スターゲイザー3号
とんかち式
第1話…ではない…ぱいろっと
「こちらスターゲイザー三号、応答を願う」
だがヘッドセットのスピーカーから聞こえてくるのはノイズばかりで、誰の返事も聞こえなかった。私は舌打ちをして目の前の計器盤を叩いた。尖った鉄の感触が拳に伝わってきた。スターゲイザーの一号と二号は既に火星人に撃破されてしまっていた。生き残っているのは既に私だけである。まだ後方から追いかけてくる火星人を追い払うことは出来てはいない。私は力を込めて操縦桿を握るしかなかった。
火星から地球までの惑星間航行がこのような結末になるとは誰も予想していなかっただろう。当初の予測はかなり楽観的なものだった。火星には生物はいないと考えられていたしそれが地球上どこに行っても通説的見解として通用していた。だがそんな地球人の予想に反して火星のプラントは当地の火星人の襲撃に遭い壊滅状態となった。火星人は突然の奇襲を仕掛けてきて、プラント内は一気に混乱状態になった。あの惨劇の中で一体何人が生き残ることが出来ただろう。あいつらはプラント内の人間に対して破壊の限りを尽くしていた。最終的にプラントの天井が破れ、呼吸用マスクをつけていなかった人間は全て即死に近かったのだけれど。混乱の最中、私は命からがらスターゲイザー号に乗り込むことが出来た。何人かその場にいたけれど、火星人の襲撃が激しくて、残念ながらこの機体に乗り込むことは出来ないでいた。スターゲイザー号は火星―地球間の星間偵察に使われる小型宇宙船だ。その使用目的のため機体は小型で、小回りが利き、最高速度も高く設計されている。だがその反面運送目的には適しておらず、乗車定員も多くは無い。地球での、火力の少ない戦闘機がもっとも近いモデルだろう。今私のことを追いかけている火星人の機体も似たようなものなのだから、ともかく合理的な機体なのだろう。
後方センサーが反応し警報ブザーを鳴らしたので、私は桿を動かして緊急回避をした。きっと撃墜するまでついてくるつもりなのだろう。このまま私が地球まで逃げ延びたらあいつらも地球までついてくるのだろうか。そうなれば大問題だ。地球に火星人襲来とそこら中の新聞がこぞって記事にすることだろう。だがまず何よりも生きて帰ることが優先課題だろう。こうして火星人に追われ命を落としかねない状況にいるというのは紛れもない現実なのだ。また警報ブザーが鳴った。反らした機体の脇を閃光が通り過ぎていくのが見えた。今はなんとか回避することが出来ているが、それもいつまで続くか分からない。一瞬の判断が命取りになりかねない。幸い燃料ゲージは地球までの十分な量を指し示している。このまま逃げ続けることが出来れば、なんとか、と言ったところだろう。地球と火星との距離はおよそ八○○○万キロメートル。秒速二○○○キロメートルの速さで進み続ければ一日で地球に戻ることができる。少し機体に負荷を掛ければ二五○○キロから三○○○キロメートル。所要時間に一日を要さない勢いだ。だがその間ずっと後方からの射撃を避け続けなければならない。かなり集中力のいる作業だった。私はモニタで後方の様子を確認した。三機の敵影が見える。位置は測りかねるが、かなり離れたところにいるようだった。こちらの機体の出力の方が上回っているのだろう。かなり幸運なことだった。このまま逃げ切れればいのだが、敵がそれを許すだろうか。
「こちらスターゲイザー、スターゲイザー三号、応答を願う」
無線機を操作してみたが相変わらず反応は無かった。周波数のボリュームスイッチを動かしてみたが、どのチャンネルもうまく通信できないようだった。相変わらず地球からの救助は期待できない状況だった。
