第16話 佐々木先生とつばめちゃん



 学校の食堂で、紙コップを取って水道水を汲んだ。夏休みはまだ三週間残っている。財布の中には百円玉が四つだ。


 いつもは、美沙ちゃんと二人で「デートみたいの」の時間なのだが、今日は邪魔者(妹)がついてきている。さっきから多少歪んだガールズトークばかりで、すっかり蚊帳の外だ。言葉のキャッチボールではなくて、言葉の野球をしている。



《さぁ、マウンド上にはピッチャー二宮真菜》


「美沙っちー、わさびってあるじゃないっすかー」


《対するバッターボックスには、市瀬美沙選手。ピッチャー大きく振りかぶって、第一球…投げました!》


「あれのチューブって絞り抜くっすか?」


《ストッライークッ!》


「え?しぼ…」


《すごい剛速球ですねー。市瀬選手、まったく手が出ません。呆然と見送りました。どうですか?解説の二宮直人さん。》


《いやぁ。あれはちょっと、手が出ませんねー。わさびの話題と思っているところに絞り抜くかどうかとの剛速球ですからねー。完全に読みを外されてます。》


「だからっすねー。チューブとかの練りわさびをー、ぎゅーって絞りぬくっすか?」


「えっと、わ、わたしあんまり辛いの好きじゃないから、ちょっとしか使わないかな?お寿司に入ってるわさびは大丈夫なんだけどねー」


《打ちました!うまい!真菜の剛速球にうまくあわせてきたー。》


「そっすかー。鼻にずぎゅーぅんって来るのがいいっすよねー。わさびさえがっつり乗せとけば蒲鉾もマグロもイカも同じ味っすよねー」


「真菜はもうわさびを鼻に直撃させてもいいかもしれないよ」


「まぁ、わさびはいいっすー」


《おっと、自分から振った話題をどうでもいい扱いです。これは…ボークじゃないんですか?》


「どうでもいいんだ…」


「それよりっすよー」


《さぁ、真菜投手。気を取り直して、二、三度ボールを握りなおします。ランナーを得点圏に置いて、次のバッターも市瀬選手。二宮直人にとても人気のある選手です》


「美沙っち、今日は水色っすねー。ブラ」


《ボォールっ!》


「ちょっ…ま、真菜!」


《一球、大きく下に外してきました。》


《外しすぎですねぇ。これは…酷いですね》


「あれっすか?やっぱり美沙っちくらいおしゃれだと、パンツもセットなんすか?」


《ボールっ!ツーボール!》


《ひどいです。制球力がまったくありません》


《制球力がないというよりも、ルールを理解していないんじゃないですかね。通常の野球の場合、バッターの胸から膝の上がストライクゾーンなのですが、会話で、相手の胸から膝の上までの話題はボールです。だれか教えてやらないとまずいですね。》


《そーですかー》


《これ以上やると、危険球で退場になる可能性もありますよ》


「あれっすよね。着替えのときにモロ見えるより、うっすら透けてるほうがエロいっすよね」


《さぁ、スリーボールと追い込まれました。》


《追い込まれたというか、完全に自滅ですねぇ。》


「ひょっとして、にーくんに見せたくて狙ってやってるっすか?」


「きゃーっ!」


《あーっと!危ない!今のは、当たりましたよ!完全にデッドボールです。市瀬選手、大丈夫でしょうか。顔が真っ赤に染まっています。》




 どうやら、会話のキャッチボールどころか野球すら成立していなかった。明日、美沙ちゃんに金属バットを持ってきてあげよう。妹を殴る用に。それにしても、美沙ちゃん、よく妹の友達やってるな。セクハラすぎるだろ…。




 水色か…。たしかにうっすら水色だ…。水色…。




 いいね!なんだか、こうふんしてきたよ。




 それはそれとして、財布の中身と残りの夏休みだ。百円玉が四つだ。四百円だ。昭和の年号が入っているのが一枚に平成が三枚だ。覚えられるくらいしか財布にない。うちの学校はバイト禁止だけど、親戚の手伝いとかは大丈夫だったはずだ。食堂をやっている家の女子がウェイトレスとかをするのは、オッケーだったはずだ。どこか。どこかに商売をやってる親戚はいなかったか?ぐぐぐ…。いや、他の方法でもいいんだが、とにかく働き口を見つけないと、夏休みを水道水を飲んで過ごすことになる。十七の夏がしょっぱく過ぎていくよ。まぁ、美沙ちゃんって潤いはあるけど…。


