突発テーマ創作

長田空真

傷を愛する女の随想

雨の日はよく傷が疼く。水を含んだ空気が傷にしみいり、かくも得難い痛みと喜びをわたしに与える。痛みこそ記憶、痛みこそ歓喜。この伽藍洞の眼窩を差し込む景色にほかならない。痛みとは忘れがたく、ひも付きやすいから。


傷が指し示す思い出に導かれて、私は家を飛び出す。傘を差し、濡れた道を行けば伽藍洞にうつる過ぎ去った日。この眼のようになくしてしまった、愛しき人との時間が冷えた風をあたためていくとともに。どうしようもない記憶の痛みが、わたしの胸をしめつける。




出会ったきっかけは、ほんの偶然だった。厄介事に巻き込まれて息絶えそうなわたしの手を彼が取ってくれたのがはじまり。それから、わたしは彼の力になりたくて彼がいる真っ黒な世界へ飛び込んだ。


はじめは怖かったけれど、けれど何かを返したくて必死で震えながら彼の隣に、彼に庇護されるだけじゃない存在でいようとした。ただ、それだけのために彼みたいに小さな傷をたくさん作ってもいた。


幸せもあったし、苦労もあった。それでも彼と共にあれば、それだけでよかったはずなのに。

けれど、あの日手を差し伸べたように彼は死にかけの私を守っていなくなった。そして、結局私は守られていたのだという事を彼に欠けていたところとおなじ右目と引き換えに知った。つまるところ、私は彼を遠回しに殺してしまったのだ。だから、私は痛みで償い、そして痛みを楔に彼に第二の死から遠ざけようとしている。


そう、痛むかぎり貴方を私は覚えていられる。痛みとは忘れがたく、ひも付きやすいのだから。



巷に雨ふれば、私の心に歓喜の雫が染み入る。疼く古傷と後悔は郷愁となりて、失なわれしものが同じく失なわれしところに映り込む。これほどの歓びがどこにあるのだろうか。












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突発テーマ創作 長田空真 @tyotakuma

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