人類の火星開拓計画は今からおよそ一五○年くらい前に始まっている。一五○年で地球―火星間を航行する技術まで開発し、火星にプラントをも建造するようになるのだから人間の技術力とはおそろしいものである。だが、火星人の出現――どちらにとってもエイリアンなのだが――は予想外の出来事だった。一五○年前から火星には水が流れた痕跡があるとか微生物が生存しているとか言われていたのだが、観測時の大気環境はとても生物が暮らしていけるようなものではなかったからだ。火星には生物がいたかもしれないし、いないかもしれない。そんな矛盾した学説がこんな形で解消されるとは一体誰が予想出来ていただろうか。火星には異星人がいるとして地球からの脱出を拒んだ人類は今頃ほくそ笑んでいることだろう。見たところ、火星人の骨格は人間と同じ二足歩行のもの、四足歩行のもの、あるいは昆虫と似た骨格のものと、人類に比べて多様性に富んでいた。そのどれが火星の気候に適応した姿なのか私には判断が出来ないが、全て生きていると言うことはその全てに共通した何かがあるのだろう。人類は生身では火星の環境に適応することが出来なかったが、機械の力を借りて火星に居住できるまでにはなった。だがあれらの生物は生身で火星の環境に適応したということは、何か秘密があるのだろう。
一つ気になるのは、私たちが最初に火星に降り立った時、彼らの姿は無かったということだ。つまりその間彼らはどこかに隠れていたということになる。火星に到着後の私たちはというと、地表の調査に明け暮れ、自分たちが立っている地面の下のことまでは気に留めてはいなかった。その間ずっと、彼らは地下で私たちを追い出す機会をうかがっていたのだろうか。
よそ見をしていたのか突如目の前に小惑星が表れた。機体をそらせてぎりぎりで小惑星をかわした。音速、亜光速、あるいは光速か。私の後を追尾していた機体の一つが小惑星にぶつかり、後方で火花が散るのが見えた。バックモニターを確認すると宇宙空間に煙が上がっているのが見え、さらに破片がものすごいスピードでこちらに飛んでくるのが見えた。もし破片が機体の装甲をぶち破ってしまったらと思うと気が気で無かった。軌道から推測するとぶつかった小惑星の裏に航路をとっていればぶつかることはないと考えられるがそれでも油断は出来なかった。操縦桿を握る手に汗がにじんだ。
それでも追いかける側が一体減ってくれたのは良い結果だったのかもしれない。追っ手は少ない方が身のためだ。さらに破片に衝突することを恐れてか、追尾する機体も航路をそらせ衝突を回避するような動作を見せた。そのおかげで私の機体と後方の敵の機体の距離が開いたのも幸運だった。
見たことのない機体だった。だが、この機体に追いつけずにいるということは技術的には大した違いはないのだろう。エンジンの出力も似たり寄ったりと言うことだ。火星の地表には生物は住むことが出来ない、生きていくことが出来ないというのは以前から言われていたことだと思う。地表が無理なら地下に住む。簡単なアイデアだった。想像することは容易いが実際に起こってしまうとなると少し話が違う。当初のアイデアでは人間は火星に住む予定だったが、これでは人間と火星人の戦争になってしまう。火星のプラントは今頃火星人に破壊しつくされていることだろう。このまま火星人が地球まで追いかけてきてしまうとどうなるのだろうか。私を追いかけて来ている火星人は一旦は引き返すかもしれない。だがその後に大軍で押し寄せてくるだろうか。地球に到達する前に追っ手を撃墜するというのも一つの考えかもしれない。だが火力の低いこの機体でどこまでやれるだろうか。それに相手は二機。こちらの方が不利だ。一応この機体につけられた小機関銃の残弾数を確認してみる。弾数は満タン、装填マガジンいっぱいにあるようだった。
作戦を考えることにした。地球には月と言う衛星がある。月の周囲を一周して相手の背後をとるという戦法だ。かなり地球に近くなってしまうが仕方無いだろう。地球に近くなれば電波も安定して無線が通じるようになるかもしれない。あるいは地球に応援を要請した方がいいのかもしれないが。
急ブレーキで相手の背後をとるには危険な状況だった。何しろ速度が速過ぎるし、宇宙空間では機体を縦にしても空気抵抗が生まれないだろう。逆噴射をするには燃料がもったいないしそもそも急激な逆噴射で機体が壊れる可能性もあるわけだし、リミッター装置がついているのだろう。いずれにしても急激な進路変更はできない状況だった。最初から地球へ一直線に設定してある。今は後方から追いかけてくる機体を最速で振り切らなければならない。
「メーデー、メーデー、メーデー。応答願う、オーバー」
私は再び無線機に話しかけてみた。
