第3章 第4話 SIGNAL その2
日付が変わった事に気づいた龍二は、一度手を止めて目頭を揉み解す。
週末の深夜とは言え、普段なら眠りについていてもおかしくない時間になった。
しかし、眠気が来る気配はまだない。
「本当に徹夜させるんだもんなぁ」
昨日の今頃は、うてなと共に作戦基地でゲーム三昧だった事を思い出す。
予想通り、明け方までゲームに付き合わされたおかげで、自室に戻ってすぐに、気を失うように眠った。
夕方までそのまま眠っていたせいで、こんな時間になっても眼が冴えているのだ。
日付が変わった今日が日曜日で良かったと、龍二は安堵する。
せっかくなので昨夜できなかった勉強に励んでいるのだが、お世辞にも捗っているとは言い難い。
映画などで時間を潰そうかとも考え、ソフトが並んでいる棚へ視線を向ける。
丁度その時、棚の横にあるドアがノックされた。
「龍君、夜食作ってきたよ」
そう言って顔を覗かせたのは、奏だった。手に持っているお盆には、湯気が立ち昇る器が置かれている。
勉強をすると言って部屋に戻ろうとした龍二に、後で夜食を作って持っていくと奏は言ってくれていたのだ。
「ありがとう、姉さん」
奏からお盆を受け取った龍二は、申し訳ない気持ちから不器用な笑みを浮かべる。
直前まで映画でも観ようとしていた後ろめたさが、表情に出てしまう。
当然、奏はそこに気づいて、部屋の奥を覗き込む。
広げられた参考書やノートの内容までは確認できないだろうが、龍二の態度からおおよそを察する。
「捗ってない感じ?」
「……ぶっちゃけると、うん」
誤魔化しても意味はないと、龍二は素直に認めた。
机に戻ってお盆を置き、そのまま椅子に座る。
お盆から立ち昇る湯気と共に、食欲を刺激する匂いが漂ってくる。奏が作って来てくれた夜食は、うどんだった。
「わざわざ作って来てくれたのに、なんかごめん」
「いいよ。私も覚えがあるから」
奏は笑顔でそう言いつつ、ドアを後ろ手に閉めて龍二のベッドに腰かける。
いつもの定位置とは逆だな、と龍二は思った。
「とりあえず、冷めないうちにどうぞ」
「うん。頂きます」
自然な流れで奏は部屋に残り、龍二がうどんを啜る姿を眺める。
「美味しい。寒い日にはやっぱりこういうのがいいよね」
「定番ですから。って言うか、寒い日ってわかってるなら、暖房くらいつけたら?」
稼働していないエアコンを指差し、奏は苦笑する。
「寒い?」
「龍君ほど厚着じゃないから、ちょっとね」
「だよね」
セーターを着こんでいる龍二とは対照的に、奏はパジャマにカーディガンを羽織っているだけだ。さすがに暖房のない部屋では、寒いと感じてしまうだろう。
普段はあまり使わないエアコンのスイッチを、龍二は入れた。
いつもは気を遣っていると知っている奏は、龍二にありがとうと言って微笑む。
「もしかしてだけど、なにか悩んでる?」
「……どうして?」
「そう見えるから、かな? この前のテストも不調だったみたいだし。だから悩みでもあるのかなって、思ったの」
心配そうな声に頷きながら、龍二はうどんを啜る。態度には出していないつもりだったが、あまり上手くはいっていなかったようだ。
それにテストの点数までは誤魔化せない。
「私で良ければ、聞くよ?」
奏が部屋に残った理由は、龍二が予想していた通りだった。
「ありがとう」
心配させてしまった事を詫びるのではなく、そうしてくれた事に感謝する。
残りのうどんを一気に掻き込み、ごちそうさまと手を合わせてから、奏に向き直る。
「悩みっていうか、漠然としたものなんだけどね。こう、将来のこととか、さ」
自身でも持て余している感情を、龍二はそう説明した。
将来への不安と言葉を濁したのは、半分は本当で半分は嘘だ。
奏に全てを打ち明ける事はできないので、そう言うしかなかったのだ。
普通の受験生であれば、進路について悩んでいると思うだろう。事実、奏もそういった類の悩みなのだろうと考えている。
だが実際には、違う。
龍二が抱える将来への悩みは、生死にかかわるものだ。
ならば奏と話をするのは無駄なのかというと、そうではないと龍二は思う。
