4-2.大月高校東棟1階会議室
翌日、俺は数週間ぶりの制服に袖を通して大月高校にやってきていた。大月の男子制服は濃い目のグリーンのオサレブレザーにグレーのスラックスの組み合わせである(ちなみに女子制服は同色のスカートになる)。やっぱり制服はいいな、何となく身が締まる気がする。夏休みの間も時々着とくといいかもしれない。
委員長に指定された東棟1階の会議室に赴くと、既に風紀委員の皆様が勢揃いしていた。全員見覚えのある顔である。ここにいらっしゃる皆様とも、エデンに参加してなけりゃ顔なじみになることもなかったんだよなあと思うと、ちょっと感慨深いものがある。
……ごめん嘘、一人知らない人がいた。
「お、君は今年の新人クンかな」
知らない人氏はそんな風に俺に声をかけてきた――なかなかいい声をお持ちである。他の風紀委員の面々とは異なり、椅子に座らずに壁に背を預けて立っている。椅子が余っているのにも関わらず座らない理由はよくわからない。まさかカッコつけてるわけでもないだろうが。
とはいえ、氏はそんなポーズにも何一つ違和感がない――どころか、逆にキマって見えるような御仁であるのであった。要はイケメンである。そしてタッパもある。なんと髪まで染めている(赤)。細身だが弱々しい雰囲気はなく、バンドマンっぽいザカザカしたフォントのプリントTシャツから覗く筋肉はかなり締まっているように見える。
「
左手を差し出してくる。どうも
「しっかし、
「お言葉ですが、先代が抜けたせいですよ。元々、女性陣は殆どあなた目当てでしたからね」
会議室を見渡す日比谷さんに対して委員長はそんなことを言った。なるほど去年の風紀委員長か、通りで顔を知らないわけだ、と俺はひとり納得する。と同時に、まあ確かに委員長はピーキーと言うか、日比谷さん相手では失礼ながら見た目の面で大いに性能差が……という気持ちになる。
いや見た目だけの話だからな? 中身は知らんよ? 俺普通に委員長のこと尊敬してるし。頭良いし超強いし。
まあ、どっちかと言えば日比谷さんの方が容姿が星5という感じではある。左手を腰に当て、右手はだらんと下げたままという一見だらしない姿勢であるが、それでも様になっているというこのチートっぷりよ。やっぱ顔か? それとも背丈か? 口元のアルカイックスマイルか?
だがしかし、そんなキマった姿の中に妙な違和感がある。何だろ。イケメンへの嫉妬で目が曇ってるんだろうか。わけもなく目を擦っている間に、今度は日比谷さんが磐田先輩に話しかけた。
「女のコは未夏ちゃんだけなんだねぇ。眩しく見えるよ」
「ありがとうございます」
「で、おさみんとは上手く行ってんの?」
「……?」
おさみん?
俺はしばらく考え込んで、ああ、委員長のことかと思い至る。確か名前が
しばらく謎の沈黙が落ちる。日比谷さんに問われた磐田先輩は、はて何のことだという顔をしているし、問うた本人も「ん?」という顔をしている。風紀委員の皆様方もなんだか居心地の悪そうな沈黙を保っている。日比谷さんの視線が委員長の方に向かう。委員長は我関せずといった様子で缶コーヒーのブラックを口に運んでいる。
「ちょっと」
日比谷さんがニッコニコ笑いながら缶コーヒーを奪い取って机の天板に叩きつけた。だん! と割かしデカめな音が響く。椅子から引き剥がされた委員長が部屋の外まで連行されていく。
いやなんとも既視感に溢れる光景である。
これは絶対面白いやつだと直感したので、俺は全力で耳をそばだてる。
(おまえさ、あれから何か月過ぎたと思ってんだよ? なんでまだ
(先代の知ったことではないのでは?)
(いいか? 今まで何度も言ってきたと思うが未夏ちゃんは競争率高いぞ。大学なんぞ行こうものならコンパで引く手数多だ。酒の呑み方と女の口説き方しか知らない
(仮にそうなるとして、誰と何をどうするのも彼女の自由でしょう。僕に何が出来ると言うんです)
(さっさと唾つけとけって話だよ馬鹿、後々いっくらでも引き摺るの目に見えてんだよ)
はっはぁん、さてはここが宝島だな?