「こ……ちき……どうぞ……」
雑音が混じっていたが、返事が聞こえるようになった。地球に近づいてきたのだろう。無線の送受信ランプも緑色を示しているのだが、まだ通話できるほどではなかった。だがもう少しすればクリアな音声が聞けるようになるだろう。あと少しの辛抱だ。
汗をかいた手のひらをズボンの太もものところにこすりつけた。汗を拭いたら再び操縦桿を握った。宇宙空間なのでまっすぐに飛んでいけばいいのだが、途中で小惑星やデブリなどが浮かんでいるためそれをかわさなければならず、さらに後方からなされる射撃にも気を付けなければならない。私は神経を尖らせようと必死だった。取り敢えず今のところ全てをかわしているのでこのまま地球まで保っていればよさそうだった。
遠くに太陽の光が見えた。きっと私のことなど気にも留めずに核融合を続けているのだろう。その手前には小さな黒い影がいくつか見える。三つじゃないのは公転周期の違いによるものだろう。
またレーダーが反応した。デブリだ。今度は余裕を持って回避することが出来た。後方の機体も難なくかわしていた。やはりこのまま地球までついてくる可能性が高いだろう。その前に撃退したいという気持ちも強かったが、彼らに向かって銃を撃つ方法が無かった。
地球は奇跡の星だと言われている。生物が存在するのも地球だけだと。奇跡的なバランスによって生命が成り立っていると従来から言われていた。果たして火星に生物が存在することにはどのような科学的根拠があるのか。どのような生物学的機構によって彼らの生命は成り立っているのか、地球の科学者たちはこぞって興味を示すだろう。だが彼らの肉体を私たちは手に入れることが出来るのだろうか。ファースト・コンタクト。この時点で私たちと火星人との命運はおおかた決してしまうのだろうか。彼らの圧倒的な力によって火星のプラントは破壊されてしまった。地球に戻ればそれなりの戦力をそろえることが出来るだろうが、それでもどこまで彼らに太刀打ちすることが出来るだろうか。私はこの目で火星人が我々の打ち立てた建物を破壊し、人間を殺戮する様を見た。私は地球に帰ってそのことを報告するべきだろう。それから何が起こるかは私には分からない。きっと火星人と戦争が起こるのだろう。地球は彼らに滅ぼされてしまうのだろうか。私の心には憂鬱の影が拡がっていった。
迂闊なことだった。彼らのテリトリーを人間が侵した故のことである。テリトリーの侵犯が問題なのだからそこから立ち去れば問題は解決するのだろうか。追い出されるだけならばまだ問題はないが、それ以上のことを彼らがやってくるのだろうか。彼らにも知性が備わっているのならば交渉に持ち込む余地はあるだろうか。彼らは追ってきており、しかも攻撃を仕掛けてきている。ならば彼らの意志は人類を殲滅することに向いている可能性が高いだろう。彼らの性格はかなり凶暴なのかもしれない。
私はため息をついた。私の正面には太陽が、左右方向には無限にも近いような宇宙空間が広がっていた。遠くの方に銀河星雲があるのが見えたような気がしたが、遠すぎて細部までは分からなかった。どこかの銀河では私たちと同じように生命体が繁栄しているのかもしれない。だが、今後の人生でも彼らを観察することはないことの方が確率が高そうだった。
それはともかく火星人である。人類と最初の宇宙人とのファースト・コンタクトがこのような形に終わるとは心外に思う人もいるかもしれない。火星行を決めた科学者たちは地球以外には生命体はいないと踏んでいたのだろうが、とんだ裏目となった。火星人との平和的交渉をどのように行うのかが今後の課題になるだろう。と言っても、この状況では火星人がどのような言語を操るのかすらも分からないままなのだが。
そう考えると先ほど考えた月でのフライバイ計画は変更の余地があるのかもしれない。むしろ無線が通じるのを待って応援を要請し、可能な限り平和的な方法で捕虜にするというのが最善の策かもしれない。だが無線機は未だ通じず、私の苛立ちは増して行った。
