第3章 第4話 SIGNAL その3

 ドアの前に立った深月は、ノックしようとして手を上げ、動きを止める。

 先日に引き続き、またしても本部に呼び出された事に、深月は疑問を抱いていた。

 今までは月に一度か二度程度だった呼び出しだが、今回は数日と経たずにそれが来た。

 それも報告や定期的な検査ではなく、博士から直々に呼び出されたのだから、なにか特別な意味があると考えるのは当然だった。

 それがなんなのか、考えてもわかるはずがないと知りながら、考えずにはいられない。

 出所のわからない胸騒ぎを覚える深月は、深呼吸を一つする事で、自身を落ち着かせる。

「失礼します」

 顔を上げてノックをした深月は、電子制御されているドアが解錠された事を確認して入室する。

 自身の声が無機質なほど強張っている気がして、僅かに喉を鳴らす。

「コーヒーはどうだ?」

「いえ」

「そうか。ならさっそく話をしよう」

 深月を出迎えた白衣の女性は、部屋の中央にあるソファに座れと言いたげに、顎で示す。

 緊張を悟られないように小さく頷いた深月は、促された通りソファに座る。

「君を呼んだ理由は、わかるか?」

「……先日の検査に不備でも?」

 切れ長の双眸で見据えてくる女性――博士に対して、深月は考えられる可能性の一つを上げてみせた。ただわからないと否定するよりも、なにかしら具体性のある返答を博士は好むだろうと、深月なりに考えた結果だ。

