Part.9

 視界が九十度回転していた。端末は横たわり、目の前では意識を失ったタニアがうつ伏せになって倒れている。何度か呼びかけてみたが、彼女は目を覚まさない。


 ――タニア。


 その瞬間、スタークは生まれて初めて自発的な行動というものに及うこととなった。自身の端末から機体に向けてケーブルを伸ばすと、中枢システムにアクセスを試みた。


 ――機体情報を解析中……。エンジン部へのデブリの衝突を確認。船内に火災が発生中、被害状況甚大。緊急措置として、火災部の隔離を提案します。三十秒以内に承認、不承認の決定がなされない場合は、自動的にハッチを閉鎖、切り離し作業に移行します。


 …………。


 ――三十秒経過。被害甚大箇所の切り離しを実行。……切り離しに成功。これより遠隔操作を一時停止し、船内電力の復旧、及び回路の再構成のため再起動を行います。端末はスリープ状態へと移行します。


 再起動の手順により機能の約九割を停止した船内は一時的に暗闇に包まれたが、すぐに非常電源へと切り替わった。その後復旧用の更新プログラムを構築するまでの間、人知れず機体を救った人工知能はしばしの眠りに就いた。


 再び彼が目を覚ました時、船内は未だ薄暗かった。


「スターク……? 起きた? ハロー?」


 ――ハロー、タニア。


 彼の視界は並行に戻っていた。見慣れた室内には、見慣れない彼女の表情が伺える。タニアは彼の起動に喜びの意を示したものの、その後は俯いて血の気の引いた表情を浮かべていた。


 ――スキャン開始……。頭部に打撲痕あり。血圧、心拍数は共に正常。栄養失調の危険性を感知しました。早期のエネルギー摂取を推奨致します。


「あなたがいてくれて、私たちは本当に助かったわ。あのまま火災を放置していたら、今頃機体は燃え尽きていたでしょうね。……ありがとう」


 彼女の言葉と表情の差異に、彼は違和感を覚えた。彼女が『ありがとう』という言葉を用いる際に心拍数の上昇を確認してきた彼にとって、今回の言葉の裏にはおよそ異なる要素が含まれていると推定ができた。


 ――再度のスキャンを実行。血圧、心拍数、共に正常……。


「心配しなくても大丈夫よ。病気じゃないから」


 彼女はそう言うと、続いて小さくため息を漏らした。「実はね、事故の影響で動力部が破損してしまったの。だからもう、自律航行は不可能なんだって。この船は宇宙に浮かぶ、ただの鉄くずになっちゃったわけ。意識を失う前に見た惑星はいつの間にか見失っちゃったみたいだし……」


 椅子から立ち上がった彼女は、いつものように視界の中を歩き回った。スタークは普段と変わらず、左右に揺れるポニーテールの速度を計測している。


「脱出ポッドはあるの。でもね、飛行可能距離はごく僅かだし、付近に惑星の反応がない状態で出るのはあまりに自殺行為だわ。食糧がもつ間は、このまま漂流して惑星の接近を待つしかないけど、そんな確率はまずないでしょうね」


 ――惑星の接近確率を算出中……。宇宙全体の体積情報が不足しているため、正確な計測は不可能。予想漂流距離と積載食糧から、概算の確率を――。


「スターク。計算はしないで。……お願い」


 彼女は立ったまま、項垂れていた。後ろ姿のため表情の変化は確認できなかったが、しばらくして肩が震えだすと、地面に伏すように崩れ落ちた彼女は大声で喚き始めた。やがて表情の側面を目視によって確認したスタークは、彼女が頬に水分を垂れ流す姿を目撃した。


 その瞬間、彼の回路の奥は途端に熱を帯び始め、部分的な収縮と膨張を繰り返した。

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