しかし無線が通じにくくなっている理由もよくわからないままだった。火星と地球の間で無線通信を行う技術はもちろん確立されているのだが、何が電波を妨害しているのか分からなかった。火星人の追っ手がそのような電波を放っているのだろうか。断言はできないが可能性がありそうだ。だがもしそうだとすれば彼らを撃破しなければ地球と通信がとれないということになる。かなり厄介な問題だった。
視界のまっすぐ正面には太陽が見える。宇宙船にはGPSが備えつけられているが、太陽もこの宇宙空間ではポラリスの役目を果たす。幸運にも火星から見て地球は太陽の手前を公転している時期だった。
GPSの電波は機能しているが、無線の方は相変わらずだった。だとすれば火星人が妨害電波を発している可能性は低いかもしれない。特有の周波数、あるいは宇宙磁気嵐が原因と言う可能性もあるが。仕方がないので私は双方向通信をやめ、こちらから一方的に地球へと救難信号を送ることにした。万が一の時のために全ての宇宙船に備え付けられている昨日だ。この装置のスイッチを入れると、一定の内容の信号を地球へと発信することになっている。上手くいけば救援が来ることだろう。上手くいけばの話だが。
感覚的に言って火星と地球の中間地点あたりかもしれない。まだ火星人の乗った機体は追いかけてくる。執念深い奴らだ。本当に地球までついてくるかもしれない。今は機関銃の掃射攻撃も行ってこない。きっと彼らも様子を伺っているのだろう。火星語が分かるわけではないが、きっと彼らも何かを話しているはずだ。火星人の襲撃に私が遭遇したときも、彼らは身体的特徴の違いはあれど、一定のパターン、統率のとれた行動をとっているように見えた。彼らの圧倒的な力やその残虐な行いはあるいは本能的な怪物を想像させるかもしれないが、彼らは確実に「狙って」攻撃を仕掛けていたように見えた。
それに彼らを操るリーダーのような存在がいたというのも事実である。戦地での司令官のような役割を果たしているのだろう。そう言った点からしてみても、彼らが人間並みの知性を持った生命体であることが伺えるだろう。だとすれば彼らは何を考え、次に何を仕掛けてくるのだろうか。一つはこのまま地球まで追いかけてくるということ。それは彼らが私たちの出所を知らないということが前提にありそうな気がするが。彼らは私がどこへ向かっているのかを突き止め、そしてその後に攻撃の計画を練るはずである。だとすれば彼らにとっても今回の事件は自分たち以外の宇宙生命体との初遭遇だったということだろう。そしてこのまま私を泳がせ地球までたどり着いたところで殺すか何かするのだろう。二つ目。彼らはまだ私の宇宙船を撃墜するつもりでいる。恐らく私と同じようにスイングバイするところを探していて、挟み撃ちにでもするのだろう。あくまでも予想なので万が一と言うこともあり得るが。
地球からの救援が無かった場合、地表に到達するまで逃げきらなければならないのだろう。どこに到達するのかは今のところ未知数だが、アメリカ大陸の都市に近いところがもっとも無難かもしれない。それからどうなるかは分からないが、地球にいる軍隊が出動することになるのかもしれない。そうなれば、追いかけてきた火星人を撃退することが出来るかもしれない。このまま無線が通じることが無ければ地表を目指して飛び続けるしかない。
地球と火星の間を結ぶ管制所は国際連合の常任理事国に所在している。常任理事国はアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの五か国だ。そして宇宙船の発着空港はこの五か国の他に、北米、南米、ユーラシア、アフリカ、オーストラリアなどの大陸ごとに二か所ずつ建造されている。第二次大戦後の宇宙開発は常任理事国が主導で行ったためこのような配置になっているようだ。常任理事国以外にも空港ごとに小規模の管制所があるが、緊急対応は行ってはいないということになっている。
軍隊の大きさからしてアメリカに着陸するのがいいのかもしれない。世界で最も大きな軍隊を持つのはこの国だけだ。あと私はロシア語が分からないという理由もある。時刻は協定世界時で午前八時三十七分を示していた。ちょうどイギリスが朝を迎えたところだ。なのでアメリカ大陸は日の出の直前かそのくらいの時刻だろう。このご時世に世界時計を搭載していないというのは納得がいかなかったが、操縦席からは確認のしようがないのだから仕方がない。
