おでんと身内
「なに?それじゃあんた、まーた誰かのお母さんやってんの?本当にお人好しねー」
週末。最近は九月になってもなかなか気温が下がりにくくなってきたが、それでも真夏に比べてばこの頃はぐっと気温も落ちてきた。昼間のうちはまだ半袖でも、朝晩はかなり冷え込む。俺がいつものスーパーで一本九十八円の大根を見つけたのは、そんな秋の足音が徐々に聞こえ始め、公園に栗の落ちる季節となった九月の終わりのことだった。
大根が一本九十八円というのはなかなか安いので、もちろん買ったわけだが。ついでとばかりに牛すじと練り物も買い込んだわけだが。秋といえばそれはもうおでんの季節なので、昆布とあごの合わせ出汁に牛すじも加えて、我が家の一番大きな鍋でぐつぐつと煮込んだわけだが。
まあ、さすがにそれだけの量ともなれば、一人で食べるには多すぎる。なのでこうして、隣駅の姉の家までわざわざ届けにきてやったのだ。この家は全員娘とはいえ食べ盛りが四人もいるので、いつも慢性的な食料不足なのである。
俺は血縁者特有の遠慮のなさで、開口一番にずけずけと言ってくる姉にげんなりと呻いた。
「あんのなぁ。せっかくの休日に、わざわざおでん作って届けにきてやった弟に対する第一声がそれかよ」
「だって本当のことじゃない。あんたって本当に、うちのお母さんよりもお母さんみたいよね。あ、ついでに洗濯物も畳んでいってくれていいのよ」
「畳まねーよ何がいいのよ、だよ。そんくらいは自分でやれって……おい!取り込んだ洗濯物をいつまでも床に置いておくなっていつも言ってるだろうが。皺になるぞ。せめてどこかに吊るしておけ」
「畳むわよー。気が向いたら畳むっていうか、日付変更までには畳むわ。つまり、今あんたが畳んでいってくれないと夜までこのままの可能性があるわ」
「そんな脅迫があってたまるか!」
思わず抗議しながら床に落とされたままの洗濯物を手に取る。今更、女物の服だの下着だのを畳むことへの抵抗は塵ほどもない。というか、生まれてこの方、一度もなかった。俺が洗濯物を畳み始めたのは幼稚園の頃だったので。
自分の身支度は自分で出来るようになれという親の方針のもと、幼いころからせっせと畳んでいて気がついたら他の家族の分も任されていた。雑な姉がストッキングをそのまま洗濯カゴに入れているのを見るたびに、ネットに入れてお洒落着洗いをしていたのは何を隠そう俺である。
苛立ちながら服を畳み始める俺に、姉は無責任にのほほんと笑った。
「本当に、透がいると楽よねー。一家に一台欲しいわ。けどあんたって口煩いから、やっぱり家にいたらウザいわ。今みたいに週一くらいがちょうどいいわね」
「お前はいっぺん呪われろ」
人に自分の家の洗濯物を畳ませておいて、許される発言ではない。
この家には男が一人もいない。姉の旦那さんは仕事で世界中をあちこち転々としているので、家に帰ってくることは滅多にないのだ。その代わりというわけではないが、昔からしょっちゅう一人で四つ子の子育てをする姉のヘルプに入っていたため、ここの四つ子は姪っ子というより半分くらい自分の娘のような感覚がある。
なので女の子とはいえ姉以上に洗濯物を畳むことに抵抗はないが、四つ子は全員服のサイズまで同じだ。こうして畳んでいても、どれが誰のだかさっぱりわからない。
「おい、四つ子の服の見分けがつかんぞ。どれが誰のだ」
「あー、その辺はまとめて一箇所に畳んで置いてくれればいいわ。あとで本人たちが仕分けするから。本当は、休日だし自分たちの分くらいあの子たちに畳ませようと思ったんだけどねぇ」
「その本人たちはどこ行ったんだ、そういや」
「由羅は図書館、由真は買い物、由奈は友達とおでかけで由亜は部屋に引きこもってるわ」
「あの字いんじゃん」
だったら一人分だけでも本人に畳ませればいい。そう言うと、姉は力なく首を振った。
「イベント中なのよ」
「なるほど」
四つ子は外見こそソックリだが、中身が面白いほどに違う。長女の由羅は本好き(主に図鑑とかサイエンス系)で次女の由真はいかにも年頃の女の子らしくおしゃれ好き。三女の由奈は室内遊びより身体を動かす方が好きで、四女は漫画やゲームが好きな少し二次元寄りの子だ。全く、同じ遺伝子を持ち同じ環境で育ったくせに、よくもここまで個性に差が出たものだと思う。ちなみに姉の教育方針では、一定以上の成績を維持していればゲームや遊びにとやかく言わないので、たとえばゲームでリアルタイムイベントが発生している末っ子は、ちゃんとやることさえやっていればゲームに没頭していても怒られない。
