第402話時代和菓子試食会(2)
和菓子試食は、鎌倉時代から室町時代のものに入った。
佐藤は説明を続ける。
「鎌倉時代から、お茶栽培が増え、茶菓子が必要となりました」
「砂糖も多く輸入するようになり、国内の生産量が増えたようです」
「そして、砂糖を使用した茶菓子を作りました」
「現在につながる和菓子の基本が生まれました」
饅頭や羊羹が運ばれて来た。
佐藤
「点心なる言葉が、最近中華で言われておりますが」
「そもそも、点心とはお茶を飲みながら饅頭や羊羹などを食べること」
「ですから、当時食べられていた饅頭や羊羹が京菓子の原点」
「ただ、当時は甘味が少ないと思われます」
「輸入も増えて国内生産も増えましたけれど、砂糖がまだまだ入手が難しかったようです」
確かに現代の饅頭や羊羹のような強い甘味はない。
麗が質問をする。
「羊羹に羊の字を使う理由は、何でしょうか」
すると佐藤はにっこりと笑う。
「はい、いい質問です」
「特に室町時代の茶席には、軽食の習慣がありました」
「そのなかに、羹(あつもの)という汁があります」
「具材によって、猪、白魚、芋、鶏など48種類の羹があったといわれています」
「その中に羊羹がありまして、本来は羊の肉の入った汁」
「ただ、当時、日本には獣肉食の習慣がありません」
「そこで、羊の肉に似せて麦や小豆の粉などで象ったものを入れました」
「その羊の肉に似せたものが汁物から離れて誕生したのが現代の羊羹の原点」
「当時は蒸羊羹でした」
「その後、寒天が発見され、煉羊羹に変化するのは寛政年間の頃になります」
全員が頷く中、佐藤は饅頭の由来についても説明。
「また、饅頭については、二つの説があります」
「仁治二年ですから西暦1241年に聖一国師が、中国の宋から帰国して、福岡の茶店に酒麹で作る酒饅頭を教えたとの説」
「貞和五年、1349年に京都建仁寺の住職が、中国の元から林浄因をつれてきて饅頭を伝えたとの説」
「尚、近鉄奈良駅の近くにはその林浄因を祀る神社がありまして、現代でも菓子のお祭りが続いています」
「この饅頭も中国の点心として伝わりましたが、今の肉まんのようなもの」
「肉食を嫌う当時の日本人用に、小豆を甘く煮て餡子を作り、小麦粉で作った皮でくるんだと言われています」
「その他、茶の湯の菓子としては打栗、せんべい、栗の粉餅などがありました」
大旦那が饅頭を食べながら感想を述べる。
「和菓子の歴史勉強会やな、これはこれで面白い」
「ただ、流通している砂糖が少ないから加減してある、当時の味覚の勉強になる」
「美味しい不味いは、別問題や」
「ベタ甘いよりは、いいかもしれんが」
五月も同じような感想。
「ほんのり甘い、そんな感じですね」
「もちろん、想像で作っているから、この程度で」
「しかし、食べにくくはありません、自然な甘みと言いましょうか」
茜は、また別の観点から。
「形が現代の物と同じだけに、商売には難しいかな」
「あくまでも、現代人の知識を深めるレベル」
麗は、何も言わない。
ただ、食べている顔は、真面目そのもの。
茜がそんな麗に声をかけた。
「何か、考えが浮かんだの?」
麗は、少し考えて答えた。
「大旦那と五月さんの考えに近い」
「こういう、やさしい甘さの羊羹とか、お饅頭もあっても構わないと思う」
「糖質オフ食品で、時代和菓子」
「美味しい人には美味しいのでは」
「何でもベタ甘に羊羹も饅頭も作る必要が無いのではないかな」
「砂糖を減らして美味しく食べられる限界まで試作するとか」
麗の言葉が刺激になったらしい。
和菓子職人の目の色が、一斉に変わっている。
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