第4章 第2話 危うい関係 その4
くのりを加え、改めて三人は服を脱ぐ。
「……あんた、その傷って」
下着姿になったくのりの胸元にある傷痕に、うてなは気づいた。
「そう。あの時の傷」
その傷痕に軽く触れ、くのりは悪戯めいた笑みをうてなに向ける。
「別に隠すつもりはないけど、なに? 私の裸に興味でもあるの?」
「あるか。ただ目に入ったから、なんとなく訊いてみただけですー」
「へぇ。ずっと視線を感じるから、てっきり胸の大きさでも見比べてるのかと思った」
「それこそないから」
鼻を鳴らしてうてなはそっぽを向くが、意地になって否定するあたりに、複雑な心境が垣間見える。
くのりはそのわかりやすい反応を楽しみながら、下着を脱いでスーツを手に取った。
深月やうてなが使用しているスーツと同型だが、改良を加えられる前のものだ。
性能的な差は微々たるものなので、そこはあまり問題ではない。
それよりも問題なのは、戦闘用のスーツは本来、個別に微調整を施されるものであるという点だ。
くのりが借りたのは、深月が使っていた一つ前のものになる。同調率からみて、およそ八割程度の性能しか発揮できない。
だが、本人の身体能力はくのりの方が高いので、そこはカバーできるという判断だった。
なにより、スーツなしで挑むよりははるかに安全だ。
実弾を使用する相手に対して、防弾防刃機能が備わっているか否かは、雲泥の差になる。
「少しきつい箇所もあるけど、サイズは良さそう」
どこがとは明言しないくのりに対し、深月は沈黙を選ぶ。うてなのように相手をするつもりはない。
二人に先んじてスーツに着替え終えた深月は、必要と判断した武器をホルスターやポーチに収めていく。
作戦通りなら、戦闘の大部分はくのりが担当する事になるが、施設内での戦闘が皆無という事はないだろう。
あらゆる状況に対応できるよう、深月は準備しておくつもりだった。
「そう言えば、移動手段は確保してあるの?」
スーツを着用し終えたくのりは、ブーツを履きながら深月に確認する。
「本部に要請しようと思っていたけど、あなたがいるのではそうもいかない。だから、あれを使うしかないでしょうね」
あれと言われて思い当たるものが浮かず、くのりは首を傾げる。なにかはわからないが、そう言った深月は渋い顔をしていた。
なにやら楽しげなのは、遅れて着替え終えたうてなだけだ。
「いよいよあれの出番か。腕が鳴るねぇ」
「あなたに運転を任せるとは言っていないでしょう。勝手にその気にならないで」
「いや、ここはどう考えても私でしょ。公道であれの性能引き出すのは、さすがに久良屋も無理って言ってたじゃん」
「普通に運転するのなら、問題ないという意味よ」
「でもほら、今は緊急事態だし。時間との勝負なんでしょ? まぁ、わりとのんびり作戦立てたり着替えたりしてるけど」
二人とは違って、スーツを着用するだけで準備が終わるうてなは、念のため二種類のグローブを手に取り、一足先に座って待つ。
深月とくのりは、それぞれに装備を手に取り、不具合がないかを確かめていた。
「あの施設には、まだ情報が残されている可能性がある。連中はギリギリまでそれを引き出そうとするだろうから、まだ間に合うはず」
「それ、楽観的すぎない?」
「そうでもないって。最終的には国外に脱出するつもりだろうけど、普段と同じ手段は使えない。なにせ今回の任務は、表でも裏でも正規のものじゃないから。一度潜伏する必要があったのも、それが理由」
「ふーん、そういうもんか」
くのりが言うのならそうなのだろうと、意外にもうてなは納得する。彼女に対して複雑な感情を抱いてはいるが、こういった状況で的外れな事は言わないだろうと、ある意味信頼していた。
裏切りさえしなければ、エージェントとして頼りになると認めているのだ。
「でもまぁ、急いだほうがいいんでしょ? 結局さ」
「そうね。だから、使えるものはなんでも使うべき。なにを渋ってるのか知らないけどさ」
「……仕方ないわね」
うてなに運転を任せるしかないと諦めた深月は、必要なキーをテーブルに置き、滑らせる。
「事故らないでよ」
嬉々としてそれを受け取るうてなに、深月は半眼で釘を刺す。
「余裕余裕。久良屋はルートのほう、よろしくね」
わかっていると肩を竦めた深月は、小さくため息を吐く。隣で見ていたくのりは身を寄せ、どういう話なのかと伺う。
「開発部の新作がガレージにあるのよ。あなたなら、それでわかるでしょう?」