自分の身の回りでできることは自分で、宿題と翌日の学校の準備は先に終わらせる。それがこの家のルールだ。
俺が畳み終わった洗濯物を所定の位置に片付けていると、姉がコーヒーを淹れてくれた。どうやらこれが労働報酬らしい。すぐ帰ろうと思っていたが、せっかくなので椅子に腰掛けていただいていると、姉が自分の分も淹れて向かいに座った。
「ま、お人好しもいいけど、あんまり関わりすぎて利用されないように気をつけなさいね。あんたの善意って、ちょっと怖いから」
「怖いってなんだよ」
「怖いのよ。だってあんた、見かけはチンピラのくせに誰にでも優しいじゃない。あのね透。普通の人間っていうのはね、そんな誰彼構わず無私で人の世話をやいたりはしないの。私は血の繋がった家族だから、まだあんたの底なしの親切さにも素直に甘えられるけどね。もし他人だったら警戒すると思うわ」
「警戒て」
「もしくは罪悪感ね。健全な人間関係っていうのはね、基本的に対等なものなのよ。だからあんたみたいに、なんの見返りも求めずにただ親切にしてくる奴がいたら、普通はなんかお返ししなきゃって思っちゃうわけ。そうでもしないと申し訳なくなるから。なのに、あんたってば見返りを全然要求しないじゃない。何なのお母さんなの?ってくらい無私じゃない」
正直、家族じゃなかったら私もちょっと怖いわ。
そう言う姉の表情は真顔で、到底冗談を言っているようには見えなかった。
「そんな人を聖人君子みてーに。言い過ぎだっつの」
「そうね。せめて聖人君子だったらまだマシだったのに。あんた中身は俗物だもんねぇ。無私の俗物ってなんかちょっと怪物みたいね。由亜が好きそうな響きだわ」
「好きそうだけど、なんか絶妙に格好悪いな……」
無辜の怪物のほうがかっこいい。
「あんたは自分ができることを過小評価しがちだけど、世間的にみれば一汁三菜のバランス取れた食事を無償でお裾分けしてくれるご近所さんなんて、都市伝説みたいなもんだから。もうちょっと自分の価値を考えなさいってこと」
「つっても、俺が作るものなんて所詮、素人料理だから金取るほどでもないしさ。姉ちゃんは大袈裟なんだよ。大体、一人分作るのも二人分作るのもそう大して手間は──」
「そうね。でも一人分作るのと十人分を作るのでは、さすがに同じとは言えないでしょう?」
テーブルに置いたおでんを指差してそう言う姉に、思わずきょとんとなる。
「……なんで十人分て分かったんだ?」
「やっぱりね。どうせあんたのことだから、味が染みてからも食べてるように翌日分を見越して多めに作るでしょ。加えてうちは今は旦那がいないけど、子供含めて五人。その後輩くんにもどうせ分けるつもりでしょ?そしたら妹さん入れて二人。そこにあんたを足して八人プラス翌日分。ざっと十人前ってところじゃない?」
すらすらとまくし立てる姉に、図星を刺されて黙り込む。
「まあ、うちは助かるけどね。あんたのおでん美味しいから。けどほどほどにしないと、その後輩くんもきっと困るわよ。自覚がないかもしれないけど、あんたの作るご飯はそれだけの価値があるんだから。大体、あんたってばその無差別底無し親切のせいで彼女にフラれたんじゃない」
「フラれてませんー!俺の方から別れたんですー!!でもまあ……忠告は一応、肝に命じておくよ」
俺が不承不承と告げると、姉はお説教は終わったとばかりにようやくコーヒーを飲んだ。休日におでんと届けに来たら洗濯物を畳まされ、ついでに説教までくらうとは。俺が一体何をしたというのだろうか。
俺も自分の前にあるカップの中身を一気に飲み干す。
「あ、そうだ姉ちゃん。四つ子が小さい頃に使ってた食器って、まだあるよな?あんた杜撰だから。しばらく貸してくんね?」
「……杜撰だからは余計よ。別に捨て忘れてるわけじゃないの。思い出の品だからとってあるの。別にいいけど、何に使うの?」
「ああ、さっき話した後輩の妹がさ。また手が小さいから、うちにある食器を使いにくそうだったんだよ。だから、今度来た時のために子供用の食器も置いておこうと思って」
そう言うと、姉はなぜか無言でニッコリと微笑みを浮かべ、俺の脳天にチョップした。
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