4-4.エデンズフィールド/トニトゥルスの洞窟7階層

 言い訳にならないことはわかっているが、最初から違和感はあった。


 腰を屈めながら狭い入口を抜けた先は、意外に広々と、そしてひんやりとしていた。洞窟の奥の方から水の流れる音が反響していたから多分そのせいだと思う。こんだけ涼しいとな、と須藤が言い、俺もその通りだなあと思った。

 今回の主戦場ステージであるトニトゥルスの洞窟はいつぞやの討伐イベントの舞台となったアララト山の麓に位置しており、エデンのwebサイトに記された最寄りの入口は狗吠いぬぼえ駅から徒歩5分くらいの小学校だった。小学校て。ウソだろおまえ不法侵入推奨かよクソ運営ピエロ逮捕されろと思ったので指示には従わず、自宅近辺のコンビニの壁からエデンに入って直接向かった。俺はどんなささいな法でも必ず守る立派な男である。何しろ親父が弁護士なのでそういうのは子供の頃から仕込まれている。

 毎回律儀に23:55に始まるピエトロ氏の口上によると、今夜のシナリオは【E-2:コボルトどもをぶっとばせ】――つまりこれから出逢うポウンの皆様をコボルトだと思えということだ。ちなみにコボルトというのはRPGとかラノベ原作アニメでよくザコ敵として出てくるやつらで、元々はドイツの民間伝承に由来する妖精とか精霊を指すとのこと。なにやら鉱石に関わる妖精らしく、コバルトブルーでお馴染みの金属であるコバルトの名前はそいつらに由来しているらしい。

 以上、だるい口上を聞き流しながらスマートフォンで調べた情報である。その間須藤は眠そうに欠伸をしたり眉間とかを揉みほぐしたりしていた。

「なんだよ、眠いのか?」

「まあ……さっきから子守歌が鳴ってるからな」

 ピエトロ氏の流暢なアナウンスを須藤流に表現するとそうなるらしい。まあ確かに眠くなる声ではある。

 本当はゲーム開始前までに1階層くらいは踏破しておきたかったが、の須藤君に配慮して日が変わるのを待った。では善き《討伐ゲーム》を、と開始の合図が告げられた瞬間、「ばちっ」と目を開けた須藤が勢いよく駆け出したのに続いていく。須藤はスイッチのオンオフがはっきりしている。俺もそういうタイプだという自覚はあるが、須藤ほど徹底してはいない。

 次々出てくる雑魚コボルトどもをズバズバ切り捨てながらひたすら下層を目指した。層を下れば下るほどポウンは硬く強くなっていくが、その分撃破時のボーナスもでかくなる。委員長たちとの修行のお陰か、今や俺たちは5階層くらいまでなら余裕で戦えるようになっていたから、今日は須藤と打ち合わせをして、7階層を攻めることに決めていた。

 7階層で頻出するポウンの組み合わせとして、前線で硬度3.5の大盾を構えた3体と、後衛の弓兵2体の基本セットが存在する(委員長はこれを称してハッピーセットと呼んでいた。何がハッピーなのかはさっぱりわからない)。最初はさんざん苦労させられたものだったが、何度も戦っているうちに、大盾に接近して弓兵の射角を塞いでしまえば割とやれることに気付いた。

 須藤が爆発で大盾のやつを仰け反らせて、空いた隙間に俺が短剣グラディウスをねじ込むのが目下俺ら流の定石セオリーである。一体倒して戦列を崩せばあとは須藤が暴れてくれる。

 ちなみに須藤が大盾連中を飛び越えて後衛を殲滅してから挟み撃ちという作戦も前に試したのだが、逆に狙い撃ちされた須藤が死にかけたので早々に諦めた。いい的じゃねェかクソが、と吐き捨てる須藤に腹いせで殴られたのは今でも納得してない。

 いや、指差してゲラゲラ笑ってた俺も悪いんだが……。

 ……。

 全面的に俺が悪いな……。

 トニトゥルスの洞窟は蟻の巣穴のようにいくつかの小部屋がやや狭い通路でつながった構造をしており、各階層は縦穴でつながっている。ご丁寧なことに縦穴には必ず頑丈な縄梯子がかけられており、階層が変わるとポウンの武装や挙動ムーブもちょっと変わる。今俺たちは7階層に下る縄梯子を降り、ひとつめの小部屋で最初の交戦を概ねつつがなく済ませたところである。

 前来た時より少し時間がかかったかな、という感じはする。須藤の爆発が大盾のポウンをうまく崩せず、俺も俺で切り込むタイミングがうまくつかめなかったからだ。俺の短剣グラディウスの硬度は日によって3.3から3.5の間を行き来しており、大盾ごとズバッと切り裂くには心もとない。

「硬度4くらい出せりゃ余裕なんだろうけどなあ」

「ないものねだりをしても仕方ねーだろ」

 俺のぼやきに眠そうな声が返ってくる。

 当てた場所が悪く少し刃こぼれを起こした短剣グラディウスを零結晶の山に突っ込んで補修する。このとき全体を一瞬だけ零結晶に戻してから再度硬化ディレクションさせるとスムーズにできる。なお硬化のタイミングが遅れると、手から零結晶の砂が滑り落ちるので屈んで拾わなくてはならなくなる。そうなるとちょっとめんどくさい。あと、かなりカッコ悪い。

 後ろでどさりと音がした。

「……?」

 おや、さてはカッコ悪いお方がいらっしゃいますな?