「それなら直接私のところに来る前に、再検査をさせているよ」

 そうだろうな、と深月は内心頷く。

 ある程度予想できた事だが、他に心当たりがない。

 いや、懸念する事が一つ、ないわけではないが、その事は博士にも話していない。

 悪い夢に悩まされているなどと、誰に相談できるというのか。

 特に目の前にいるこの博士に相談すればどうなるか、想像もつかない。

「では、どういった要件なのでしょう?」

 これ以上、博士に質問をされたくないという感情から、深月は先手を打った。

 博士はそれに気分を害した様子もなく、視線を更に鋭くし、口元を僅かに歪める。

「なに、簡単な話さ。逢沢くのりは生存している。非常に高い精度の情報だ」

 悪寒を覚えるような表情でありながら、その言葉は喜色に彩られていた。

「……逢沢くのりが、生きていると?」

 博士の表情など気にならなくなるほど、彼女が告げた言葉は深月に衝撃を与えた。

 生存している可能性は、確かにあった。自分もそう考え、安藤龍二にもそう話したはずだ。

 可能性を捨てきる事はできない、と。

 なのにどうしてここまで衝撃を受けたのか、深月自身も理解できなかった。

「映像でとらえたわけではないから、確実と断言することはできないが……だがまぁ、まず間違いなく逢沢くのりは生きている」

「そう、ですか」

 赤い舌で唇を湿らせる博士の言葉に、深月はただ静かに頷く。

 彼女がそこまで言うのなら、間違いないのだろう。博士の中に確信がなければ、そこまではっきりと言うはずがない。

 逢沢くのりが、生きている。

 その事実が、深月の胸をざわつかせていた。

 ――彼がこの事を知ったら。

「逢沢くのりが生きているとすれば、安藤龍二に接触してくるかもしれないな」

 深月の考えをまるで読んだかのように、博士はそう言って楽しげに笑みを浮かべた。

「いや、すでに接触している可能性もある」

「それは……ないのではないかと」

 深月はそう反射的に口にしていた。根拠を示せと言われれば、常に龍二の護衛と監視をしているのだからと答える事ができる。

 彼の監視任務には、逢沢くのりの接触を警戒する事も含まれているのだから。

 博士もそれを承知しているはずだが、意味深な笑みを孕んだ視線が深月に絡みつく。

 まさか、という疑念が深月の中に生まれる。

「接触した形跡は一切ありませんが……」

「手の内は知られているからな。一筋縄でいく相手ではないだろうさ、逢沢くのりは」

 彼女ならば監視の目を掻い潜る事も、形跡を残さないようにする事も可能だろうと、博士は考えているのだ。

 その口ぶりから、今でも高く逢沢くのりを評価している事が窺える。

 どう評価されようと気にはならない。

 深月が反論したいポイントは、逢沢くのり本人についてではなかった。

「彼から、そんな報告は受けていません」

「そうだろうな。だが、報告がないからと言って、接触していないとは言い切れないだろう? 接触した事実を隠している可能性は、十分に考えられる」

「そんな、ことは……」

 ない、と断言しようとした声は、空気に溶けて消えてしまう。

「逢沢くのりは、愛した男のために全てを捨てた。そしてその愛された男……安藤龍二もまた、逢沢くのりに恋情を抱いている。その二人が厳重な監視を掻い潜り、密かに接触していたとしたら……さて、その男はどうすると思う?」

 まるでそれが事実だとでも言いたげに、博士は深月を見据える。

 自分には開示されていない情報があるのだろうと深月は悟った。

 そしてそれは、自分たちの監視に穴があったという意味でもある。

 だが、そんな隙があっただろうかと考え、文化祭の前日に思い当たる。

 可能性があるとすれば、そこだ。

 ほんの数分ではあるが、彼を一人にしてしまった。

 後から警備システムの履歴も確認したが、怪しい点は見られなかった。が、逢沢くのりがなんらかの手段でデータを改ざんしていたとすれば、その情報にはなんの価値もなくなる。