◆◆◆◆


「あ、来週は補習休みだからね。こなくてもいいわよ」


補習の終わる時間に教室に行くと、佐々木先生からそんなことを伝えられる。


「そうなんですか」


「来週は、私もさすがに夏休みを取るわ。お盆だし」


「あー。お疲れ様です。先生、どこか行くんですか?」


「有明のコミケに行くわ」


「…あ。そ、そうなんですね。お気をつけて」


佐々木先生、オタクだったんだ。美人なのに…。


「言っておくけど、二宮くんに私の本は売らないわよ。いえ…高校生に売っちゃいけないのよ」


しかもサークル参加で、男性向け創作なのか。


「卒業するときに、ちゃんと今までの在庫から全種類あげるから安心してね」


「…はぁ…。ありがとうございます」


ありがとうございますとしか言えない。


「あ、もしかして二宮くんも描く?十八歳未満に売っちゃいけないけど、十八歳未満が描いたり売ったりするのはいいみたいよ」


「いえ…」


法律だか規則だか知らないが、さすがにここまで来ると意味が分からない。


「そう?」


「にーくんがエロ漫画描いたら、きっと巨乳描くっすよ」


描かねーよ。


「そして、ヒロインの名前は『美沙』とかつけるっすよ」


「真奈美さん、そこの俺の机にカッター入ってなかったかな?」


「…ん。これ?」


「ありがとう」


「ぎゃーっ!にーくん、なにするっすかーっ!」


「わぁー。お兄さん!おちついてくださいーっ」


「二宮くんだめよ」


美沙ちゃんが背後から、佐々木先生が正面から俺を制止してくれた。危うく犯罪者にならずに済んだ。ありがたい。そして、ついでにおっぱいも当たった。ありがたすぎて涙が出る。今夜思い出す!絶対!


「美沙っち。よくぞ止めてくれたっすー」


ばきっ。


「ぶっ」


美沙ちゃんが妹にチョップをくれた。


「真菜。いーかげんにして!」


「ぶっべっぶっぽっぶっぶっぶっ」


美沙ちゃんが妹に連続チョップを食らわしている。いいぞ。もっとやれ。変な声を出して笑いを取るのは、北斗の拳のパクりって言われるから作者は今すぐやめるべきだと思う。


「そうだ。二宮くん」


「はい」


「アルバイトしない?」


なんですと?バイト禁止の学校で、先生がバイトに誘うのはありですか?しかし渡りに船だ。やりますとも。


「やります。なんですか?」


「コミケで売り子をしてくれたら。お小遣いあげる。そのかわり、当日は馬車馬よ。実は、期日までに本を宅配便に出すの忘れて、手で持っていかないといけなくなったのよ。男手があると助かるわ。交通費も出すし、食費もおごるわ」


本を持っていって一日先生につきあってお店屋さんごっこをすればいいんだろ。楽勝だ。


「やります。やります」


いわゆる二つ返事である。このときは、まさか『当日は馬車馬』というのが、本当に馬車馬だとは思ってもいなかった。


◆◆◆◆


 そうして、当日の朝五時。佐々木先生の自宅玄関。


「おはよ。二宮くん。寝坊しなかったのね!よかった!」


 今日の先生は、プライベートらしく薄い若草色のワンピースだ。話し方も、楽しそうだし、普段よりずっと若く見える。うん。正直、かわいい。くっそ。三十代に萌えそうだ…なんだ、この人。