「最近、よく考えるんだ。僕にはなんて言うか、目標がないっていうか、不甲斐ないなって」
だから奏に対して、核心は覆い隠したまま、曖昧な感情を吐露する。
「そっか。でも私は、龍君が不甲斐ないなんて、思わないけどね」
相槌を打ちながら、その一点だけを奏は否定する。
困ったように笑みを浮かべる龍二に、奏はそのまま言葉を続けた。
「ただまぁ、目標があるに越したことはないよね。そこに辿り着くための道筋がわかりやすくなるし。龍君は大学、特にここだっていうのはないんだよね?」
「うん。とりあえず進学しておこうかなって思っただけで、そこじゃなきゃっていうのは、ないんだ」
「目標があって進学先を選べるなら、それが一番だとは、私も思うよ」
龍二の進路を肯定も否定もせず、奏は穏やかに微笑む。
「でもそれが簡単なことじゃないっていうのも、わかってるつもり。友達にもそういう人はたくさんいたし。どっちが多かったかは、ちょっとわからないけど」
奏はそう言いながら少し身体を傾け、ベッドに手をついて龍二の顔を覗き込む。
「なにかこう、興味があることとか、きっかけみたいなものが一つでもあればいいと思うんだけど、龍君はどう?」
「……僕は、どうかな」
奏の言葉に龍二は首を傾げる。
興味があることと言われ、気付く。
そういうことを考えたことすら一度もない、自分の伽藍洞に。
きっかけ一つ、浮かんでこない。
趣味と呼べるものは、上げるとするなら映画や小説の類になる。
だが、それに携わりたいのかと言うと、違う気がする。
これだという揺るぎないものがあるとすれば、それは――。
「今の時期にそういうものを見つけていられるのは、きっと幸運なことなんじゃないかな。なら逆になかったら不幸なのかって言うと、そうじゃないと思う」
まさに龍二が考えたことを、まるで先回りするように奏は言ってみせた。
「目標……夢がないから仕方ない、みたいに諦めてなにもしないのは、勿体ないよ。そこで終わりにするんじゃなくて、じゃあどうしようかって考えるのが大切な気がする」
あくまでお姉ちゃんの意見だけど、と奏は少し頬を赤らめて笑う。
こんな風に話をするのは、互いに初めてだ。
進路について真面目に話してくれる奏は、いつもより少し大人びて見える。
「ほら、急がば回れとも言うしね」
等身大の自分をぶつけるような話を改めてするのは、やはり恥ずかしいのだろう。軽くウインクをしてみせるあたりに、照れ隠しが見えていた。
「遠回りは遠回りなりに、きっとなにかしら得られるものがあるんじゃないかな」
「それでも、なにも見つからなかったら……」
「その時間を意味があるものにできるかどうかは、龍君次第だと思う。人生の価値を決めるのは誰でもない。自分自身だって、私は思うから」
そう話す奏の目は、慈愛に満ちていた。そしてその奥にあるのは、確固たる自分、自信だ。
龍二はその瞳に、彼女の影を重ねる。
自分で選んだ生き方をすると、行動してみせた彼女を。
「龍君にはね、自分を好きになれる生き方をして欲しい」
お姉ちゃんからのお願いです、ととびきりの笑顔を奏は見せる。
龍二はその笑顔に頷き、そう言えばと思い出したことを尋ねてみる。
「姉さんは、最初から今の進学先に決めてたの? 迷ったりとかしてなかったみたいだけど」
去年の同じ時期は、奏が大学受験を控えていた時期だ。
「うん。幸いにも子供の頃から、やりたいことは決まってたから。おかげさまで迷わず歩いています」
得意げな顔で腰に手を当て、胸を反らして見せる。お姉ちゃんの威厳というものを、ここぞとばかりに見せつけているようだ。
「姉さんの進学したところって」
「お父さんが卒業したところ。あれ、話したっけ?」
「ちょっとだけ、聞いた気がする」
いつだったか、奏の父親である安藤聡が晩酌をしている時、そんな話が出た事があった。
「子供の頃から見てたからかな。お父さんと同じような研究者になりたいって、気が付いたら思ってたの。途中で気が変わるだろうってお父さんもお母さんも思ってたみたいだけど、結局変わらなかったんだよね。少し勉強してみたら、すっごく面白くて。あぁ、お父さんの子供なんだなぁって、その時は思ったよ」