 ここぞとばかりにイジってやろうと振り返った俺の目に映ったのは、倒れ込んだ須藤の姿だった。

 石粒と砂埃と零結晶の粒子がまだらを描く地面の上に、須藤がうつ伏せになっている。なんかのウケ狙いだろうか。須藤の笑いのツボはよくわからないが、たまに面白いことを言おうとするはあるので、これもまたそういうやつなのかもしれない……

 須藤が『吐い』た。

 俺のうすら笑いも一気に引いた。

 種を、というよりは、何かの理由で普通に吐きだしたように見えた。周囲にはポウンの姿も共振ハウルの耳鳴りもなく、誰かの攻撃ではあり得なかった。《林檎》は――結晶樹の実は外傷だけではなくて熱や腹痛も吐き気に変換するので、それに耐えられなくなったのかもしれない。

 仮にそうなら、つまるところ、須藤の体調が最悪だということになる。

「須藤」

 声を掛けたが返事がなかった。気を失っている。

「おい、須藤!」

 頬を軽く叩いた。瞬間、思わず俺は手を引いていた。てのひらから伝わったのはぞっとするほどの冷たさだった。

 呼吸はあった。それでひとまず安心した。だがもちろん7階層どころの話ではなかった。俺は須藤の左脇に腕を回し、右腕を肩に担ぐようにした。引き摺るような形になるものの、なんとか歩くことはできる。

 気を失っている人間は重いっていうの、本当なんだな……。

 縄梯子のところまで来た。縄に手をかけたところで、須藤の身体がずり落ちそうになって慌てて支えた。気絶した人間を抱えて縄梯子を昇るのは生半可な筋力では無理そうだった。いくつか体勢を変えて試してみたがどうにもならない。須藤を落とすか諸共に落ちるかの二択だった。

 せめて両手を自由にできれば昇れる可能性はあるが……。

 どうすればいい……?

 必死で頭を巡らせる。十数秒悩んで、ようやく案が浮かんだ。

 俺は地面に屈み込んだ状態で須藤を背負い直し、右手の短剣グラディウスを零結晶に戻した。砂になって落ちる前に再度の硬化ディレクション、須藤と自分を結びつけるハーネスの形に成型する。

 ある程度の強度を保つ必要があった。短剣グラディウスの体積でハーネスを構成する以上、ワイヤーとまではいかないがかなり細い形状にせざるを得なかった。

 立ち上がる。

 行けそうだ。これなら両手が自由にできる!

 両手両足を縄梯子にかけた瞬間、凄まじい重さが俺の両肩にのしかかった。結構な痛みが吐き気に変換されて俺の喉元をせり上がってくる。首元で須藤の呻き声が聞こえた。すまん須藤、キツいのはわかる。でも俺も割と……キツい……。

「……それがどうしたクソがぁぁぁっ!!」

 吠えながら腕を引き上げていった。

 今日イチのクソ力を発揮した。推定60~70kgの荷物を背負って鉛直上向きの運動。どこのレンジャー部隊だって話だ。

 やがて6階層の床に俺の手が届き、最後の気力で身体を引き摺り上げた。

 ど、どうにかなった……。

 息が上がる。実際には結晶樹の実の効果で呼吸はまったく乱れないから完全に気分の問題である。集中が切れてハーネスが砂に還り、零結晶の粒子となって俺たちの上に降り注いでいた。

 それをぼんやり見ていた俺は、はっと我に返り、慌てて零結晶を回収した。もう既にやり切ったような感もあったが実際はあと5階層分を同じ方法で昇らなければならないのである。零結晶一粒だって無駄にはできない。

 そうして手慣れた短剣グラディウスに硬化させた瞬間――

 共振ハウルの耳鳴りが聞こえた。

「……。まあ、そうっすよね……」

 うんざりしながら視線を奥に……、つまりこれから向かうべき方向に向ける。

 迫り来るのは硬度3.3程度の剣と槍と斧を構えた三体のポウン。

 6階層の基本ハッピーセット。

 ヤケクソすぎて笑えてくる。

「……まったく大したハッピーだよなぁ、おい!!」

 どこかの須藤めいた叫び声を上げながら、俺はポウン共に突っ込んでいく。


 自分で言うのもなんだが、普段の俺ならそんな無茶は絶対にしなかった。

 ソロ討伐がロマン足り得るのは勝利が約束された物語の中だけの話だ。

 須藤が種を『吐い』ている以上、一度たりとも攻撃を受けさせるわけにはいかなかった。硬結晶で武装していないアップルテイカーがポウンに狙われるのかは知らなかったが、知らない以上は危ない橋を渡ることはできない。

 つまり、

 背後からの不意打ちに警戒し、絶えず須藤の安全に配慮し、普段なら二人掛かりで戦うようなけして雑魚とは呼べないポウンを俺一人で斬り続けていく。

 縄梯子を乗り越えて階層を遡るたび、深い安堵と、その油断が生み出しかねない致命的な一瞬に恐怖した。短剣グラディウスの硬化を解くこともできず、共振ハウルの音に怯えて進み、容赦なく現れるポウンの群れにその怯えを叩きつけるように絶叫しながら切りかかった。

 ……果たしてどれだけの時間が経ったのか。

 ようやっと洞窟の出口が見える。最寄りの出口は例の小学校だ。それでも背に腹は代えられなかった。警備員か誰かに見つかったとしたら……むしろそれは都合がよかった。そこで人を呼んでもらえる。

 エデンから狗吠に戻る瞬間、いらなくなった短剣グラディウスを投げ出した。常夜灯の青白い光の中、黒い砂の粒子が夜風に舞い上がり吹き散らされていく中を、俺は須藤を背負ったまま駆け抜けていった。

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