美しく光るピアノ線のような人間関係がかすかにきらめいて見えた心持ちである。俺は磐田先輩をチラ見する。渦中のお姫様は下々のごたごたなど何ひとつ耳に入らないご様子で、暇そうに缶コーヒーのカフェオレをお啜りあそばしている。聞こえてない方が面白いので俺は心の中でニヤニヤした。
戻ってきた二人が着席する。
「何の話をしていたんです?」と磐田先輩。
「アホな後輩にお説教をね」と日比谷さん。
「謂れのない批難だと思いますが」と委員長。それはどうかな。
委員長は何事もなかったような澄ました顔で、飲みかけだった缶コーヒーを一口飲み下すと、静かに机に置いた。
「そんな話はどうでもいいでしょう。本題の提示を願います。先代が我々を呼びつけた以上、事に進展があったのでは?」
「ああ。《肉入り》のお誘いが来た」
一瞬で会議室の空気が凍った。
俺の錯覚などではなく、明らかに空気が変わったのだ。
一人だけピンと来ていない俺を見て、日比谷さんがちょっと慌てたような様子になった。
「ああ、悪い、部外者だったか」
「いえ、彼はアップルテイカーです」
「――会長」
磐田先輩が咎めるような声を出す。
「元々そのために呼びつけたんだ。遅かれ早かれ巻き込まれる。なら、道化にたらしこまれる前に伝えておいた方がいいだろう」
「ですが……」
「オーケーオーケー、大体わかった」
日比谷さんが左手を持ち上げる。
「だったらオレが説明しようか。《肉入り》に参加したらどうなるかの実例もあるし」
それでようやく、俺は先程からの違和感の正体に気付いた。
日比谷さんの右の手のひらは、今まで一度も握られていない。
「前回の《肉入り》で肘から先をぶった切られちゃってね。義腕なんだな、これが」
いきなりの告白である。
一体何を言われているのか、理解するのに時間がかかった。
「苑麻クンは、エデンはもう長いのかい?」
「……いえ、まだ一ヶ月半くらいです」
「そっか。ちょうど楽しい頃だね。それでこんな話をするのも気が引けるけど」
ありがたいことである。日比谷さんが前置きをしてくれたお陰で、俺の方も心構えができる。
「通常、エデンの戦いってのは影みたいな奴らと戦うよね。でも、《肉入り》ではアップルテイカー同士が戦う」
「それは……」
まあ、言われてみれば意外ではない。
「ありそうな話ですね」
「それだけならいいんだけどね。普段の
「幾らなんですか」
「腕一本で100万」
俺は二の句が継げなくなった。
それが高いのか安いのかもわからない。
「指一本で10万、脚一本で……幾らだったかな。まあ、オレのときの話だから、次どうなるのかはわからないけど」
「……じゃあ、腕は、そのときに」
聞くのには勇気が必要だった。話の流れから明らかなことではあったにせよ。
日比谷さんは飄々と答えてくれた。
「奪われまいとしたけど、無駄な抵抗だったね」
当人の弁ではあるが、日比谷さんはかなりの凄腕のアップルテイカーだったらしい。
だからこそ、数を頼りに囲まれ、押さえつけられたという。
種を吐き出して人間らしい柔らかさを取り戻した二の腕に、硬度4越えのナイフの鋭い刃が潜り込んでいく様を、上腕二頭筋と三頭筋の筋繊維がぷつぷつと千切られていく感覚のことを、日比谷さんは語ってくれた。
「人間の腕って意外と頑丈みたいでね。苑麻クンは料理する方? 鶏肉なんか、筋の部分を切り離すの苦労するんだよね。相手も思ったより上手くいかなかったみたいで、終いにはナイフを鋸に
「あの、もういいです」
マジで吐き気がしてきた。ニヤニヤ笑っている日比谷さんも、平然と聞いている委員長や磐田先輩のこともちょっと理解ができない。
「苑麻君、気分を害したなら外で休んできたまえ。僕だっていまだに
「お、なんだよおさみん、お前オレのことそんな想ってくれてたの」
「先代のことは普通に尊敬していますから」
委員長、真顔で言い切りおった。さすがの日比谷さんもちょっと照れた様子で「おう……そっすか……」とか意味の分からないことをもごもごと言い始めた。
「僕たちをエデンに誘ってくださったのも、色々と指導をいただいたのも先代なんだ。危険なゲームだし、うちの生徒が何人か参加しているのもわかっていた。元々風紀委員会が参加しているのは、大月の安全を確保するためだったし、度を越して嵌り込むような生徒についてはこっそり見守るという目的もあった」
「そうだったんですか……」
「その目的が本格化したのは、日比谷先輩のことがあってからです」
と磐田先輩が言った。
「もう、
磐田先輩が真っ直ぐに俺の目を見てくる。
「約束してください。もし苑麻さんが《肉入り》に誘われるようなことがあったとしても、絶対に断ってください。そして真っ先に私たちに報告してください。何があっても、私たちの目の届かないところで、危ない真似はしないでください」
「言われなくても大丈夫ですよ。俺、こう見えてチキンですから」
磐田先輩の真摯な瞳を受け止めながら、俺はそんな冗談を返した。
本音のところではマジビビりしている。
だが同時に、俺には縁のない話だとも思っている。
金より大事なものなんてこの世界にいくらでもある。俺は今までの、最高とまでは言わないまでも自分なりに意義ある人生の中で、きちんとそういうことを学んできた。
目先の欲のために他人を傷つけるとか、増してや、わざわざ自分の命を危険に晒すだとか。そんなことをしてまで金を欲しがるなんて、シンプルに馬鹿のやることだ。
誰だって、普通に、そう思うだろ?
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