時間的に言ってちょうどいい頃合だろう。アメリカ大陸に太陽の光が照っている間には到着できるだろう。とにかく大急ぎで地球へ帰還するしかないのだった。地球との通信は断絶されたままで回復の見込みはない。この機体の火力では追っ手を撃墜できるかどうかも怪しい。幸いスピードは出る。ならば選択肢は多くは無い。エンジンの出力を上げ、地球へと一目散だ。
火星から脱出するときに目の前にあった小型運搬用機体だった。原子力エンジンの調子もそれほど悪くはない。順調に機体を地球へと進めて行ってくれている。推進力は明らかに後続の機体より勝っている。これなら逃げきれそうだ。
無音の暗黒。真空の空間。後方から銃弾が飛んでくるかどうかを知るのもセンサー頼みだった。後方から小型の宇宙船が追ってくるのは映像として目に入ってくるのだが、音や空気の感覚が無いため、それがどこかミニチュアであるかのような錯覚に陥る。それでも飛んでくる銃弾は本物で、すぐ脇をそれた銃弾が小惑星にぶつかり爆発するのが見えた。
どうやら少し諦めたのか、様子を伺っているのか、銃撃は治まった。だが黙って私の乗った機体についてくる宇宙船はどこか不気味だ。火星人があれを運転しているのかと思うとさらに不気味だった。二足歩行の火星人はこの目で見たので、恐らくあのタイプの火星人が操縦しているのだろう。火星人には二足歩行と四足歩行の個体がいた。果たしてあれらが同じ種と考えていいのかは分からなかったが、両者が行動を共にしていたのは確かだった。種が違うが言葉が通じるのだろうか。地球には例を見ないことだった。異なる種族間で意思疎通が出来る生物なんて地球にはいない。やはり火星の文明は地球とは異なる進化の歴史を辿ったのだろう。人間は火星の言語を理解することが出来るだろうか。これから地球と火星の接触が増えることが予想されるなか、そのことが大きな気がかりとなった。もし言語が通じ、互いに意思疎通を図ることが出来たならば、火星と地球の戦争は回避できるかもしれないという、一抹の望みが私の心に浮かんだ。あるいはそれだけが戦争を防ぐための、たった一つの方法なのかもしれない。
火星人は地球人よりも体が大きい。いわば恐竜のような種族だ。人間が肉体の非力さを補うために武器を開発することを選んだとするならば、火星人は自らの肉体を巨大化することだけを目指したのだろう。だが、その身体は鉄にも匹敵する硬さを誇り、彼らの尾の一振りは宇宙船の鉄板を切り裂くほどだった。
人間が生身で戦っては勝ち目がないだろう。だが、人間の作り出した武器がどこまで火星人に効果があるのかは未知数だった。
主戦場が地球になることは避けたかった。核兵器を使うことが出来なくなるからだ。だが火星だからと言って好き放題に核兵器を使って放射能汚染をしてもいいかというのは、おそらく別問題だろう。だがそれは言葉が通じなかった場合の最後の手段だ。まずは火星人の話す言語を解読するところから始まるだろう。圧倒的にサンプルが足りないという事実は否めないのだが。
未知の言語を理解するにはまずはデータからだ。いくつかのコミュニケーションのパターンをサンプルして文法を割り出す。サンプルは多い方がいいだろう。母数が多い方が文法の解明がはかどることは確かだろう。そして地球の言語との対照表を作りだす。これはいわゆる辞書と言うものだ。火星語の辞書が誕生するところまで行けばおそらくこちらのものだろう。問題はどうやってサンプルを集めるかだ。追いかけて来ている火星人を生け捕りに出来ればそれも可能性はあるかもしれないが、あるいは……。
プランB。操縦桿を握っている状態ではなかなか思いつかなかった。地球に戻れば、機体に備えつけられた電磁パルス機を使用することが出来る。それを使えば火星人の乗った宇宙船を無力化することも可能だろう。だが、航空基地に与える影響も考慮しなければならない。どこに着陸するべきか? 基地への影響が少なく、かつ人の助けが及びやすいところ。海岸線などだろうか。浜辺近くなら人が居るだろう。具体的にどこにすべきか? は答えが出せそうになかった。ある意味ではどこでもいいのだ。
