第7話 第2問

 美術室を目指していた俺たちを迎えたのは、発狂した女生徒たちの怒鳴る声だった。

「あんたでしょ! あんたが私の絵を盗んだんだ!」

「違います! 私はそんなことしてません!」

 何やら揉め事があったみたいだ。

 少し先を歩いていた七海は扉の隙間から中の様子を窺っている。

「どうだ、これが次の謎か?」

「うっさい、ちょっと黙ってて」

 随分お怒りのようで。もっと余裕を持ってほしいものだ。

 扉の陰に隠れた俺も声だけを聴いて何が起こったか推察する。


「あんた以外盗めた奴がいないって言ってんだろ!」

「その日は私も早くに帰ったので、私も出来ません!」

 盗んだということは何かがこの部屋もしくは怒鳴り散らしている彼女の手から失われたということ。さっきそう言えば『私の絵』って聞こえたな。なら自分の作品を盗まれて怒っているというところか。それに自分の作品が盗まれて怒るってことは、それほどまでに本気で絵に向かっているってことだ。美術部員の可能性が高い。そして、片方が敬語で話している。先輩後輩の関係が濃厚か。にしてもずいぶん強気な後輩だが、まあ盗人に疑われたらそんなものか。


「嘘つけ! 聞けばあんたもあんまり進んでないそうじゃない。どうせ完成した私の絵を見て嫉妬したんでしょ!」

「そんな、先輩!私、いくら切羽詰まっても先輩の絵を出展しようとは思いません!」

「それ、どういうことよ!?」

 先輩後輩確定。なら美術部も確定でいいか。それで『出展』な。なにか大会のようなもんがあって、そのための絵を盗まれたのか。それなら、ただ紛失したという線も薄い。そんな管理が雑だとも思えない。そして、あんた“も”って言ったな。じゃあ他に誰かいたりするのか? 後はまあどうでもいいが、後輩ちゃん。意味はどうあれ、まじでその言い方は煽り力が高すぎる。


「先輩! 梨花りかも! もうやめてください! こんなことしてる暇ないでしょ! 口論している暇があれば、みんなで探しましょうよ。そうした方がよっぽど建設的ですよ!」

 なんだ、もう一人いたのか。多分後輩ちゃん——梨花ちゃんと同じ学年。っていうか、もうめんどくさいな、あとは誰もいないんだったらもう——


「もうこいつが犯人でいいかもな」

「分かった。彼女が犯人ね」

 俺の諦めた言葉と七海の確信を持った言葉が重なる。

「チッ、口出さないでくれる!?」

 あくまで小声で話しているにも関わらず、さっき以上の敵意が漏れ出ている七海の様子に肩を竦める。しかも舌打ちって最初の清楚はどこに消えたのか。変貌具合が恐怖でしかない。

「悪かったよ、こっちは声でしか考えられないんだ。無理が過ぎるだろ。俺のは諦めただけの言葉だ。多分お前の方が正しいよ」

「ふん、そんな譲歩されたように言われても嬉しくもなんともないわね。ちなみに誰だと思ったわけ?」

「あー、えっと、途中で間に入った子かなと」

「……理由は?」

「先輩は『あんたもあんまり進んでないそうじゃない』と言った。まず、なんとなくこれを密告したやつが犯人っぽいと思った。まあ、顧問でなく先輩に言うのもおかしいと思ったし」

 話している途中で思いついた理由を付け足すが、

「あの先輩が部長やそれに準ずる何かだとするならおかしくないわよ。部員の進捗くらい把握しててもおかしくないもの」

「……さいで」

「あんたの見当は的外れね」

 ふふんと満足げにこちらを見下す七海にイラつきながらも俺は続ける。

「ともかく、そんな理由でその生徒が怪しいと思った。それであんたもって言うには他にも誰かいるのではと考えた。だが、ずっと喋らないのはどういうことだと思っていたところに、その子が入ってきた。それで、ああもうこいつでいいかなと」

 後は正直に話した。もう思い付きを喋って、こいつを調子に乗らせるのは阻止したい。実際最終的に勘でしかない結論にツッコむこともないだろう。

「なんで、そんな適当な回答で私と同じ結論に至るのか。あんた本当に癇に障るわね」

「そ、そんなこと言われてもなぁ。3分の1だし。てか、お前もそう思っていたのか」

「まあね、というか、ここから見れば一目瞭然よ。だってほら」

 そう言って彼女が少し退いた隙間から中を窺うと、座り込んでいる恐らく梨花ちゃんとそれに向かって掴みかからんばかりの先輩らしき人、そして梨花ちゃんに寄り添っている容疑者の後輩2。長い髪で隠れ判然としないものの、その彼女の口元が笑っているように歪んでいるように見えた。


