味噌汁のすゝめ
前回と同じ位置に座った兄妹たちが、やはり前回と同じように揃って当然のように手を合わせる。どうでもいいがこの兄妹、食べ方がものすごく丁寧だ。後輩はまだしも、まだ幼い百瀬までもが背筋を綺麗にピンと伸ばし、ゆっくりと丁寧に食事を口に運ぶ様はちょっと感心するぐらい美しい。食事を見れば里が知れるというが、まさしくその通りだ。
なんとなくだがこの兄妹、実は結構いい家の出な気がする。
そんな俺の思いをよそに、後輩は感嘆の唸り声をあげた。
「うーん。美味い……前も思ったけどこれ絶対一般家庭の味じゃないでしょ。ちょっと小洒落たカフェとかで出てくる味でしょ。水にレモンが入ってたりする店の。先輩ってどこで料理覚えたんすか?俺も一人暮らし始めた頃に挑戦してみようとは思いましたけど、全然作れませんでしたよ」
「どこで習ったっつーか、基本は料理本見て作ってるだけだけど、お前と俺じゃ年季が違うんだよ。俺、料理始めたの小学生の頃だし」
甘辛く煮込んだ豚肉をたっぷりと丼にのせ、卵と一緒に大口を開けて頬張る。豚の脂を吸った長ネギの甘さを卵がまろやかに包み込み、ちょっと濃いめタレと相まっていくらでも食べられそうな美味さだ。
「なんで?」
「強いて言えば趣味?俺、昔から食うの好きだったし、共働きの家だったから腹減った時に親の代わりにたまに飯作ってたんだよな。失敗しても親は子供の作ったもんだと、よほどの毒物じゃない限り文句も言わずに食ってくれるしさ。回数こなすうちに上手くなった」
多分、あの頃の俺の料理はお世辞にも美味いと言える代物ではなかったはずだが、家族は文句も言わずに食べてくれた。実際は自分たちで作るのが面倒だっただけだろうが、それでも安心して何度でも失敗できるという環境があったことが、今の俺の下地を作ったのだと思っている。
「けど、そんなに長年修行してるとなると、やっぱ俺が今から先輩クラスを目指すのは難しいか……」
「何お前?料理する気なん?」
正直、料理の前にこの後輩の場合はまずあの部屋の惨状をなんとかした方がいいと思うが。そう思って尋ねると、後輩はほうれん草の胡麻和えを上品に口に運びながら神妙な顔で頷いた。
「いや、俺はそういうの面倒なんで正直、やりたいとは思わないんですけど……先輩の家で食べる時ってモモ食いつきがいつもと全然違うんですよね」
見ると確かに、百瀬は開化丼が気に入ったらしく、一生懸命せっせと口に運んでいる。さすがに後輩に比べるとその手つきはややぎこちないが、長ネギも入っているのに、好き嫌いせず食べるのはいいことだ。
「ちーちゃん!このたまごのやつね、すごーく美味しいよ。今日、モモが作ったごはん!」
「そうだなー。それとモモ、このほうれん草も美味しいぞ。兄ちゃんが作ったやつ」
「胡麻和えを作ったのは俺だ」
卵を混ぜるお手伝いをしてくれた四歳児はともかく、茹でたほうれん草を混ぜただけの大人に手柄を譲る気はない。
「そうそう、この胡麻和えとか。先輩、なんでこういうのをチャッと作れるんですか?俺、こういうおかずの組み合わせがサッパリなんですよね。店で唐揚げとか買っても、栄養バランス的にそれだけじゃダメだっていうのは分かるんですけど、他に何をつければいいのかが分からなくて……」
なるほど。それでこの後輩は今日、お惣菜ではなく弁当を買おうとしていたのだろう。あの手の弁当は、一つ買えばそれだけである程度の野菜や主食がバランスよく入っている。いや、それでも四歳児に麻婆弁当はないと思うが。
「俺も別にそこまで複雑に考えてるわけじゃねーけど、なるべく一汁二菜を作るようにはしてるな。あと、どこかに緑黄色野菜を入れるのは心がけてる」
