八 仕事の後においしいお好み焼き


 ある日、俺は古城戸と広島の呉にある研究所に新幹線で向かっていた。

 東京から広島までは新幹線でも三時間四十分程度かかる。『ドア』で行きたかったが緊急時以外は基本使わないから面倒だが新幹線だ。長時間暇なので、隣の古城戸に思い出したことを聞いてみた。


「なぁ、望天吼ぼうてんこうって知ってるか?」

望天吼ぼうてんこう? 確か中国の妖怪ね。私もよくは知らないけど、龍が餌、とかいうとんでもない怪物で空の遥か上に棲んでいるとか」

「そういう奴なのか。ありがとう。モヤモヤしてたんだ」

「どうしてそんなこと?」


 古城戸が首を捻って聞いてくる。


「潜行するとき、後ろを振り向くな、と誰かから聞いた気がしてな。後ろに望天吼ぼうてんこうがいるからとかなんとか」


 古城戸の反応は薄い。


「ふぅん。童謡なんかであったかしら? 私はそんなの聞いたことないわね。言われてみれば、後ろを振り返ったことはなかったかも。そんなことを聞いたら振り返れないじゃない」


 一度振り返ってみたい気もするが、龍を餌のように食う奴ということなら止めたほうがいいだろう。

 やや不機嫌になった古城戸は鞄からイヤホンを取り出して耳につけると窓に寄りかかって寝てしまった。古城戸が何を聞いているのか聞いたら「Blood Bound」とか「Judas Priest」と言っていた。気になって調べてみたら、バリバリのメタルバンドだ。バイクといい、まったくもってこいつの趣味が男臭い。

 新幹線で暇なので、試しにAmazon Musicで購入して聞いてみたら糞カッコよくて驚いた。


 広島で新幹線を降り、そこからJR呉線に乗る。


「呉ってもっと広島に近いと思っていたが、広島から四十分もかかるのか」


 車内は学生が中心で、わりと閑散としている。俺も古城戸も座席に座っているが、まだ車内は空いていた。


「結構遠いのよ。東京を出てからもう四時間か。お昼になっちゃったわね」

「研究所は呉から近いのか?」


 古城戸は頷く。


「うん。呉からはバスで少しね」

「まだ乗り換えか。研究所にいるのはなんなんだ?」


 古城戸は言うのを少し迷った様子だったが口を開いた。


「No.001」


 ナンバー呼びをした理由はおそらく名前を言ってはいけない気がしたのだろう。

 俺は太歳タイソエイの研究報告を思い出し身震いする。顔を見たら死ぬ。古城戸の兄を殺した魔物。


「超怖いんですけど。何をするつもりなんだ?」


 古城戸は口角を上げて不敵な笑み。


「由井薗君とトークショー」


 呉駅の前には大きなショッピングモールがあり、かつての大戦で使われた戦艦大和のミュージアムもすぐ近くにあるようだった。

 古城戸は駅を出てバス乗り場に向かうと空を指さす。


「トンビが飛んでる」


 俺も見上げると大きなトンビが川沿いの低空を飛んでいるようだった。


「田舎じゃ当たり前だぞ」

「呉ってもっと都会かと思ってた」

「すっかり東京に毒されているな。あそこが異常なだけだぞ」

「そうかも」


 そう言って古城戸は微かに笑みを浮かべる。


 呉から少し離れたところにある研究施設に到着した俺と古城戸は研究員と話をする。研究員の新実は四十歳程度の男で、この研究所のリーダーとのことだった。明朗な話し方をする人物で頼れる先輩という風格がある。


「お二人ともご存じとは思いますが、No.001の顔を見てはいけません。なので壁越しでの会話となります」

「報告資料には、会話は成立しないとありましたが」


 俺が訊ねると新実は二度頷く。


「ええ。基本的にはそうですが、過去古城戸さんとは多少ながらまともな話をした実績があります」


 そう言われて俺は思わず古城戸を振り返る。


「あれがまとも? 私は今日は話さないからね」


 古城戸は眉を顰める。新実はやや残念そうにため息を一つ落とす。


「古城戸さんが話してくれるなら多少は研究も進む可能性があるのですが。由井薗さんもパーグアだと聞いています。もしかしたらNo.001も何らかの反応を示すかもしれません」