 まず、先生のマンションの部屋にあげてもらう。どきどきする。クローゼットの前にダンボールが積んである。


「玄関の台車に積んで」


「はいはい」


ぐえっ。重っ!このダンボール、そんなに大きくないくせに重いぞ。一つ十キロじゃきかないぞ。二十キロはないかもしれないけど…。


 ずしっ。


「な、何個あるんですか?」


「六つ」


「六つ!?」


一つ十五キロとしても九十キロだ。


「三×二列で積んでね」


 ずしっ。みきっ。三つ目を載せたところあたりから、台車がみきっみきっと抗議の声をあげはじめる。


「じゃ。行こうか」


 先生、満面の笑み。こんな笑顔、学校じゃ見せたことないのに…そんなに楽しみなのか。


 みきみき、ぎしぎし、ぎゅぎっ。台車の抗議の声だ。


 ところで、みんな。バリアフリーって大切だ。障害のある人も、ハンディキャップを感じずに暮らせる街づくりというのは大切なんだ。


 いいか。道路のちょっとした段差や、マンホールの段差も車椅子の人にとっては危険なんだ。重心が高いと、横転の危険がある。歩いているだけでは気にならない大きさの段差でも、車輪には危険なんだ。それと横断歩道の前がちょっと車道に向かって下っているのだって危ない。重みでそのまま車道に転がり出てしまうかも知れない。歩道橋なんて使えたものじゃない。駅だってダメだ。エレベーターじゃなきゃダメだ。エスカレーターなんて車椅子の人は使えない。危険ですらある。スロープがあればバリアフリーが十分だと思っちゃいけない。スロープだって作り方によっては危険だ。そのまま加速がついて転がり落ちてしまうんだ。十分に長くて、途中に平坦なところがないといけない。


 優しい街づくりと障害を持つ人へ必要な配慮を学ぶには、エロ同人誌をつめた箱を台車に積んでコミケに行くといい。みんなやるべきだ。すてきな明日の社会のために!


「近くの駅に着いたら、そこからはタクシーで行くわよ。さすがに、電車が混み始めたら、これじゃ乗れないからね」


「はい。先生」


「あ、今日は、先生って言わないで、あとタメ口でお願い」


「え…と、じゃあ佐々木さん?」


「本名ばらさないで。つばめさんでいいわ。つばめちゃんでもいいけど」


「そっちは、そのまんまなんだ」


「私の名前、最初からペンネームみたいでしょ。だから、そのまま使ったの」


フルネームで言っても、ペンネームみたいといえばペンネームみたいだよね。佐々木つばめ先生。


「そうですね。つ…つばめさん」


うっわ。三十台の先生の名前呼んで照れちゃったよ。でも、今日の先生は化粧も薄いし、ふわふわワンピースだし、なにより子供みたいにニコニコしてて、ホントにかわいいんだよな。モテようと思えばいくらでもモテるだろうに、なんで独身なんだ?エロ漫画描くからか?


◆◆◆◆


 近代まで、ヨーロッパでは道端で馬車馬が倒れて死んでいたそうだ。




 俺も死にそう。


 朝、七時で早くも死にそうだ。というか、生きてコミケのスペースにたどり着けたことを褒めて欲しい。


「えらいわ。よくがんばったわね。ポカリ、飲むでしょ?」


佐々木先生が、ポカリのペットボトルを蓋まで開けて渡してくれる。


「あ、ありがとうございます。ま、まぁ、でも帰りは軽くなるしね」


「え?そんなわけないじゃない」


なんで?売るんじゃないの?


「私の漫画なんて売れないわよ」


じゃあ、なんでこんなにたくさん持ってくるの?


「全部で十五種類あって、全部三十冊ずつしか持って来てないわ」


四百五十冊だよ。それ。


「なにかの間違いで、どれかが三十冊とか売れちゃったら困るなぁ…」


「いつもは、どのくらい売れるんですか?」


「二冊くらい。でもね。昔、最高記録で二十冊売れたことがあるの」


先生、にこにこ。


「三十冊は行かないのでは?」


たぶん十冊も売れないよ。それ。


「売れるかもしれないじゃない。それに、どの本が売れるかわからないから、全部持ってこなくちゃ」


つまり帰りも、同じだけの重さを持って帰るのか…。近代まで、ヨーロッパでは…。


 でも、先生のにこやかな顔を見てると、いいかなって思った。


 アナウンスがあって、会場が拍手につつまれる。あ、始まるときって拍手するんだ。俺も拍手する。先生も隣で拍手をしている。


「じゃ、ちょっと私、買い物行って来るから、店番おねがいね」


「はいはい」


先生は、大きなトートバッグを持ってフラフラ出かけてしまった。暇になった。目の前に並んでいる先生作の同人誌を手に取る。表紙からして微妙だ。ごめん。先生。この本が千円で売ってても、俺だったら買わないわ。


 この本をあの佐々木先生が描いているのか…。


 ぺら…中をめくる。ふと、三島のことが脳裏をよぎる。うん。本は最初から順番に読まないとね。三島にけられて死んじゃうから。


 ……。


 エロ漫画のわりに、いつまで経ってもエロくならないな。ってか、この同人誌、隣で売ってるのと比べると異常に分厚いんだけど…。背表紙にもちゃんとタイトル入ってるしな。


 ……。


 あ、エロシーンになった…。


 前戯シーン長いな…。ぺろぺろ舐めまくりだ。鎖骨のくぼんでいるところって、舐めると気持ちいいの?