「…………私は」

「前座はここまでだ。本題に入ろう」

 不手際を認めて俯きかけた深月は、博士が手を打つ音に顔を上げた。

 博士は椅子に深く腰掛けたまま、叩いた両手を大きく広げて見せる。

「久良屋深月。君に新しい任務を与える。手段は問わない。逢沢くのりを生きたまま捕えろ」

 自分が直接呼び出された理由を、ようやく理解する。

 ミスを挽回しろ、という意味ではない。

 逢沢くのりがなにを目的として動いているのかを、おそらく組織は把握できていない。

 今考えられる可能性の中で、彼女が最も姿を現す可能性のある場所は、一つしかない。

 安藤龍二がいる、その場所だ。

 ならば当然、深月たちがその任務にあたるべきだろう。

 待っていれば、逢沢くのりの方から姿を現すのだから。

「もう一度言っておこう。手段は問わない。そしてこの任務は、安藤龍二の安全と同等か、それ以上の重要度を持つものと考えろ」

「彼の身に危険が迫るとしても、ですか?」

 わかりきった事をわざわざ確認する深月に、博士は小さく鼻を鳴らす。

 すべてにおいて優先される任務だと、炯々と輝くその瞳が物語っていた。

 あぁやっぱりか、という気持ちで深月は理解する。

 逢沢くのりを生きたまま捕えるのは、組織の意向などではない。博士個人の願望なのだ。

 いや、どちらも一緒だ。

 博士の願望は等しく、組織の意向だと言える。

 すべてのプロジェクトは、この博士なくしては成り立たないのだから。

 他の研究者や上層部が理解を示さないとしても、関係などない。

 博士が生きて捕えろと言うのなら、それは絶対なのだ。

 深月は絶望的な気分でその事実を受け止め、戸惑う。

 なぜ自分が、絶望的な気分になどならなければいけないのかが、わからなかった。

「任務の全権を君に与える。必要と思うものがあれば、こちらで用意しよう」

 深月の戸惑いなどお構いなしに、博士は話を続ける。

「その上で君は、どんな作戦を立てる?」

「……まずは、情報を整理しないと」

「あぁそうだな。こちらで掴んでいる情報に対するアクセス権もすぐに与える」

「ありがとうございます。そちらに目を通してから、改めて考えさせて頂きます」

 瞬きもせず凝視してくる博士に頭を下げ、深月は表情を隠した。

 興味深そうな博士の視線は、心の奥に潜り込んで来るような不快感を覚える。

 具体的にどうとは言えないが、試されているような気がしていた。

 もしかしたら、深月自身には知らせていないだけで、なにかしらの変化に気づいているのかもしれない。

 エージェントとしての資質を損なっているような気がしていた深月にとって、彼女の視線はそれを白日の下に晒そうとしているように思えてしまう。

 事実、深月を凝視する博士の視線は、どこか楽しんでいるようにも見える。

 深月に起こりつつある変化の兆候を見逃すまいとするからこそ、瞬きすらしないのだ。

「では、君の提案を楽しみにしておくとしよう。もちろん、こちらでもいくつかの案は考えておく。だから気兼ねせず、好きに考えるといい」

 精神力を総動員して感情を奥底に押し込んだ深月は、博士の言葉に顔を上げた。

 博士の言葉はまるで、任務のためにどこまで非常に徹する事ができるのかを試すかのようだ。

 なにを期待されているのかを、今は考えないようにして、深月は頷いた。

「まぁ、逢沢くのりが先手を打ってくる可能性も、十分にあるがね」

 そう言って肩を竦める博士は、むしろそれを望んでいるかのようでもあった。

 彼女にとってこの件は、どのような結果になろうと楽しみで仕方がないのだろう。

 観察対象として生きていて欲しいと言っていた事を、深月は思い出していた。

 それを考えれば、こうなるのも当然という気がする。

 逢沢くのりの生存は、博士にとって最高の結果なのだから。

「彼女の目的は、なんなのでしょう?」

「さて、なんなのだろうね。安藤龍二の強奪か、それともこの研究所にある資料か」

「逢沢くのりが欲しがる資料とは、一体……」

「いくらでもあるだろうさ。ここにある資料を外部の研究機関に売り込めば、莫大な報酬を得られるだろうからね。私としてはそんな些細なことはどうでもいいし、逢沢くのりが報酬などに興味を示すとも思えないが、ね」