一汁三菜とまではいかないが、汁物と、タンパク質をメインの主菜に余力があれば野菜を主とした副菜。最初の頃は味噌汁と目玉焼きぐらいで精一杯だったが、続けていくうちにだんだんと作れる料理が増えてきた。毎回出来ているわけではないし、味噌汁は朝晩同じものだが、レパートリーが増えていくのは結構楽しい。
俺の言葉に、後輩は絶望的な顔になった。
「そんなの考えたことない……めっちゃ細かい……」
「そうでもない。時間がない時はレタスそのまま齧ったりしてるし」
切っただけのトマトとかを一品にカウントすることもある。俺だって言うほど丁寧な食生活を送っているわけではない。
料理が好きだろうが嫌いだろうが人間、食わないと死ぬ。ならばしっかりした料理を作ろうと下手に気負って挫折するよりも、手抜きだろうがなんだろうが継続できる方がいい。毎週一パックのミニトマトを買って、毎食必ず食べるようにするだけでもいいと思う。
そう伝えると、後輩はうーんと顔をしかめた。
「トマト嫌い……」
「ガキみたいなわがまま抜かすな。ぶっ飛ばすぞ。そうだな……もし本当にお前が料理始めるなら、最初は味噌汁がいいと思う」
ほんのりと薄味の煮浸しは俺の好物だ。たっぷりの煮汁を含んだ白菜を口に運んで告げると、後輩は目をぱちくりさせた。
「味噌汁?いきなりそれはハードル高くないですか?俺、本当にど素人すよ?」
「そんなに難しく気構えなくても、味噌汁なんざ野菜煮て味噌溶くだけだよ。具材だって好きなもの入れればいいし、手軽に野菜とるなら汁物はおススメなんだ」
具材の組み合わせだって別に決まりがあるわけじゃない。俺は大抵二種類の野菜を入れているが、もっと増やしてもなんの問題もない。豚肉を加えて豚汁にすれば野菜も肉も一気に取れて一石二鳥だ。
夏場には手軽に塩分水分を補給できるし、寒い冬の朝にほかほかとした一杯の味噌汁を飲むだけでぐっと身体が暖まる。
「最近は出汁入り味噌とか売ってるから、面倒なら出汁もとらなくていいし、具に何を入れなきゃいけないなんてルールもないから、冷蔵庫の残った野菜を入れてもいいし。なんなら、具沢山と称して冷蔵庫の掃除にもなる。よく自炊のために野菜買ったけど使い切れないで腐らせるなんて言ってる奴は、全部味噌汁に入れればいいと思う」
「全部は無理でしょ。味噌汁に合わない野菜もあるじゃん。トマトとか」
「味噌汁の可能性をなめるな。大抵のものは全部いける。トマトだってブロッコリーだってレタスだっていけるぞ。加熱してる分、カサが減ってるから量も食える」
ビタミンは熱に弱いのであまり加熱しすぎるのもよくないが、味噌汁はどんがらと煮立てて作るものでもなし。仮にビタミンが壊れていようが、まったく食べないよりは遥かにマシだ。
「味噌汁かぁ……でも味噌汁って家で作ると胞子飛ばすじゃないですか」
「飛ばさねぇよなんでだよ。過去に何作ったんだよお前。ああ、でも……お前が味噌汁作るのは、やっぱりやめた方がいいかもな」
「え、なんでです?俺が不器用だからですか?」
「そーじゃねぇよ。そーじゃねぇけど」
というか。俺はこいつが言うほど不器用ではないと思っているが。それは関係なく。
「お前の部屋、汚いじゃん。どんなに手先が器用だろうと、生ゴミ捨てらんねえ奴は料理には向かねえよ」
味噌汁をすすりながらあっさり告げると、後輩はぐうと唸って黙り込んだ。
その日は、そのまま食べ終わって解散した。
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