最終話

 賢吾はシェーカーの栓を開け、ホワイトレディをグラスにすり切りいっぱい注いだ。

「わあ、サンキュー」マキは笑ったあと、上目遣いに悪戯っぽく賢吾を睨んだ。「何か入れたり、してないよねぇ?」

「そこまでしないよ」

 瞳のグラスが空だった。

「同じので、いい?」

「うん」瞳は、遠くに映っているビデオモニターに、わざとらしく目をやった。

 ……こいつは、オレと寝たことをどう思っているのか?

 トールグラスとウオッカとジンジャーエールを用意しながら、賢吾は、瞳の横顔に目をやる。

 気に入った女に、そっぽを向かれるのは、いやなもんだな。……気に入った? バカなことを考えるな。ひとりの女と二度寝るほど、オレはダサくねぇ。

「……さん、兄さん。おかわり頼むよ」

 カウンターの端で、年配の客が空のショットグラスを振っていた。

 賢吾は飛んで行き、手の脂で曇ったショットグラスを受け取った。小さな流しの底にそれを置き、後ろの棚から新しいショットグラスを取り、グレンフィディックを注いだ。

 背広にネクタイというその年配客は、連れの女にぞっこんで、見ている方が恥ずかしくなるくらい顔が緩んでいた。女はそれをいいことに、五分に一回はすねて見せ、その度に男は、悲しそうな目をしてなだめにかかるのだった。

 こうなったら男は終わりだ、と賢吾は思う。

 マキたちの前に戻ると、瞳はトイレに立ったらしく、姿がなかった。さっき作ったばかりの彼女のモスコミュールは、いきなり半分に減っていた。

 ……何かあったのか?

 マキは頬をへこませてタバコを長く吸い、ため息とともに煙を吐き出した。「あの娘と、寝たでしょ」

 団子っ鼻からも煙が出ていた。

 賢吾は取り合わず、話題を変えた。「二人で、何話してたの?」

 マキは深追いしなかった。「え? ……いろいろ」

 賢吾はホッとする。マキの方も、今決着をつける気はないのだ。

「二人で来たからびっくりした?」マキは言った。

「店じゃ仲いいように見えなかったから」

「今日、初めて誘ったんだもん」

「二人でオレを吊るし上げるためか?」賢吾は冗談めかして言った。

「じゃあ、やっぱり寝たのね」

「おかわりは?」賢吾は、マキのカクテルグラスを指した。特製をもう一杯。早く酔っぱらっちまえ。

「ひょっとして、飲ませるのうまい?」マキは自分のグラスを守るように引き寄せた。

「弱い相手にはすすめないよ」……瞳だけ置いて早く帰れ。

 ウエイターからオーダーが入り、それを片付けている間に、瞳が戻った。冷蔵庫にオレンジとレモンを取りに行き、戻ってみると、二人とも消えていた。カウンターの上には、コースターと灰皿と水のグラスだけがあった。店内を探すと、壁際のジュークボックス近くのテーブル席に、二人は戻っていた。丸テーブルに、飲み物を直接置き、二人は九十度の角度で並んで座っていた。逆光で、二人の表情はわからなかった。

 ……オレが二股かけてたことが噂になれば、店の女を落としづらくなるな……。

 賢吾は二人が残していったものを手早く片付けた。空グラスが流しに溜まっていたので、それらをまとめて洗った。

 さっきマキは、「あの娘と寝たでしょ」と聞いた。ということは、まだ確信はしていないということだ。

 二人の席をうかがうと、落ち着きのなかったマキの体が、じっと止まっていた。代わって、瞳の方が、しきりと自分の前髪をいじっていた。


「どお? 見たでしょ?」マキは言った。

 瞳は、前髪をいじりながらうなずいた。

「気をつけたほうがいいよ」マキは続けた。「あいつ、飲ませんのだけはうまいからさ」

 瞳は、大きな目を寄り目にして、枝毛を調べている。

 マキが話題を変えようとすると、

「あのさ……」

 瞳は、はっきりした声で言った。

「……さっきから言おうと思ってたんだけど」瞳の両手が前髪から離れ、膝の上に乗った。

「何?」

「実は、私も一回だけ、アイツと寝たの」瞳ははっきり言った。「さっきから言おう言おうと思ってたんだけど、きっかけがなくってさ、ゴメンね」

「そうか……」マキはタバコの煙を天井に向けて吐き出した。「まあ、そんな気がしてたんだ」

 瞳は、マキの表情をちらちらとうかがった。マキも、タバコを灰皿に押しつけて消しながら、瞳の顔をチラチラと見た。だが、互いにタイミングがずれて、視線は合わなかった。

「どうする?」マキが言った。

「どうする、って?」

 二人はしばらく黙った。

「瞳がよければ、進呈するけど?」

「とんでもない。マキ、どうぞ」

「え? ……私はいいよ」

「冗談でしょ、私だって」

 二人は目を見合わせた。一呼吸おいて、同時に笑い始めた。

 二人は三十分ほどたわいのない話をしてから席を立った。店を出る時、賢吾はカウンターの中で、プロらしい手つきでシェーカーを振っていた。会計に行く二人に気づき、爽やかな笑顔で送った。シェーカーを振る手は止めなかった。


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カクテルグラスと最後っ屁 ブリモヤシ @burimoyashi

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