「……あぁ、そういうことか」
開発部の新作と聞いて、くのりはげんなりとした表情を浮かべた。同じエージェントとして、開発部の悪行はよく知っている。
「どうせバカみたいなスペックに仕上げてあるんだろうけど、運転、任せても本当に平気なの? 久良屋のほうが適任って感じするけど」
「普通なら、ね。でもうてなはほら、特殊だから」
「魔力でなにかできるってわけか。なら納得」
うてなの魔力には辛酸を嘗めさせられた事のあるくのりは、憎々しげに頬を歪める。
魔力でどう変わるのかは知らないが、どうせ無茶苦茶な事ができるのだろうと納得した。
それぞれの準備に集中し、会話が途切れがちになる。
そして出発の時間が近づくにつれ、空気は少しずつ重くなっていく。
作戦の成功率がどれほどあるのかは、誰も口にはしない。
計算したところで、気休めになどならないとわかっているからだ。
「この件が片付いたら、どうなるのかな」
不意の呟きは、くのりの唇からこぼれた。
沈黙を嫌がったわけではなく、かと言って二人のどちらかに問いかけたわけでもない。
胸中にずっと溜まっていた感情が、一瞬の隙をついて漏れ出したかのようだった。
言葉の意味を咄嗟に理解できたのは、深月だった。彼女も同じような事を、どこかで考えていたからだろう。
「今まで通り、とはいかないでしょうね」
無機質とも言える事務的な答えに、くのりは僅かに唇を緩めた。伏せ気味の目元は髪に隠れ、二人からは見えない。
「ここまで大事になったら、組織としてもなにかしらの対処はせざるを得ない。彼だけならともかく、一般人が巻き込まれているのだから」
深月がそこまで答えたところで、うてなも察する。
逢沢くのりが案じているのは、龍二たちの安全だけではなく、その後の生活も含めたものなのだと。
「どこまでやると思う?」
「安藤奏を含む家族にも、必要な措置が取られるでしょうね」
具体的になにをするかは、深月にもわからない。
現状、安藤奏がどのような状態なのかもはっきりとしていないのだから、当然だ。
だが、たとえ傷一つなかったとしても、事件に関する記憶は残る。
それをどうするのかは、夏の一件から予想はできた。
安藤龍二を含む事件についての記憶に、なにかしらの介入と処置をする。
実際にそこまでするかはまだ判断できないが、そうなる可能性は高いと深月は考えていた。
「それに彼……安藤龍二も身柄を保護される可能性が高い」
「ちょっと待って。それってなに? 組織の施設で匿うってこと?」
「えぇ。あなたも最初の頃、言ってたでしょう? 施設に収容して貰うのが一番だって」
「言った、けど……」
あの時とはなにもかもが変わってしまっていた。
うてなはもう、安藤龍二という少年の生き方、考え方を知っている。リアルなものとして、彼を認識してしまった今では、あの時と同じような事は言えなくなっていた。
むしろ、あの時の発言がどれほど軽率だったのかを理解し、悔やむ気持ちすらある。
「彼を狙う集団が新たに出た以上、他にもいないとは限らない。だとすれば、もう私たちだけで彼を守るのは不可能よ」
「いやでも、私と久良屋がその気になれば、あいつ一人くらい――ぁ」
言いかけた言葉の無意味さを、うてなは理解してしまった。
もはや、龍二だけを守ればいいという楽観はできない。
周囲の人間を巻き込む者たちが現れた以上、次がないとは言い切れないのだ。
「じゃ、じゃあ、あいつにはなんの価値もないって証明してみせたら? そうすれば狙うやつらもいなくなるんじゃない?」
「無駄よ。彼に護衛がついていることはすでに証明されているのだから。それに……」
今から助けに行くこと自体が、更なる証明となってしまう。
誘拐された安藤龍二を、組織の人間が救出する、と。
ただの誤解で巻き込まれた一般人を相手に、そんな行動を取るわけがない。
安藤龍二を助けるという事は、そういう事なのだ。
「な、ならそうだ! 映画でやってたやつ! あいつが死んだことにすればいい! そうすればもう狙われる心配なくなるじゃん」
「そうね。でも結局、同じことでしょう? 死んだ人間は、学校に通えない」
「…………ならもうダメじゃん」
すでに詰んでいる状態だと理解したうてなは、深く息を吐いて天井を見上げる。
助けるという事だけを考え、その先まで意識が回っていなかったと痛感していた。
安藤龍二はもう、今までと同じ生活には戻れない。