月でのスイングバイ計画は変更になった。なるべく火星人を地球まで引きつけ、おびき寄せ、電磁パルス装置を使って生け捕りにする作戦だ。寄り道をせず、大気圏を突き抜け一気に地球までゴー、だ。
まだ地球は見えない。だが計算ではあと一時間くらいだ。私は操縦桿の燃料噴射トリガーに掛かった指に力を入れた。機体の速度があがる。計器は時速三○○万キロから三四○万キロまで上がった。バックモニターから見る後続の機体の姿が小さくなった。速度が十分に出れば、それ以上は燃料を使うようなことはしなくてもよかった。無重力の空間では一度推進力が出れば物体はそのまま進んでいく。方向転換や減速、その他制御動作をするために噴射をし、燃料を消費していく。過去の乗り物からは考えられないほどの燃費効率の良さとも思えるが、速度が出ると、減速のための燃料の消費が大きくなるため、夢のような装置とは言えないだろう。残念なことだが。速度が大きくなれば反作用的に減速する力も大きくなるというのは宇宙空間でも変わりがないようだ。
あとどれだけ。あとどれだけ宇宙人との鬼ごっこが続くのだろうか。感じる時間は一秒が一瞬にも一時間にも感じた。じれったいとはまさにこのことだろう。相対性理論よろしく、私の感じる一分は観測者の一秒かもしれない。早く地球に到着して全ての機械を無力化する電磁波兵器を作動させるべきだ。そんな考えで私の頭の中はいっぱいになった。
じれったさに耐えながら操縦桿を握っていると、青い地球の姿が見えてきた。宇宙空間から見ると未だに青い惑星なのだが、人口の増加と、環境の悪化によって人間が住むには難しい星になってしまっている。世界大戦が起こったのは今から五年前くらいのことでそう遠い過去の話ではない。人口の増加と資源の奪い合い。最悪の戦争だ。この戦争で相当数の人類が死んだと言われているが、死んだのは人間だけでは無かった。地球の生態系は変動し、食物連鎖のサイクルは崩壊の危機に瀕していた。微生物や昆虫が勢力を伸ばし、哺乳類の姿はほとんど見られないという状況だった。環境に適応するためか昆虫食が一時期の間流行っていたが、それも長続きはしなかった。さらに運が悪いのは気候までもが変動し、人間お得意の養殖が功を奏しなかったということである。
人類が火星に居住地を移し始めた背景にはこんな事情がある。だがそれも今回の事件ですべて頓挫してしまうことだろう。火星人との和解が生じない限り再開の道は開かれないだろう。再び宇宙空間の中での人類の居場所は地球だけになった。それも以前のような自然に満ちた青い惑星ではなく、崩壊の危機に瀕した病気の惑星だ。人類の未来は再び暗黒に包まれることになった。
クラークがそう考えているうちに、機体は大気圏に突入していた。空気摩擦で機体が赤く焼けている部分がある。燃えているのは恐らく表面塗装の部分だけだろうから機体が落ちるような心配はしなくてもよさそうだが。
急いでエンジンを逆噴射させる。それは急激な逆噴射ではなく、かなり緩い出力の逆噴射だ。宇宙から帰って来た機体はかなりの速度がついているので、この機能を利用して機体の速度を下げていかなければならない。そうしなければ機体が火の玉になるか地面に激突するかのどちらかだろう。
やはり後続の機体もついてきている。私と同様にして、二機の宇宙船が地球の大気圏内に突入したようだった。ちょうどその時、いきなり無線機の電源がオンになった。耳障りなハウリング音を鳴らした後で、地球からの無線信号がこの機体にも届くようになった。
「こちら地球、アトランタ基地。そちらの状況を知りたい」
無線機からはそんな声が流れた。
「繰り返す。こちら地球のアトランタ基地。速やかにそちらの機体の状況を教えて欲しい。繰り返す。こちらアトランタ――」
クラークは落としていた送信側無線機の電源をオンにした。
「こちらスターゲイザー三号。状況は……二基の宇宙船に追いかけられている。繰り返す、二基の宇宙船に追われている。奴らは火星から地球まで追いかけてきた」
しばらくの間マイクから電気ノイズの音が聞こえてきた。アトランタにある基地からの返事は意外に早い物だった。
