吸うなら、美しい娘の乳を吸いたいところだね」
好色なるサテュロスは、端麗なる面にふてぶてしい笑みをたたえつつ、そのように答えた。
すると、無言で肉をかじっていたケルベロスが「ああ」と声をあげる。
「そいつはまた、何かの料理に使おうって考えなのか? 山羊の乳なんざ、まったく美味そうには思えねーけどな」
「は、はい。山羊の乳は、
「酒? 山羊の乳が、酒になるというのか!? そのようなものは、まったく想像することもできんな!」
そんな風にわめきながら、ガルムの赤い双眸には好奇心の光がきらめいていた。
それを横目で確認しつつ、僕は「了解したよ」と応じてみせる。
「この領地の資源は僕たちの戦利品であるけれど、正しく運用する必要があるからね。とりあえず、農園や牧場の管理は、君たちにお願いしようかな」
「えっ!? 我々がですか!?」
「うん。もちろんザルティスだけでは手が足りないだろうから、その辺りのことはナーガやコカトリスと相談してね」
「あ、ありがとうございます! 誠心誠意、つとめさせていただきます!」
ザルティスは深々と頭を下げてから、跳ねるような足取りで仲間たちのもとに戻っていった。
その後ろ姿を見送ってから、ナーガが不明瞭な声をあげる。
「なんだか、ややこしそうな話ですわね。農園や牧場の管理だなんて言われても、わたしにはさっぱりわからないのだけれど」
「その点に関しては、コカトリスがわきまえてくれていると思うよ。あのザルティスも、彼女の下で働いていた団員だからね」
「わたしだって、何もわきまえていないわよ。厨の仕事なんて、ザルティスやリザードマンに任せきりだったんだから」
そんな風に言いながら、コカトリスはちらりとナーガを見た。
「でもまあ、あいつらは農園の畑を耕したりしてたから、わたしたちよりよっぽどわきまえているはずよ。さっきのザルティスに指揮を任せて、望む通りの団員を準備してあげればいいのじゃないかしら」
「そう」と、ナーガは豪奢な金髪をかきあげた。
「だったら、そのザルティスの世話はあなたに任せるわよ。いちいちわたしを通す必要はないから、好きに団員を使ってみなさい」
「……20年も離れていたわたしに、そんな勝手な真似をさせていいの?」
「うるさいわね。いちいち文句をつけないでよ」
まだ多少はぎくしゃくとしていたが、それでも2日前の戦いを通して、両者の間に信頼関係が再構築され始めている様子であった。
エキドナも、赤い三つ編みの髪を垂らしたラハムと楽しそうに語らっている。彼女たちなどは、潜入捜査員として長らく任務をともにしていたので、いっそうの絆が育まれることになったのだろう。
それもこれも、無事に勝利を収めることができた恩恵だ。
僕は大きな充足感を胸に、祝宴の熱気に身をゆだねることができた。
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