 新実は小さなミーティングスペースに俺たちを案内した。


「No.001については資料を読まれたと思いますが、一応念を押しておきます。No.001をカメラなどで撮影はしないでください」


 俺は頷く。


「写真やビデオでも影響があるらしいですね?」


 新実は重く頷く。


「そうです。記録された媒体は資料として存在はしていますが、ネットワークからは隔離されていますし、絶対に閲覧禁止です。絶対流出してはいけませんから」

「インターネットに出てしまったら人類が壊滅的な打撃を受けるでしょうね」

「ええ。現代医学においては昏睡からの回復手段はありません。No.003に願っても一年後なので、間に合わないでしょう」


 No.003、虚王キョオウならば昏睡からの回復は可能だろう。だが、No.001の昏睡は三ヶ月から長くても一年だ。事前に願わない限り虚王キョオウでは間に合わない。新実はリーダークラスなだけあって、他のナンバーについても知っているようだった。


「新実さんは他のナンバーについてどれくらいご存じなのですか?」

「私も実のところ、半分程度しか知りません。が、その中でもNo.011は非常に興味深い個体でした」

「ほうほう。差し障り無い範囲で結構ですので教えてもらえませんか?」


 新実は一つ咳払いをする。ちらりと古城戸を見た。古城戸がいるから話してもいいか、と判断したようだ。


「No.011は簡潔にいうと人に悪夢を見せます。それはもう恐ろしい、二度と見たいとは思わないような夢です」

「悪夢を見せるだけですか?」

「そうです。人によって内容は異なるのですが、その人物についてはユニークとなり、他の夢を見ることはありません」

「同じ悪夢を繰り返し見る、ということでしょうか」


 新実は頷く。


「簡単にいうと、そういうことになります。この夢をおおよそ七回見ると恐怖のあまり発狂してしまうのです」

「なるほど夢から攻撃をしかけるタイプということですね」

「攻撃かどうかはわかりませんけどね」

「孟婆っていうのよ」


 古城戸が口を挟む。


「モウバ?」

「閻魔大王に仕える人物で、本来の伝承だと死んだ人物にお茶を飲ませて、そのお茶を飲むと生前の記憶がリセットされ、無垢な魂となって輪廻する、ってことなんだけど」

「伝承と違うんじゃないか?」

「生前に罪があると輪廻できず、地獄で罪を償うのよ。孟婆モウバが見せているのは死後地獄で償うことになる様子だと思うの」


 俺は驚く。


「そもそも地獄というものがあるのか?」

「世界にはいろいろな宗教があるけど、どの宗教にも地獄観があるでしょう? つまり私はあるんだと思う。 地獄といえば、十四世紀にダンテが書いた『神曲』が有名だけど、ダンテは孟婆モウバの悪夢を見たんだわ。それで地獄を知ってるのよ」


 ダンテの『神曲』は全部で三部構成になっていて、三十四、三十三、三十三歌の合計百歌で構成された詩だ。それらは、ダンテが地獄、煉獄、天国を巡る話で、地獄観を当時のヨーロッパに定着させた貴重な文学だったと記憶している。


「さすが古城戸さんはお詳しい。No.011についてはこれくらいにしておきましょう。私の管轄でもないのでめったなことは言えません」

「すいません、今日の目的から脱線してしまいました。No.001の話でしたね」


 俺は謝っておく。新実は特に気を悪くした様子はない。随分寛容な人物のようだ。


「これから入っていただく部屋は、マイクとスピーカーがついていて、そこからNo.001と話ができるようになっています。なので顔を見る心配はありません」


 新実はそういうと、立ち上がってNo.001の部屋まで案内をするからついて来いと言った。人感センサーでLEDの照明がつく廊下を歩きながら俺は胸の中に違和感。

 先ほどから、気配がする。八卦を感じる。この因果は何だ?

