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「やっぱり、冬の森はさみしいよね」


 べにばらは私の手を引き、迷うことなく森を進んでいく。彼女が少し前を歩き、私はその後に続いた。子供の頃にもこうして森の中を歩いた記憶が、ぼんやりと頭の中に蘇る。この歳になると服が汚れることに抵抗を隠せないが、彼女はお構いなしに泥道を踏みつけていた。


「この間ドイルおじさんが来た時に教えてもらったんだけどね――」と、彼女は前を向いたまま無邪気に話し始めた。


「ドイルおじさん?」


「すいどうかんの工事に来たおじさんでしょ」


「あぁ、そう」


「おじさんが言うにはね、この森のどこかに"イッカクジュウ"っていうのが住んでるんだって。それでね、見た人は幸せになれるらしいよ」


「へぇ」


 この世界にはそんな物まで存在するのか。羊ですらあの荒くれ様だというのに、幸せどころか見つかって攻撃を受けたり、食われたりしないだろうか。


「どんなのかな?」


 彼女は前方を向いたまま期待に満ちた声でそう尋ねたが、私はあっさりとした口調で、「額に角の生えた馬とかじゃない?」と答えた。


 すると急に立ち止まった彼女は、「そうなの!?」と叫びながらこちらを振り返った。


「ツノはどのくらい長いのかな? くまさんより大きい?」


「それは、……どうだろうね」


「見てみたいなぁ」


 やれやれ。子供は恐れを知らないから困る。


 私は小さくため息をつき、べにばらが妄想を膨らませる姿を眺めていたが、不意にこちらへ視線を移した彼女は俯いて私の腰の辺りに手を触れた。


 下を見ると、彼女は私の腰のリボンを結び直していた。いつの間に解けていたのだろう。


「これで良いよね」


 顔を上げたべにばらは笑みを寄こすと、再び前方へ向き直った。


 綺麗に整えられた蝶々結び。


 それを見た私は、「ねぇ」と咄嗟に彼女を呼び止めていた。


 そして、こちらを振り返った彼女に向け、「あなたは本物のべにばら? それとも、本当はお姉ちゃんなの?」と、初日と同じ質問を投げかけた。


 おもむろに道に落ちた細い枝を拾った彼女は、「なに言ってるの」と答えると枝の先を私の方に向け、「あたしはべにばらで、あなたのお姉ちゃんじゃない」


「いや、そういう話じゃなくて……」


「また寝ぼけてるの? それとも、何かの役になりきってるのかしら」と言った彼女は、枝の先端をゆらゆら揺らしながら、「しらゆきはきっと本の読みすぎなのよ!」と責めるように声を上げた。


「私はしらゆきじゃないよ」


 立ち止まった私は真面目な顔でそう訴えたが、べにばらは呆けた表情で私の顔を見つめた後、突然せきを切ったように笑い始めた。


「あはは。ほら、やっぱり本の読みすぎじゃない!」


 彼女は両手で端を持った木の棒を反らせると、「今回はどんなお話なの?」と微笑みながら尋ねた。


「あたしの役はね、美少女魔女が良いなぁ」


「美少女、……魔女?」


 女という言葉が重複しているが、それは気にならないのだろうか。


「えっとね、魔女ってお話の中ではおばあさんが多いでしょ? でもきっと、きれいなお姉さん魔女だっているはずなの。だからあたしは、そのきれいなお姉さん魔女のかわいい一人娘。普段は別の世界に住んでいるけれど、偶然この森を訪れたときにしらゆきとばったり出会って、今は一緒にお散歩をしながらあなたの住む世界について教えてもらっているところなのよ」


 そう言うとべにばらは、魔法の杖でも扱うように木の枝で空中に円を描き始めた。


「それでね、それでね!」とその後も目を輝かせた彼女は、夢いっぱいの冒険譚を語り続けた。


 結局私の話は聞き入れてもらえず、延々と長話に付き合った末にようやく到着した岩場でボルダリングのように過酷な岩登りをして帰ってきた。


 やはり、街へ行ってみるしかない。それまでの間はしらゆきとして、彼女の相手をするより仕方がないか。

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