 ……。


「ただいまー」


ひうっ!ばたんっ!


「そのまま読んでくれててもいいのに」


「みみみ、未成年でもいいんですか?」


「売らなきゃいいんじゃない?」


俺は、そっと本を机の上にもどした。どっちにしても、無理だよ。描いた本人が、真夏の薄着で隣に座ってる状態でエロ漫画を楽しめるほどのレベルには達していない。


 佐々木先生…。舐められるの好きなのかな?


 隣に座る先生の方を思わず見てしまって、ノースリーブの肩とか鎖骨とかに視線が向かってしまう。そうだ、ポカリ飲もう!きっと汗でミネラルが失われて、脳が正常に機能していない状態なんだ。熱中症の初期症状に違いない気をつけないとな。


 ポカリポカリ。


「………」


「………」


本当に売れないな。立ち止まってもくれないぞ。先生の雰囲気がエロ漫画を買いづらい雰囲気を作っている気もするけどな。


「………」


「………」


 なんか話そう。沈黙はよろしくない。


「せん…えっと、つばめさんって、なんで漫画を描き始めたんですか?」


「さぁ?なんでだったかな…んー」


先生は、天を仰いで考える。


「わかんないわ。なんでというより、いつ始めたかがわからないわ」


「そんなに昔からやっているんですか?」


「んー。意地悪言ってもいいかな?」


「え?い、いいですけど」


「二宮くんは、いつ、どうして漫画を描くのをやめたの?」


え?あ、そうかも…。


 そういえば、いつだろう。記憶をたどる。


 小学校のころは、描いてた。教科書の端やら、ノートやらに…。


 記憶をさかのぼる。幼稚園のころ。クレヨンや鉛筆で落書きしてた。テレビでやってたアニメのキャラクターや、漫画のキャラクターを描いてた。妹も描いていたっけ…。


 もっと前…母とスケッチブックとクレヨンで絵にもなってない線をぐるぐると引いてたような記憶が…あれはいつのことだったんだろう。


 中学生のころ…描いてたかな。ロボットアニメのロボットを描いたこともあったような。


「中学生の…ころ、までは描いてたかな?なんで、やめたんだろう?」


「私は、まだつづいてるの。赤ちゃんのころと変わらないのよ。おばちゃんになっちゃったけど」


先生が笑う。


 そんな笑い方をするのはずるいと思う。俺の学校の先生のくせに、俺に教えてる大人のくせに、大人と子供の溝の向こうにいる人のくせに、ずるいと思うよ。


「つばめ…ちゃん」


「うん。なに?直人くん?」


「いえ。赤ちゃん扱いしてみたかっただけです」


「私のおしめ代えてくれるの?女教師に赤ちゃんプレイとは、さすが噂に聞くレベル99の変態紳士ね。マジックでカイゼルひげ描くわよ」


おまわりさんは、どこにいるんだろうね。




 帰りも重さは変わらなかった。いや。佐々木先生が本を買ってきていたから、むしろ重くなったかもしれない。


「おつかれさま。ピザを取るから、食べていって。夕食、ご馳走する約束だしね」


「へー」


先生のマンションの床に転がりながら、ため息で返事をする。背中と腕の筋肉が悲鳴をあげている。ちなみに、さっきトイレに行ったら限りなくオレンジ色に近い尿が出た。血とか混じってるんじゃないか?


