ペット観

 昔の話である。まだ私が小さい頃に祖母の家に仔犬(なんかでかかったような記憶があるが、普通の仔犬)がやってきた。ギャンギャン吠えていたが、よく食べよく遊び、よく動く祖母の家のマスコットだった(こんなに大きくてかっこいいマスコットがいるか!とも思ったが。中型犬で、人にはよく懐いていたらしい)。曰く、あまりにも手に負えないヤンチャ坊主だった(私のクツを駄目にしたほど)が、携帯電話を一つ壊して漸く大人しくなったという。食べ物はちょっと高めのドッグフード(と時々茹でたブロッコリーなど)。シャンプーは(おそらく)ちゃんとしたやつ。おやつもおもちゃも申し分なく、「家族」として犬小屋には殆どおらず家の中をうろうろしていた記憶がある。彼はある意味平等な関係性で可愛がられていた。「可愛がられるのが仕事だから」とかつて母は言っていた。

 今はもう天国に行ってしまったが(結構立派なお墓にいる)、それでも彼は幸せだったのだろう。亡くなった後も(私も)時々思い出す辺り(但し携帯に保存してある写真は四枚しかない)、あの家に訪れた人たちにとって決して少なくない部分を担っていたのだ。実際、祖母の家が広く感じたし何より夕食の時間が賑やかではなくなった。

 「可愛がられるのが仕事」というのはペットとしては当たり前のように思えて、実は案外シビアな価値観であるような気がしてならない。彼はそれなりに賢く(食い意地は張っていたが、そこもチャームポイントだと思う)、時折見せる表情は妙に可愛げのあるものだった。だから私や祖父母などの人々だけでなく、近所の人や道ゆく人たちに可愛がられたのだろう。

 しかし、世の中にはペットを碌に可愛がれない飼い主もいる。別に引越し先で飼えなくなったのなら百歩譲ってまだ許せる範疇である(だからといって捨てることは許されないが。ちゃんと解決策を講じるべきである)。「飽きた」という理由で捨てる人や、「世話が面倒くさい」という理由で放置する人。挙げ句の果てにはペットに酷い仕打ちをする人(最たるものが猫に電子レンジ。本当にあったらしい)。どうしてペットが飼えるのだろう、と胸が締め付けられた。もしかしたら、そういう人はペットを生き物と認識していないのではないだろうか。もしくは認識していても、人間の方が偉いのだと思っているのか。ペットも人間と同じくらい尊い命だという(植物もそう)のに。

 我々は見知らぬ人の選択を強制的に止めることは出来ない。見て見ぬ振りをしてしまったからこそ、ということもない訳ではない。けれど、ほんの少し勇気を振り絞ればちょっとだけ運命を変えることはできるだろう。

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