 俺は足を止める。古城戸が気づいたようで俺に振り向く。


「どうしたの?」

「八卦を感じる。だがこれは何だ?」

「パーグアがいるの?」


 可能性があるとすればNo.001だ。そいつがパーグアか、それに近い性質を持っている。


「おそらくNo.001だと思う」


 新実はいたく興奮した様子で周囲の研究員に指示を飛ばす。


「レコーダーを用意だ! No.001がパーグアかもしれないとのことだ!」


 すぐに新実は俺に食いつくように質問をしてきた。


「由井薗さんは近くのパーグアがわかるのですね? それはすごい!」

「ちょっと待ってくださいね。すごくわかりずらい因果なんです」


 俺は目を瞑り、心を静め睡眠に近い状態になる。因果が沸き起こる。これは、『沢風大過ジーフェンダ』だ。


「『沢風大過ジーフェンダ』」


 俺はそう一言発し、古城戸を見た。


「凶の暗示。人とは言い争いになり、疲労困憊、面倒ごとまでのしかかる、ね。何ができそう?」


 俺はもう一度目を瞑り、因果に触れてみる。


「ろくでもないな。触れるのも嫌になる。今日一日がそいつの人生最悪の運勢になる」

「由井薗君でその程度なら、本体はもっとキツいのよね?」

「顔を見たら死ぬのは、その究極かもしれない。出会ったが最後ってやつだな。しかしこれが八卦の力だというなら、石橋なら顔を見られるかもしれないぞ」


 太歳タイソエイは、『沢風大過ジーフェンダ』の因果、すなわち究極の凶の塊でできた魔物だということだ。太歳タイソエイの力がどういうものかがわかることで研究所は慌ただしくなった。俺たちは邪魔なのかもしれない。


「出会ったが最後ってそういう意味だっけ? 石橋君を呼ぶ? でももし影響を受けたら死んじゃうのよ?」

「確かにそうだな。そこまでして顔を見るチャレンジをしなくてもいいだろう。それにあいつは魔物のことも知らないんだろう? しょうがない、俺が話だけでもしてみるか」

「でも意外ね。劣化コピーだっていつも嘆いているけど、こんな使い方ができるなんて」


 古城戸が珍しく俺を褒めた。ちょっと嬉しいかもしれない。


「思わぬ副産物だったな。むしろこっちのほうが使えるのかもしれない」


 そういうと古城戸は珍しく声を出して笑った。俺も釣られて笑ってしまう。


「虚王も同じように会えば因果がわかるなら、虚王キョオウの願いを叶えるデメリットのヒントが得られるかもしれないわよ」


 古城戸はそんなことを言った。確かにそうだ。虚王キョオウはどんな願いも叶えるが、デメリットがいまだわかっていない。今のまま使い続けるのは非常にリスクがあることなのだ。虚王キョオウのデメリットを知ることは俺たちにとって重要なことでもある。


「そうだな。今度会ってみるか」


 虚王キョオウの話になったが、今は太歳タイソエイだ。目的の部屋についた。俺が案内されたのは小さい小部屋で窓もなく、中央にマイクとスピーカーに小さな椅子があるだけだ。太歳タイソエイと話をするためだけの小部屋のようだ。教会の懺悔を聞く神父のようだと頭に過る。研究員は部屋から出て、別の部屋で音声を聞いているらしい。古城戸もそっちに行ったようだ。よし、いっちょノリノリでやってみるか。俺はマイクの前に座る。