「飲み物、なんにする?甘いものはダイエットコーラしかないけど」


「お茶ください」


「ん」


先生がずどんと、二リットルのペットボトルを持ってくる。自分はワインだ。


「先生も、お酒飲むの?」


「先生って誰のこと?」


まだ、続いてるのか。


「はいはい。つばめちゃん」


「んふふ…よろしいー。普段は飲まないんだけど、年に二回コミケの後だけ飲むのよ。一人打ち上げ。一人で描いてるから、打ち上げも一人」


三十代が痛々しい…と思って、そうでもないかな?って思う。


「痛々しいって思った?」


ぐっびぐっび、ジュースみたいにワイン飲んでるな。先生。


「一瞬思って、思いなおしました。なんで、先生…つばめちゃんもニュータイプになってんの?」


「思いなおしたの?」


「うん。せっかく一番好きなことをやってきて、家に帰ってきたときに、それにぜんぜん興味がない旦那さんがいて、一生懸命理解する努力をしてるところを見せられたりするより痛くないと思った」


「やべぇー。つばめちゃんってば、生徒とやりたくなってきたわ」


「…それは、本当に痛いので…」


「最初は痛いっていうわよねぇ」


先生、まさか…。えー。うそだろー。確認したいが聞けない。聞きたい。


 ぴんぽーん。


 ピザが届いた。


「はいはーい」


ほろ酔いつばめが応対に出る。


「ピザの到着でござーい」


回るの早いなぁ。お酒って、飲むの楽しそうだな。


 ピザのトマトと塩の味が、疲れた体に染みる。


「うまー」


「うまー」


もう、完全に先生とか思えなくなった。エロ漫画を描いて、一人でワインでピザを流し込んでる三十女というどうしようもないプロフィールなのに、すごく楽しそうで、すごくだらしなかわいい。一緒にいる俺も楽しい。


「直人くん、格ゲーしよう。私が勝ったら、今日のギャラは払わない」


「なんですと?そんなの、つばめちゃんにしか得がないじゃん」


「しかたないな。直人くんが勝ったら、脱ぐわ」


酔っ払いめ。セクハラ禁止だ。


「いらんわ!」


「しかたないな。直人くんが勝ったら、着るわ」


「着てどうする!」


「直人くんが勝ったら、メイド服を着るわ」


「やりましょう」


「まけねーぞ。このハゲ」


「ハゲてないから!」


ゲーム機の電源が入り、刃物で戦う格闘ゲームが起動する。


「みてろー。ぶっころしてやるぜー」


つばめちゃんが壊れてる。お酒って怖いね。


 しかし、酔っ払いに負ける俺ではなかった。


 圧勝。


「ふぬぬぬぬ…。女の子に容赦ねーな。そーよねー。女の兄弟のいる男って、女の子に容赦ないのよねー。しかたない…。脱ぐわ!」


「約束ちがう!着ろ!」


ワンピースの肩紐を外しにかかったつばめちゃんを制止する。


「ち…ばれたか。ちょっと待っててね」


ぬぎたかったのかよ。


 隣の和室に消えていくつばめちゃんを目で追うと、開けたふすまの隙間からベッドが見えた。2LDKだからあたりまえだけど、あっちの部屋が寝室か…。


「お待たせいたしました。ご主人様♪」


うおっ。本当にメイド服持ってた。どこでいつ買ったんだろう?


「じゃあ、もう一戦やりましょうか」


「ま、まぁ、いいけど」


「メイドプレイね」


要らんことを言うな。ぶちのめす。


 ぶちのめした。


「また、負けたわ」


「あたりまえです。がちゃプレイの酔っ払いに負けません」


「しかたない…。脱ぐわ!」


「脱ぐな!」


ばきっ。


「ぶべっ」


妹を見てるみたいな気分になって、ついリアルに上段攻撃が出た。


「くっそー。負けないわ」


先生はそう言って、ワインをラッパ飲みした。


「だから、酔っ払いには負けないってば」


「酔えば酔うほど強くなる!はちょぉーっ」


強くなるどころか、先生はまっすぐ座ってすらいない。ぐにゃぐにゃだ。


 その後も連戦連勝し、つばめちゃんは脱ぐ脱ぐ言ってはワインを飲んでますます負けた。負のスパイラルだ。


「ひょれらぁー。ひってらっひゃいまへぇー。ごひゅじんしゃまー」


ぐでんぐでんの癖に、一応メイドという設定を忘れない先生に見送られて、先生のマンションを出たのは十一時近かった。


 楽しかった。


 先生の手伝いのバイトのつもりが、思いがけず堪能してしまった。ちょっとバイト代を貰うのが悪い気すらした。


 それにしても、最後くらい脱ぐのを止めなかったほうがよかったかな。最初にして最後のチャンスを逃したかもしれない。




(つづく)

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