「こちらアトランタ――状況は把握した。そちらの機体の位置はこちらで把握している。すぐに救援を送る。繰り返す、救援を送る」
「了解」
クラークがマイクに向かってそう答えると、受信側マイクからザッという通信ノイズが聞こえた。クラークはそれ以上は何も喋らなかった。コンパスの座標をアトランタに設定してから、機体を制御することに集中した。空から見るアメリカ大陸の形は地図で見るものとそのほとんど全てが同じ形をしているように思えた。まったく、人間の技術の正確さは大したものである。海岸線の曲線の細部までが正確に地図に反映されているようだった。
不時着するまで操縦桿を握り続けていた。窓からは空気摩擦で機体の表面が赤く焼けているのが見えた。徐々に徐々に地上が近くなっていく。青や緑の平面にしか見えていなかったものが徐々に輪郭を表し、海面や森の姿になっていく。地球は青い星だと言われたのは何年ほど前だっただろうか。今では誰も覚えていないだろう。あのころからいくらかの環境の変化はあるにしてもまだ海の青さは保っている。変わったのは少し砂漠化が進んだことだろう。技術の発達が間に合ったおかげで、地球の食料が完全に尽きてしまう前に人類は宇宙へ旅立つことが出来た。だがその本質は疎開のようなものだろう。宇宙へ行くことを望むものもいれば、嫌がる者も当然いた。火星は流刑地だということを言った人間もいた。実際のところ、火星に食料など無いのだから的を射た言葉に違いないのだが。
そうこうしているうちに、地面が見えてきた。正面からは地球の応援部隊がこちらに近づいてくるのが見える。戦闘機が四機。迎撃するには十分だろうか。地上に向かう私の機体の横を四機の戦闘機が通り過ぎて行った。後方では戦闘が始まることだろう。私は何も考えずに地上に向かうことにした。
不時着して機体から抜け出し上空を見上げると、先ほど脇を通りすぎた地球の戦闘機と私を追ってきた火星からの宇宙船が空中戦を繰り広げていたが、やがて地球側の機体が相手機の主翼を射撃することに成功し、火星人が乗っているだろうと思われる機体は翼から煙を出しながら飛行不能になり地上へと落ちて行った。そこまでを見届けて私はほっと胸をなで下ろした。
それから私は機体が墜落した地点まで行ってみることにした。この目でもう一度火星人の姿を確認したいと思ったからだ。上空を見ると、地球の応援部隊も墜落地点へと向かって行っているようだった。
墜落地点は徒歩で行くとなると少々遠い距離にあるように感じたが、なんとか到着することが出来た。応援部隊は既に到着していて、墜落した宇宙船のハッチを開く準備を進めていた。搭乗している火星人が武装している可能性もあるため彼らの行動は慎重だった。彼らは片手に銃を携えて、宇宙船のハッチを開けようとしていた。小型の宇宙船なのでコックピットの窓ガラスから中の様子が見え、そこには宇宙服を着た人間が気絶しうな垂れて座っているように見えた。地球の隊員たちはアイコンタクトをし、頷きあってから、いよいよハッチを開けた。ハッチの隙間にバールのようなものを突き刺してからこじ開けると、プシュと空気が入る音がした。それから隊員たちはハッチをすべて取り除き、機体の中からパイロットの身体を引っ張りだした。引っ張り出されるパイロットの身体には力が入っておらず、腕はだらりと垂れ下がった。そのままパイロットは草の生えた地面の上に寝かされた。
それから隊員たちはパイロットのヘルメットを外すことにした。彼らは安全確認のためにそれぞれお互いに目配せをして頷きあった。隊員の一人がパイロットの頭部に手を掛けゆっくりとヘルメットを取り外した。
次の瞬間に目に入ってきた光景を見てクラークは言葉を失った。ヘルメットの中には黒い粉末状の物質が詰まっていて、パイロットの首元からはその物質が砂のように流れ落ちていた。周囲にいた隊員たちもわけが分からないと言った表情だった。
つまり人間の形をした服を着て、人間の形をして宇宙船の座席に座っていたのに、その中に詰まっていたのは生物かどうかも怪しい物体だったのである。クラークは不思議に思った。こんな物質が意思を持って行動するのであろうかと。自分の意思で私を追ってここまでやって来たというのか?