「敵対する組織を片っ端から全部潰すっていう方法は、一応あるけどね」
くのりが提示した案は、あまりにも現実的ではない方法だった。
「あぁ、面白そう、それ」
到底本気とは思えないやる気のない声で、うてなが答える。
「私たちでやっちゃう?」
「バカ言わないで。できるわけがないでしょう」
「だよなー」
当たり前すぎる深月の言葉に、うてなは乱暴に髪を掻き毟る。
深月はどこまでも冷静なまま、チェックし終えた道具を鞄に詰め込んでいた。
それを横目に見ながら、くのりは目を閉じる。
彼女は誰よりも理解している。
安藤龍二の穏やかな生活を壊したのは、他ならぬ自分自身だと。
たとえその終わりが、数ヶ月早まるかどうかの差でしかなかったとしても。
今この時、安藤奏を人質にされた挙句、彼が連れ去られた原因は、くのりが作り出したものなのだ。
こうなる覚悟はした上で行動を起こした。その事を後悔するつもりは、ない。
それでもくのりは、胸に痛みを覚えてしまう。
深月が言った通り、龍二はもう、今まで通りの生活は送れないだろう。
組織にとって……いや、博士にとって龍二は貴重な実験体だ。
今回の事件が解決してなお、外で泳がせておくはずがない。
彼の自由は今日、終わったのだ。
ざわつく心を鎮めるように、くのりは静かに息を吸って、吐く。
そして目を開き、じっと見上げてくるうてなの視線に気づいた。
「……なに?」
責めるような色は感じられなかった。
「なんて言うか……いざとなればさ、本気で潰して回りそうだなって、ちょっと思った。案外本気で言ってた?」
「……やる価値がないとは、思ってない」
できるかどうかについては言及せず、くのりは答えた。そうしてしまおうかと考えた事がないわけではないのだ。
ただ、自分一人ではそれを成し遂げられないと理解し、断念した。
それに、残された時間が限られているのは、龍二も同じだ。
その時間をどう使うのかを考えた上での決断だった。
「一口、乗る?」
くのりは感情を全て押し殺し、うてなに笑いかける。
「面白そうだけど、あんたと組む気にはなれない。ごめんね」
「残念」
軽口で答えるうてなに、くのりは肩を竦める。
組む気にはなれないとうてなは言ったが、邪険にする気配はなかった。
むしろ、好感を抱いているようにすら見える。
どこか、空気が柔らかくなっていた。
「ねぇ、なんであいつのためにそこまでするの?」
以前から気になっていた事を、うてなはここで訊く。
意外な質問にくのりは一瞬目を見開くが、すぐ得意げな顔になる。
「好きだから」
それ以外の理由が必要なのかと、揺るぎない意志を宿した瞳が物語る。
あまりにも単純かつ明快な答えに、うてなは思わず声を上げて笑う。
嘲るような笑いではない。心底呆れつつも、さすがだと言いたげな笑いだった。
黙って聞いていた深月も、口元が緩むのを抑えられずにいた。
逢沢くのりが起こした行動は全てそうだった。
最高のエージェントと目されていた少女が、組織を裏切った理由。
今でもまだ、その感情と組織を裏切る事がどう繋がるのか、二人は知らない。
わかっているのは、逢沢くのりが本気だという事。
「あなたたちも、恋を知ればわかるかもね」
微塵の迷いもない目で、くのりは二人に笑いかける。
深月とうてなは思わず目を合わせ、互いの反応を窺う。
二人とも、わかるとは思えないと首を振った。
今はそれでもいいと言いたげに、くのりは小さく鼻を鳴らした。
「ホント、わっかんないなぁ。あいつのどこがいいんだか」
「だろうねぇ」
「うわ、なにその私だけが知ってます感。腹立つー」
今度ははっきりと挑発するように、くのりは唇の端を吊り上げる。
わかる日が来るかなんて、誰にもわからないのだ。
もしそんな日が来れば、おめでとうと言ってあげたいとくのりは思う。
それが二人にとってどんな意味と価値を持つかは、本人次第だ。
逢沢くのりにとってそれは、たった一つ、かけがえのないものになった。
他にはなにもない。
大切だと想えるものは、安藤龍二と彼への恋心だけ。
もちろん、龍二が大切に想うものも守りたい。
龍二がそれで、笑ってくれるのなら。
逢沢くのりの全ては、彼を中心に存在している。
龍二への想いが鼓動となり、くのりの心臓を動かす。
生きているのだと、証明する。
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