 その点については、深月も博士と同意見だ。

 金銭などの報酬を求めていないのは、あの戦いで答えが出ている。

 すべてを捨てて、組織から離反した逢沢くのり。

 だとするのなら、なにかを取り引きの材料として、保護を求めるのかもしれない。

 表立って敵対する組織などはないだろうが、潜在的に出し抜こうとしている者たちはいくらでもいるだろう。

 この組織が担っているプロジェクトは、それだけの価値がある。

 だが、それも違うだろうと深月は心のどこかで思っていた。

 保身すら、興味がないのではないだろうか。

 彼女が欲するものは、ただ一つ。

 そんな気がしてしまうのだ。

「どちらにせよ、逢沢くのりの行動はプロジェクトの妨げとなる可能性が高い。心して任務にあたってくれ」

 博士はそう言って足を組みなおし、机の上に置いてあるカップに手を伸ばす。

 その拍子に、絶妙なバランスで均衡を保っていた山積みの資料が崩壊し、大量の紙が床に散らばった。

「崩れるのはもう少し先だと思っていたのだが……見誤ったか」

 他人事のように呟いて動こうとしない博士に代わり、深月が立ち上がってそれらを拾い集める。

 たとえ深月が動かなかったとしても、博士の行動は変わらなかっただろう。

 そのうち誰かが片づけてくれるものだと知っているからだ。

 ここで深月が動く必要もないのだ。博士もそのような事を期待などしていない。

 だが深月はそのまま放ってはおけなかった。気になってしまう性格なのだから、仕方がない。

 床に膝をついて紙の資料を拾い集める深月を、博士は座ったまま見下ろしていた。

 感謝の言葉もなければ、労う気持ちも一切ない。

 もしなぜそうしていられるのかと問われれば、本人が勝手にそうしているだけだろう、と彼女は答える。

 カップの中身を飲み干した博士は、深月の横を通り過ぎて新たにコーヒーを淹れに行く。

「あの、一ついいですか?」

「なんだ?」

「どうしてわざわざ、紙に印刷しているのですか? サーバーのデータを直接見られるのに」

「ディスプレイに表示されたものは味気なくてね。自分の手で資料を並べて眺めるほうが、楽しいのさ」

「そうですか」

 背中を向けたまま答える博士に、深月も振り返らずに頷く。

 博士にとって楽しいという事は、重要な意味を持つ。

 理解はできなくとも、そう言われたら納得するしかないのが、この組織というものだった。

 心の中でため息をついた深月は、残り僅かとなった資料に手を伸ばす。

「…………」

 そして、手が止まった。

 資料に書かれた文字を無意識に目で追っていた深月は、同時に息を呑んだ。

 気取られないように背後を確認する。

 博士は鼻歌まじりコーヒーを淹れていて、深月の手が止まった事には気づいていない。

 それを確認した深月は、資料を集めながら記載されている情報に目を走らせる。

 今までのように無意識ではなく、そこに書かれた情報を理解しようとしていた。

 散らばった資料の中に紛れていた、あるプロジェクトに関する情報。

 そこには安藤龍二の名前がある。

 書かれている情報は深月が知っているものと、そう違いはなかった。より詳細に記されてはいるが、気に留めるような情報は見当たらない。

 ただ一つ、見慣れない文字があった。

 プロジェクトの総称なのか、三つの文字が並んでいる。

 ――N・D・R。

 それがなにを意味するのか、周囲に書かれた情報からは読み取れない。

 初めてみる文字の並びだが、深月は後頭部に違和感を覚える。

 どこかで、見たような気がする。

 定かではない違和感が、しこりのように頭部を刺激してくる。

「――――っ」

 深月は集めた資料をめくり、目を見開いた。

 次の資料に添付されていたものは、一枚の写真だ。

 そこに写っている人物を、深月はよく知っている。

 が、違う。同一人物とは、思えない。

 深月がよく知る人物と瓜二つに見えるが、纏っている雰囲気が違いすぎる。

 写真からでも伝わって来る、剣呑な雰囲気。

 なによりもその、攻撃的な鋭い視線は、彼とは程遠いものだ。

 安藤龍二では、ない。

 限りなく彼と似ているが、同一人物とは思えない。

 深月はそう冷静に考えながら、息苦しさを覚えて喘ぐ。

 龍二によく似た少年の写真から、目が離せない。

 そして沸き起こって来る激情に、手が震えていた。

 発作のように襲い来るそれは、殺意だった。

 文化祭の準備をしていた龍二に抱いたものより、更に激しい衝動。

 探していたものを見つけたような歓喜が、身体の奥から溢れそうになる。

 深月はありったけの精神力を総動員して、それに耐える。

 カチカチと鳴りそうな歯を食いしばり、引きつる頬と唇を鉄のように固める。

 甘美な殺意から目を逸らすように、その写真を一番下に隠して立ち上がる。

「……ここに、置いておきます」

 博士からの返事はない。コーヒーを淹れるのに、まだ夢中なようだ。

 深月は目を閉じ、軽く顎を上げる。

 深呼吸はできない。

 それでも心を落ち着かせ、冷静になるよう自身に言い聞かせる。

 そしてふと、ある事を思い出した。

 逢沢くのりによる安藤龍二誘拐事件の際、協力者となった少女がいた。彼女も組織から離反したエージェントだった。

 その彼女が所持していたという、安藤龍二と思しき少年の写真の存在を、確かに報告書で見た。

 だが、実際の写真は確認していない。

 今見たものがそうだと考えるのが、自然だろう。

 なぜ今の今まで、その写真の存在を忘れていたのか。

 普段なら、間違いなく自分の目で確認していたはずだ。

 それなのに今まで、僅かも思い至らなかった。

 言いようのない悪寒を覚えつつ、深月はその考えを一時保留する事にした。

「今回の配合はなかなか良さそうだ」

 満足げな博士の声が、聞こえてきたからだ。

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