e.書架
年老いたあなたは回想のなかに生きている。
部屋からほとんど出ず、必要な買い物は配達にまかせて、蔵書を眺めながら、昔のことをあれこれと考えている。色褪せた背表紙を指で撫でると、幼少期のことがまざまざと思い返される。
○…●…○
壁一面の書架。
さまざまな本が並んでいる。
小学生のころ、あなたは本を読みに隣町へ通っていた。
訪れていたのは図書館ではない。
おそらく個人の蔵書家だったのだろうと思う。
煉瓦造りの洋館。
門扉の上に鋭く並んで尖る忍び返し。
暗い水を湛えた池泉。
鈍く光る獅子のドアノッカー。
幼い自分が、どうしてその洋館に通うようになったのか、……その前後関係を、あなたは覚えていない。なぜその館の主は、あなたに蔵書を開放してくれていたのだろう。過去に一度だけ、この蔵書家のことを両親に訊ねたことがある。「そんな蔵書家の知己があったことはないし、それに第一、子供のあなたを一人で隣町まで赴かせるはずがない」とのこと。しかし、だとすれば、あなたのこの記憶は何なのだろう。たしかにあなたは幼少の一時期、どこかの館で本を読んで過ごす日々を送ったはずなのだったが。深い海の底のような図書室で、一人の老人に案内されて、その膨大な蔵書を貪るように読んだはずなのだったが。
○…●…○
あなたは夕闇に沈む書斎で一人、回想に耽っている。
「私を案内した老人、それは近親者だったように思う。その顔は私に似ていた。と言うよりも、私にそっくりだった。幼い私が年老いればこの老人の顔になるだろうという確信めいたものを幼いながらも当時私は感じていたじゃないか? そうか、あのときの老人は――時を経て、年老いた私自身だったのかもしれない」
この空想はあなたを喜ばせた。
なんとも素敵なことのように思われた。
思い返せば、この館を建てる際には建築家にあれこれと注文をつけて理想の棲家を実現したものだが、その数々の細やかなこだわりの芯にあるものは、幼少期の記憶の底に沈むあの洋館――深い海の底で睡るような甘美な居心地――ではなかったか。
「この空想が事実だとすれば」
あなたは考える。この空想が事実だとすれば、きっと今にこの室を一人の子供が訪ねることだろう。壁一面の書架を造りつけたこの室に。
それは、時を超えて迷い混んできた、幼い日の私。
その子供がやってくるまで、私は回想に耽りながら蔵書を眺めていよう。
そんなことを考えて、あなたは微笑している。
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