眩しいくらいの笑顔で話す奏につられ、龍二も頬が緩む。
「忙しくてあまり帰っては来られないけど、お父さんは凄く有意義な研究をしてるんだって知ってるから、尊敬もしてる」
それでもやはり少しは寂しいと、優しい目で奏では呟く。父親の仕事に理解は示しているが、それだけで処理できる感情でもないのだろう。
だがそこにある家族の愛情は、龍二にも感じ取れた。
「聡さんの研究ってよく知らないんだけど、どういうやつ?」
「遺伝子工学だよ。龍君なら、わかるかな」
「小説とかで出てくるね。って、もしかしてそういう小説が書斎に多いのって」
「うん。お父さんの趣味」
なるほど、と龍二は理解した。
もともと龍二が映画や小説を嗜むようになったのは、聡の書斎にある蔵書がきっかけだ。
そうとわかれば、一度詳しく話を聞いてみたくなる。
「私も将来は、お父さんと同じ研究機関に入りたいなって思ってるの。詳しくは教えてくれないけど、凄いところなんだって」
目を輝かせて語る奏の姿に、龍二は見入っていた。
自分もそう語れるなにかが欲しいと、切実に思う。
「だから私はね、たぶん、恵まれてるの。やりたいことを見つけられて、進み方もわかってる。迷ったことなんて、一度もない。全部、お父さんとお母さんのおかげ」
「姉さんも頑張って勉強してたからでしょ」
「それも含めて、やっぱり恵まれてるんだよ」
奏はそう言って立ち上がると、龍二の肩に手を置いて微笑む。全てを包み込むような、そんな笑みだ。
「そしてね、こう思うの。恵まれていた分だけ、今、龍君を応援してあげられるって」
肩に置かれた奏の手が、龍二の首に回される。
「ちょっ、姉さん」
そのまま背中から抱き締められた龍二は、照れくささに頬を赤らめる。
頭がクラクラとするような匂いと温もりに包まれ、鼓動が速くなってしまう。
「大丈夫。龍君にはきっと……ううん。絶対、いい未来が待ってるから。自分を信じて、頑張ろう」
「……姉さん」
「うん、お姉ちゃんです。いつでも龍君の味方の、お姉ちゃん。忘れないでね?」
「……うん。ありがとう、姉さん」
頬が触れ合う恥ずかしさを一瞬でも忘れてしまいそうなほど、安心してしまう声だった。
龍二の言葉に満足した奏は、静かに離れる。
「ちなみになんだけど、いい?」
「なに?」
「えーっとね、うーんとね」
これまでの饒舌さが嘘のように、奏は歯切れの悪い言葉を繰り返し、悩むように首を傾げる。
が、意を決したように龍二を見つめる。
「最近、これが欲しいなーとか、気になるなーっていう物、あったりする?」
「……なんで?」
「それは、秘密。いや、深い意味とか全然なくてね? ただなんとなく、男の子が欲しがる物ってどういうのかなーって、ふと気になって」
「彼氏でもできた?」
「――なんて?」
「あ、いや……うん」
つい迂闊な発言をしてしまったと、龍二は冷や汗を掻いた。
奏がなぜそんな事を知りたがっているのかは、見当がついている。
十中八九、年明けに控えた龍二の誕生日に関わる質問だ。
本人はこっそり探りを入れているつもりなのだろうが、気付かないはずがない。
とは言え素直に答えるのは恥ずかしいので、つい茶化してしまったのだが、言葉のチョイスを決定的に間違えてしまった。
「今は、特に。もしなにかあったら、その時は話すよ」
「別にただの興味本位だから、無理にとは言わないけど。でもまぁ、なにかあったら、聞くね」
「うん」
「それじゃ、頑張ってね。でもあんまり夜更かししちゃダメだよ?」
「わかってる。ありがとう」
お盆を持って部屋から出て行く奏を、龍二は苦笑しつつ見送る。
「……さて、少しは頑張らないとな」
今なら集中して勉強ができると確信した龍二は、机に転がったままのペンを手に取る。
奏が作ってくれたうどん一杯分くらいは前進してみせないと、申し訳が立たない。
失いかけていた集中力を取り戻した龍二は、久しぶりに勉強が捗る感覚を楽しんだ。
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