 なんというかこれは、

「悪役みたいだな、あの笑い方は」

「その言い方はどうかと思うけど、そうね。友達が先輩に詰め寄られていて、あそこまで醜く笑うのは犯人だからだろうって」

「お前のも充分主観じゃないか……」

 キッとキツイ目線から逃れるように目線を逸らす。

 ああ、気付けば結構時間が経っているな。早く決着を付けなければ、逆木兄妹を待たせることになってしまう……いや、あんな逸材なら運動部が離してないか。じゃあ、多少待たせてしまってもいいか。

 しかし、七海はそんなわけにはいかないようで、

「あーもう、さっさと致命的な発言出しなさいよ。もどかしいわね、全く!」

 完全に気が立っている。実家の隣の家にいるネコみたいだ。可愛くないことだけは違うけど。どっちがどっちのことだろうな。

「そんなに急いでるんなら、自分から証言を引き出しに行けばいいんじゃないか?」

「……そうね、あんたの助言に従ったようでムカつくけどそうするわ」

 ほんと一言余計だわ、こいつ。


 七海はすくっと立ち上がり、ドアを堂々と開けた。

「話は聞かせてもらったわ! 私が解決してあげる!」

 俺がまだ扉に体重をかけて座っていたというのに、何の遠慮もなく扉を開けやがった。そのせいで俺は美術室の前で寝転んでいる変な奴になってしまった。

「おい、勝手に開けるな!」

 しかし、七海は俺の言葉なんて聞こえないように続ける。

「つまり、先輩は彼女が自分の絵を盗んだと思っていて、彼女はそんなことしていないと主張している、ということよね?」

 急に入ってきた俺たちに美術部員は敵意むき出しな目で睨んでくる。あんたらには関係ないでしょと言われてるように感じる。

「誰よ、あなた達。勝手に人の話に割り込まないでくれない? 邪魔でしかないわ」

 一番怒っているだろう先輩が厳しい口調で答えた。

「あなた達じゃなくて私とこいつで別なんだけど、今はいいわ。あなたたちもさっさと解決したいでしょ?」

「そりゃあ、そうだけど……」

「じゃあ、任せなさい。必ず解決してあげる」

 その揺るぎない自信に呆気にとられた先輩だが、渋々でも受け入れたようだ。梨花ちゃんも小さく頷いている。

 しかし、部外者の介入が問題だと思った後輩2が慌てて声を上げる。

「ちょっといいんですか!? 知らない人なんかに触らせて!」

「ねえ、あなた。二人がいいと言ってるのだからいいでしょう? それに私が言いたかったのは、あなたが提案したことよ」

「どういうこと……?」

「その前に少し確認を。先輩、昨日最後まで残っていたのは誰ですか?」

 急に話を振られて驚いた様子の先輩は答える。

「え、私が最後だったけど」

「間違いない?」

「無理言って最後まで描かせて貰ったのだから間違いないわね。あの時は顧問と私かいなかったわ」

 それを聞いて七海は満足げに頷く。

「それなら簡単ですね。先輩の絵はまず間違いなくこの部屋のどこかにありますよ」

「な、それは私が管理出来てなかったって言いたいわけ!?」

 実際盗まれているのだから管理が甘かったのは間違いないだろう。まあ先輩のというより部活自体の、かもしれないが。

 だが、七海はそんな気持ちはおくびにも出さず続ける。

「違いますよ。少なくとも昨日の時点ではあったものが今はない。しかし生徒が犯人ならキャンパスを学外に持ちだすことは出来ない。あんなに大きいものを担いで出てけば目立ちますから」

 付け加えるなら学外のどこに持って行くというのだろうか。どこに置いたとしても誰かに発見されてしまえば、美術室に戻されるのがオチだ。

「ならば、学内。ここにないのであれば、どこか別の場所に隠したか。これも難しいでしょう。どの学年のどのクラスがどの教室を使うってことを把握しているのであれば別ですけど、そうでもなければ発見されそうな教室には置けない。だから、この美術室にあると考えました」