だがそのクラークの疑問は間もなく打ち破られることになった。クラークたちが状況を把握しようと苦心していると、風が吹いているわけでもないのにその黒い粉末状の物質が突然舞い上がり、隊員の一人を包み込んだ。
クラークたちはあっけにとられてその光景を眺めていたが、黒い塊の中からはひどい断末魔の声が聞こえてきた。運悪くヘルメットを外し一番近くにいた隊員は、まるで黒い砂嵐に包まれているようだった。何もすることが出来ずにその光景を眺めていると、やがて隊員の悲鳴は止み、黒い砂嵐のようなものも隊員の身体から離れた。残されたのは骨だけになった隊員の姿で地面には真っ赤な血だまりが拡がっていた。
焦った隊員の一人が空中に浮かぶ黒い物体に対してアサルトライフルを発砲したが、弾丸は貫通し黒い物体の向こう側へと飛んで行ってしまった。一見すると砂粒のようなのであるが、空中に浮かぶそれはまるで意思を持っているかのように統率のとれた動きをした。やがてパイロットの服の中からすべての物質が抜け出し、それらは空中で人のような形をとってこちらの方を見ていた。
目や鼻が無いので見ていたといういい方は正確ではないかもしれない。だが、黒い謎の物質は空中を漂い、一定の規則によって集合し、まとまりのある形態を作り上げていた。そしてその形態は確実にクラークたちの方を「向いて」いた。
その形は紛れもなく人間のものだった。銃が効かないということを悟った隊員は発砲するのをやめた。無言のままクラークら隊員たちと黒い砂粒のようなものの集合体は向き合っていた。攻撃されるかと隊員たちは身構えていたが、やがてその集合体は風に吹かれるようにして形態を崩し、空中へと飛び去って行ってしまった。
隊員たちはほっとして溜飲を下げた。隊員の一人がすぐに地球の宇宙政策本部へと連絡を入れた。その話によるとクラークたちは異星生命体との接触を果たしたということである。クラークを追ってきた火星人なのであるが、とんだ生態系を持っているようだった。
任務を終えたクラークと隊員たちはそのまま基地へと帰投した。それから火星人が再び地球にやってくるまでにそう長い時間はかからなかった。それまで、火星人が再び地球までやってくるまでの半年の間、クラークは眠れない夜を過ごしていた。いつか火星人が地球を滅ぼしにやってくるだろうという、妄想とも現実とも言いかねる思いに囚われ続けた。火星人がやってきて空が彼らの宇宙船が埋め尽くされた時、世界の終焉が現実味を帯びたと共に、クラークは不謹慎だがどこか救われたような気持になった。たとえいかなることが起こったことがとしてもこれ以上あの妄想に苛まれることはないと確信したからだ。
その日からずっと火星人との戦争は続いている。地球の命運が決せられるのはいつになるだろうか。
スターゲイザー3号 とんかち式 @foolofchiletake
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