「あー、あー、迷える子羊よ。汝の罪を告白しなさい」


 俺がそうマイクに話してから数秒。果たして反応はあるのか。


「あんなことを書くんじゃなかった」


 スピーカーから聞こえたのは太歳タイソエイの声か。意外といい声で緊張する。しかも罪の告白を始めやがった。


「どのようなことを書いたのですか?」


 俺がそう尋ね返す。また数秒の間が空く。


「何も書いちゃいない。ただ急いでいたんだ」


 つい先ほど書いたと言っていたのにどういうことだ? 俺は混乱する。


「何を急いでいたのですか?」


 また数秒の間。


「急げばよかった。俺は動けなかった」


 またか。まったく会話が噛み合わないし自分で発言したことを即否定する。しかし何か糸口があるかもしれない。俺は根気よく質問を続けていく。

 しかし、依然として意味がわからず全くつながりも見えなかった。

 そして、四十九回目の質問。


「どうしてもっと早く病院にいかなかったんですか?」

「病気なんかじゃない。俺は書いて気持ちを伝えたかった」


 五十回目。


「どんな気持ちを伝えたかったんです?」

「伝えたい気持ちなどあるか。遅刻が気になっていたんだ」


 五十一回目。


「どこに遅刻しそうだったんですか?」

「遅刻? 俺は家にいたよ。まさかあそこまで損しているとは思わなかったんだ」


 ここで俺はようやく気付いた。一度部屋を出て、新実と古城戸を呼ぶ。

 間もなく新実と古城戸が来て、「何かわかったの?」と言った。


「ああ。思ったより単純だ。あれには四十八人の不幸が詰まっていて、順番にしゃべっている。だから噛み合わない」


 新実は電撃に打たれたように飛び出し、研究員に先ほど会話を文字に起こさせる。


「なるほどなるほど! 最初の不幸というのは、気持ちを伝えるために、何かを書いた

人の話なんだね? で、次が遅刻が気になって急いでいた人、その次が家で株でもしていた人かな?」


 俺は頷く。


「そんなところです。四十八の不幸が固定ということはないと思います。たった四十八人分じゃ魔物というには少なすぎますからね」

「なんて辛気臭い奴なのかしら。きっと顔も相当辛気臭いに違いないわ」


 古城戸がそんなことを言う。


「四十八人の不幸はどんどん入れ替わっていると思う。だから長時間会話をすることは実質不可能だな」


 俺は新実のほうに向きなおる。


「これ以上あいつと話しても得るものはありません。不幸話を四十八人分延々と聞かされるだけです。あいつはそれしか話せないでしょう」


 新実は頷いた。


「あとは僕たちのほうで質問を続けてみるよ。明日も質問をしてみる。不幸話以外をしてくれるかもしれないしね」


 その可能性は無いだろうなと思いながら俺は曖昧に頷く。不幸話しかしない怪物相手に年中研究を続けるとしたら、ここの研究員のメンタルはすぐに壊れそうだが口にはしない。


「もう用は済んだ。飯でも食って帰ろうぜ」


 俺は古城戸にそう言うと研究所出口に向かって歩き出す。古城戸も後ろをついてきた。


 外に出るとほんの少し秋を感じさせる風を頬に受けた。あの辛気臭い魔物から解放されて俺は伸びをする。報告書を読んだ時にはとてつもなく恐ろしい魔物と感じたが、不幸の塊があの魔物の源泉であることがわかり、多少は怖さがやわらいだ気がする。そういえばホラーの条件の一つに、『正体不明であること』があったのを思い出した。正体不明でなくなったから俺にとってはもはやホラーではないということだろう。


 怖さが去ると、空腹を思い出した。


「広島だし、広島焼でも食うか」


 俺がそう提案すると古城戸は元気よく手を挙げた。


「賛成!」


 古城戸は『雷沢帰妹レジグマ』でYAMAHA SR400とヘルメットを二個出し、運転席に座る。タンデムで行くということだ。SRはキックスタートだが、古城戸は豪快に踏み込んで一発始動。


 俺はSRの後部座席に座り、右手はタンデムバー、左手はシートのタンデムベルトを持つ。単気筒エンジンの力強い鼓動が仕事の疲れを忘れさせてくれる。


 呉の海沿い、国道三十一号線をSRで走ると心が生まれ変わる気がした。古城戸もこの素晴らしい気分を感じているのだろうか。エア・カーから見る空からの景色も格別だが、全身に鉄の鼓動を浴び、海風を受けながら走るこのバイクという乗り物に、俺は無上の悦びを感じた。

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