「なるほど、確かにそうね。少し落ち着けば分かることだったわ」

 納得してもらえたようで七海は、楽しそうに笑う。

「それでは先輩。絵の特徴を教えてください」

「えーと、簡単に言えば崖の上に立っている斜塔の絵よ」

 何の絵だそれは、どういうつもりで描けばそうなるのか。俺には皆目見当もつかないが、まあそんなこと言う必要もない。

「分かりました。じゃあ、さっさと見つけてしまいましょう!」

 最後に俺の方を振り向き、誇るようなドヤ顔で、

「あんたもしっかり動きなさいよ」

「分かってるよ」

 もちろん、裏の目的までな。

 こうすれば、調だろ。

 それにしても、勝負しているわけでもないのに、何でそこまでドヤ顔出来るのか。めっちゃうざい。

 兎にも角にも、そうして俺たちは美術室を隈なく探し始めた。


****


 期待してた探偵だったが、どうやら探偵ではなくもどきレベルだったようだ。

 犯人が私だと疑っている様子は欠片ほどもない。会長の予想が珍しく外れたみたい。まぁ、是非もなしね。中学時代にあそこまでビッグな二つ名を持っていたみたいだけど所詮井の中の蛙でしかなかったわけか。

 可哀そうに私の代わりに疑われている、夏美。後輩の中でまだ演技力ある方だと思ったのだけれど、あそこまでアドリブに弱いとは思わなかったわ。私までつられて笑ってしまいそうになるほど、邪悪な笑い方になっていた。自分の失敗なのだから、甘んじて受け止めてもらうしかない。

 それにしてもこんな無駄なこといつまでしないといけないのかしらね。当たり前だけど、私たちは一人じゃない。そりゃあ一人だけで疑われずにキャンバスを運び出すのは難しいかもしれないけれど、人数が揃っていれば決して難しいことではなかった。キャンバスは既に別の場所に移してある。この美術室には手掛かりの一つも残っていない。

 あとは、彼らが諦めたような様子を一瞬でも見せれば、全力で詰ってやればそれでいい。それまでは一生懸命探している演技をしているだけでいい。さーて、なんといって詰ってやろうか。今からもう楽しみ——


「見つけました! 多分この絵ですよね!」

 七海真が大声でこちらに呼びかける。

 一瞬焦ってそちらを振り向くが、何を驚いているのか私は。どうせ、そう焦って近づいたら、『何を焦っているんですか』というつもりに違いない。『発見したのだから、もう少し嬉しそうに駆け寄ってください』とでも続けるのだろうか。

 それでは甘い。そんな風では——

「ほ、本当! 見せて!」

 ほーら、バカが駆け寄った。私はゆっくりと少し安心したように微笑んで、近づいてやればいい。どうせ何もないのだろうが、彼女がどう言い訳するか楽しみでしかないわ。

「よかったわ。これで安心できる」

 さてさてと内心楽しみにしながら、私は七海の手に握られたキャンバスを覗き込んだ。


 そこには鉛筆でそう書いてあった。

「見えますか、先輩。これがあなたが隠した真実ですよ」

「こ、これは、ど、どういう……」

「どうしましたか? 私なんかに見破られてびっくりしちゃいましたか?」

 七海の顔を見ると、したり顔でこちらにほほ笑んでいた。

「ど、どうして、分かったの……」

 ミスらしいミスをしたとは思えない。いや、私はただ被害者として怒鳴り散らしていればよかった。それだけの簡単な役割だったのに、どうして……

 こちらを見つめ続ける視線から顔を逸らすと、不意に梨花の顔が視界に入った。そこには明らかな驚愕が映っていた。そして震える唇から微かに言葉が漏れる。

「まさか、そんな……うそ……」

 なぜそんなにうろたえているのかが分からない。さっきあんなに勢いよく駆け寄ったのだから既に知らされていたものと————いや、もしかして……

 顔から血の気が引いていくのを感じる。

 また、七海に視線戻すと口に手を当て、肩を微かに揺らし、静かに笑っている。

「ふふ、間抜けは見つかったようね。ねえ、先輩」

 はめられたと悟り、足元が崩れ落ちたように感じた。


****


 崩れ落ちて俯いている先輩を見下ろして七海はほくそ笑む。もちろん俺に向かって。

「どう? 私だけでも見事に解決に導けたわ。これは文句なしの結果だとは思わない?」

「そうだな、随分勘と運頼りだったけどな」

「そんなことないわよ。私、女の勘には証拠能力が認められてもいいと思ってるから」

「ふざけんな、そんなことしたらブサイクってだけで罪になりかねん」

「冗談に決まってるでしょ、バカじゃない?」

 また期限を損ねた彼女はぷいとそっぽを向いた。

 彼女を面と向かって褒めるつもりは一切ないが、俺はこの解決方法にそこそこ感心していた。

 七海は犯人と考えていた後輩2の迂闊さに違和感を覚えていた。被害者に寄り添っているにも関わらず、思わず笑ってしまう、そんなミスするヤツがここまでしっかりと犯行を終えられると思えなかったのだ。そこで彼女のほかに共犯者がいると考えた。

 今日の場面は最終局面と言っても過言ではない場面だった。つまり、共犯者と犯人が同席しているだろうと考えた。ならば、容疑者は梨花ちゃんと先輩のどちらか。正直梨花ちゃんの方が立場が悪いと見た俺たちは先に梨花ちゃんの方に仕掛けた。つまり『犯人は、あなたですよ。梨花さん。』と書かれたキャンバスを見せたのだ。その様子をみて俺たちは彼女が犯人ではないと判断した。

 そして、本命である先輩に仕掛けたところ笑っちゃうほど見事に引っかかてくれたので、満を持して彼女が犯人であると確定できたというわけだ。

 もちろんここで先輩が全く反応を示さなければ、万事休すだったのだが、俺たちはあからさまなほど、後輩2を疑っていた。そのおかげであの反応が引き出せたのかもと考えれば、今回の作戦は十二分に有効だったのだろう。


「ふ、ふふふ、ふふふっふふふふふふふ」

 俯いている先輩から怪しげな笑い声が聞こえだす。

 犯人だと見破られて錯乱したか、あるいは——

「なるほど、やはり会長の目は確かだったのかもしれないわね。完全にやられたわ」

 そう言って、立ちあがった先輩は顔がさっきまでと変わっていた。

 脱色した茶髪は目を見張るような黒髪に、不気味なほど濃かった化粧もナチュラルなものに変わっている。ただそれだけなのに、先ほどの面影が一切残っていない、怪しげな美女へと姿を変えていた。

「すみません、先輩。私が失敗したせいで」

 後輩2が彼女に頭を下げる。

「いいのよ、すべてはあなたを選んだ私のミスであるわけだし。それにたとえあなたがミスしなくても彼女たちは答えを当てて見せたのだと思うわ」

 俺にはそこまでの確信は持てないが、七海を見ると自信気な面持ちだ。彼女なら確かに分かっていたかもしれない。

 不敵な笑みを浮かべた七海はその美女へと問いかける。

「それで、私はまだ答えを当てた景品を頂いていないのだけれど。教えてもらおうかしら。あんたたちが何者で何を思ってこんなことを仕掛けてきてるのかってことを」

「ふふふ、威勢がいいわね七海ちゃん。もちろん次の目的地を教えるつもりよ。次は、体育館よ。もうそろそろ部活勧誘が終わる時間ね。急いだほうがいいわよ。期限は勧誘終了の17時50分——ああ、もう10分しかないわね。急いだほうがいいわ」

「ふん、情報はそれだけ? こんなこと、いつまで続けるつもりよ」

「安心して。次が最後だから」

「あっそ」

 それだけ聞くと、七海は一足早く美術室を出て行った。

 美女はチラッと俺を見る。普段ならどきりとするような美人なのだが、何故か欠片もドキドキしない。それどころか、体が強張っているのを感じる。

「私は君にこそ期待しているのよ、式場くん。頑張ってね。

 知っている素振りの彼女の言葉に、カッとなる。

「お前、何を、知って……!」

「ふふ、それも全てが終われば教えてあげるわ。あなたも体育館に急いで」

 そう言って、美女は後輩2を連れて窓から飛び降りて行った。

 慌てて窓辺に駆け寄ると、下には大きいクッションが惹かれていて彼女はそこからこちらに手を振っていた。


 ほっと一息つく暇もなく、俺は急いで七海を追いかけようとするが、

「あの!」

 梨花ちゃんが俺を呼び止める。

「何だよ、今急いでるんだ」

「ごめんなさい、でも、私はどうすれば……」

 不安そうな彼女に見つめられて、言葉が詰まる。俺にはこの子を無下に扱うことは出来ない。俺たちの事情に巻き込まれたと言っても過言じゃないのだから。

「あー、そうだな。まだ、部活する時間はあるんだ。絵でも描いていったら」

「……そうですね。そうします」

「うん。それじゃあ」

 今だ不安げな彼女をその場において俺は急いで美術室を出る。


 彼女とはすぐに再会することになるのだが、それはもう少し先の話だ。

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探偵・七海真の事件録 村紗 唯 @you-3609

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